第182話 風兄弟の処刑(2)

夏后履癸かこうりきは「は?」と言いながら、椅子に深くもたれ、腰を滑らせます。


「お前たちは去年も、空から何かが来ると言っていただろう。だが何も起きなかっただろう」

「いえ、竜が来ました」

「だがこの斟鄩しんしんには何もなかっただろう」

「それはわれわれ家臣たちが‥‥いえ、と陛下の人徳がなければ被害が出るところでございました」

「なら、これもどうせなんとかなるだろう」


陛下と応答していた風䅵ふうしゃくは一瞬だけ困ったように眉毛を動かしますが、やはりいてもたってもいられないと、片方の膝で地面を軽く突きます。


「陛下。今回は陛下のお力添えも必要でございます。差し迫っている国難の元凶は、陛下のすぐそばにおられるとのうらないでございます」

「ほーん、それで?」

「陛下には周囲にご注意いただきたく存じます」

「ほーん、それで?」

「これ以上はございません」


夏后履癸はつまようじで歯をしばらくいじって、それをテーブルに叩きつけます。つまようじがポキっと折れたところで、夏后履癸は怒鳴ります。


「たったそれだけのことを伝えるためだけに、わしの時間をもてあそんだというわけか!?」

「卜いははずれる場合もありますが、こればかりは当たった時の被害が甚大すぎます。ぜひお伝えしなければいけませんでした」

「もういい。二度と卜いの結果をここまで持ってくるな」

「陛下‥」


そうやって2人が立ち上がりかけたところで、夏后履癸のやわらかくて汗びっしょりで背筋が凍りそうなほど気味悪い肩に頭を預けていた妺喜ばっきが、ちらと夏后履癸を見ます。


「陛下。あの2人が国難をでっちあげて反乱を企てるところまでは考えなかったのか?」

「なに」


その言葉に、夏后履癸だけでなく部屋の隅にいた2人もぴくっと反応します。


「考えてみるのじゃ。あいつらはあのような卜いをでっちあげて、陛下の周りや斟鄩のあちこちに兵士を置かせる。すると周辺のむらの警備が手薄になる。奴らはそれを狙って周辺の邑を掌握し、斟鄩を包囲するじゃろう。かたやあの2人はその危機を予言したことになるのだから、処罰されるどころかむしろ昇進となる。でっち上げるメリットはあるじゃろう」

「そうか」


それにすんなり夏后履癸がうなずいたのを見て、風䅵も風普も慌てます。


「陛下、我々は正統な手段をもって占卜せんぼくをしました。この卜いの仕事には誇りを持っております」

「それはどのように証明するのだ?」

「それは‥‥」


こちゃこちゃしている2人を見ながら、妺喜が椅子の肘掛けに肘を置いて、くたびれたように言い放ちます。


「卜いというものは信用じゃ。信用があって成り立つものじゃ。わざわざ陛下の私生活に押しかけて、そのようなくだらない卜いを伝えるからには、やはり裏があるようじゃな?」

「そんなことはございません‥!」

「もういい、この2人をとらえろ。反逆罪だ」


夏后履癸の一口で2人は兵士に連れて行かれます。夏后履癸が「よし」と言って大きく息を吐いたところで、またドアのノックがします。今度は誰かと思えば夏后淳維かこうじゅんいでした。


「どうした淳維じゅんい。わしは忙しいのだ」

「父上、おそれながら申しあげます。あの2人はこれまで何度も国難が起きると報告しました。実際にその通りになったこともあります。今回も、今までと同じような感覚で、のためにと思って注進しにきたのでしょう。処罰されるならまず、これまでとの違いを明確にしてください」

「もういい、酔いが醒めた」


夏后履癸が退屈そうに言うと、妺喜がまたも言います。


「どうですか。1人は陛下に無礼を働きましたが、もう1人はただそこに座っているだけでした。片方だけを処すのはどうでしょう」

「ああ、確かにそうだったな。そうしよう」

「父上!」


夏后淳維が割り込んできますが、夏后履癸は「くどい」と、持っていた猪口ちょこを投げつけます。


こうして風䅵は処断され、風普は解放されました。


◆ ◆ ◆


このような事件があってから、家臣たちは安易に後宮という単語を口に出さないようになりました。いっぽうの風普はというと兄が殺されてもいまだ夏のために尽くすべく卜いを続けていましたが、その結果を報告する相手がいないので嘆息をもらしていました。關龍逢かんりゅうほう羊辛ようしんには一応連絡しておくのですが、したところで決裁できる夏后履癸がいなければどうにもなりません。

そんな風普に提言するものがありました。


「ご主人様、これは私の勝手な一存ではありますが」

「申してみよ」

「ご主人様はなぜご令兄様を殺されたのに平然としておられるのです。そもそもご令兄様が殺されたのは、卜いを反乱の道具にしたと疑われてのことでしょう。弟であるご主人様がご令兄様を夏に殺されていながら平然と卜いを続けていれば、それこそ疑ってくれと言っているようなものです。実際にご主人様がまだ卜いを続けていることは、すでに陛下の耳に入っているでしょう。私もなんとなくですが、この屋敷の周りにいる兵士が増えてきたような気がします。お逃げなさいませ」

「言われてみればそうだ。私は夏に忠誠を誓っているつもりだったが、しばらくはよそに隠れるのも悪くないだろう」


風普はその提言を受け入れて、同居する片方の親、妻や子供とも相談してどこか南の方の都市へ身を隠すことにしました。さいわい、王城のほうも風普を疑い始めたのはつい最近のようで、兵士たちの監視の目はそこまできつくありませんでした。


卜い通りに2日後の深夜、兵士たちの交代の時間を見計らって、風普たちは一気に荷車を屋敷から出します。この荷車の荷物の中に、食料とともに、風普自身や風普の家族たちが隠れていました。万が一兵士たちにその荷物の中身を問われるようなことがあればと考えていましたが幸いそのようなこともなく、3つの荷車は無事斟鄩の南端まで達しました。しかしここで風普が何かに気づいたようで、荷台の中から使用人を呼び出します。


「おい、そこ」

「どうしましたか?」

「この荷車には食料と衣服と金を積み込んだと聞いた」

「はい、さようでございます」

せき(※先祖の位牌を入れるための石の箱)はあるか?」

「えっ」


使用人がのけぞったのを見て、風普は少し強めの声で尋ねます。


「祏は持ってきたか?どの荷台にある?」

「い、いえ、持ってきておりません」

「取ってこい」

「お言葉ですが、われわれは祏のありかを知っていますが運ぶことができません。ご主人様が厳重に厳重に、我々使用人はおろかご家族にすら運べないよう魔法をおかけになっていたではありませんか」


風普は舌打ちをすると、「私が取りに行く」と言い出します。しかし使用人が2人かかりで、その風普を止めます。


「やめてください。ご主人様の命に比べれば、あれは遥かに軽いものでございます」

「何を言っておる。我々は伏羲ふくぎ女禍じょか(※いずれも三皇でふう姓。夫婦であったといわれる)の末裔にあたり、他人よりもひとぎわこの世の創造神を敬わなければいけない立場だ。あれがなければ、私の子孫は永遠に世間から笑われよう。それでは死んだほうがましだ」

「屋敷を離れて時間がたちました。兵士の交代もとっくに終わり、通常の警備体制に戻っているはずです。ご家族のためにも、どうか」

「離せ。一生取り返しの付かないことはしたくないのだ」


そうやって使用人たちを振り切って、風普はまた斟鄩の街に向かって走っていきました。

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