第176話 琬琰の死
「
「はい。聞いております。陛下が琬琰さまとの別れの時にお渡しになったとか」
「あれはどれほど大切なものか、もちろん知っておるだろうな?」
「はい。帝
「それなのじゃが、わらわが陛下に聞いたところ、あの2人が強引に奪ったという話じゃ」
「ええっ!?」
魯積が思わず腰を浮かしたのを見て、妺喜は計画通りとかすかに笑います。
「あの2人は苕華玉を求め、陛下から力ずくで奪ったのじゃ。陛下も、2人に長年世話になった以上強く出れなかったのじゃ。あの懇親ぶりはおぬしも知っておろう。しかしあの2人のために陛下の面目が潰れたのは確かじゃ」
「‥‥」
「そればかりか、陛下は苕華玉を失ったことで権威が下がり、これからの夏の国に暗雲も立ち込めるじゃろう。おぬしはあの2人をどう思うか?」
「国賊でございます」
妺喜は「そうじゃろそうじゃろ」と言いながら、椅子のやわらかい腕置きを何度か肘で叩きます。鈍い音がします。
「おぬしには、その苕華玉を取り戻して欲しい」
「‥‥!」
「もちろん、条件付きじゃ。これは陛下の威厳にかかわる問題なのじゃ。よって、その2人を集落こと滅ぼさねばならぬ」
「集落こと‥ですか?」
「うむ。1人でも残すと、恨みを持ってのちのち夏の威厳を下げるような噂を流す奴が出るじゃろう。そして、このことは内密じゃ。周囲には一切ばれないようにせねばならぬ。このことが陛下の耳に触れると、陛下は間違いなくおぬしを止めに来るじゃろう。だが、夏の威厳のためには選択しなければいけないことがある」
「‥‥はい」
さすがに魯積も戸惑ったようでわずかに首をかしげますが、それでも一官僚と妃の差です。魯積はすんなりうなずき、妺喜といくつか打ち合わせをした後、その場をあとにしました。
◆ ◆ ◆
魯積は300の兵を引き連れ、
魯積率いる兵隊は、洛の邑に走ってなだれ込み、建物に次々と火を付けます。悲鳴を上げて逃げ惑う邑の人たちを次々と刺し殺し、死屍を積み上げていきます。女子供も関係なく、槍で刺されるか、弓で討たれるか、燃える建物に閉じ込められるかして、次々と倒れていきます。
邑の外へ逃げようとする人たちもことごとく弓矢で射殺し、一通り終わったあとで兵士の1人が尋ねました。
「この邑に苕華玉があるとの噂ですが、探し出しますか?」
目の前には瓦礫が広がっています。おそらく琬琰の死体もこの中にあるでしょうが、探し出すのも一苦労だということは邑の残骸を見るだけですぐに分かります。
「いや、いい。それは放置して良い」
「はい」
これも妺喜の命令によるものです。魯積は「このことは他言無用だ」と言い残して、
◆ ◆ ◆
そうして魯積は、夜中にこっそり後宮を尋ねました。妺喜と2人きりで出会った魯積は、早速報告します。
「妺喜さま、洛の集落を滅ぼしてまいりました」
しかし妺喜の返答は、魯積の想像していたものと反対でした。首を傾げて、魯積を見下すような、高圧的な声でした。
「集落を滅ぼしたのじゃと?あれに何の罪があったのじゃ?」
「‥‥はい?あれは妺喜様がご命令なさって」
「わらわは罪のない人を殺すような命令はしておらぬ。おぬし、確かに集落を滅ぼしたのじゃな?罪なき人を殺すのは
「しかし‥」
魯積は冷や汗をたらたら流して、妺喜にすがりつこうと手を伸ばしますが、妺喜はそれを払い除けます。
「じゃがこれは重罪中の重罪じゃ。あえてわらわに自白した器量はほめてやるが、大辟は免れぬじゃろう。者とも、こいつを斬れ」
魯積は何人かの兵士に引きすられるように、その場を後にしました。妺喜は「声がうるさい、この部屋から出る前に喉を潰せ」と付け加えました。
◆ ◆ ◆
そうしてしばらくたって戻ってきた兵士が持ってきた木箱を受け取って、妺喜は
「‥‥なんだ、妺喜か」
「陛下。琬と琰は殺されました」
夏后履癸はひとたび「聞きとうない」と言いかけてから、一気に身を起こしてベッドから飛び出します。
「それは‥嘘か?」
妺喜は首をふると、その木箱を差し出します。廊下から差し込んでくる光に照らされて、かろうじて直方体だと分かるその箱を、夏后履癸はおそるおそる指さしました。
「こ、これが‥首か?」
「これは、洛の集落へ攻め込み罪なき人を
「鏖に‥しただと?1人も生きていないのか?」
妺喜は黙ってうなずきます。夏后履癸は魂の抜けたようにおののき、地面に膝をつきます。
「わ‥わしは、あの2人を愛しておった。生きがいだった。それを‥それを‥‥!」
と言って、おいおいと泣き出します。声も涙もかれんとばかりに、激しく泣きます。夏后履癸にも、10年間琬琰と過ごして思い出がありました。親として、恋人として、夜の相手として、思い出がありました。一生分の思いでを枯らすような泣き声をあげるその男の肩を、妺喜はそっと触ります。
「わらわがいます」
「なに?」
「わらわが、陛下の寂しさを紛らすお手伝いをします」
夏后履癸は「そうか‥そういえばお前がいた」と言うやいなや、抱きつきます。強くきつく抱きつきます。そして激しく泣きます。
妺喜はそのデブでくさくていやらしい体をしっかりと抱き返します。背中を「よしよし」と言いながら撫でます。
「わらわが陛下の傷を癒やしてあげます」
夏后履癸はその夜、妺喜を抱きながら延々と泣き続けていました。
◆ ◆ ◆
魯積の
人々は魯積の罪を知っていましたが、それでも幼い子供を憐れみ、2人兄弟のうちの兄の首を勝手に盗み出し、
「邑を滅ぼすとは、むごいことをなさる」
「一体何が彼をそこまでさせたのだろう」
「確かに彼ならやりかねないが、それにしても‥」
人々は首を傾げながら、そう噂しあっていました。
これで妺喜の地位は安泰でしょうか?いいえ。まだ夏后履癸の正室が残っています。妺喜はあくまで側室であり、正室の鶴の一声で追い出されるかもしれません。実際、琬琰もそうでしたから、同じことはいずれ妺喜にも起きるでしょう。それだけでなく正室の家族も、身分こそ当然王より下ではあるものの、親や先祖を大切にするという教えの浸透したこの世界において王はこれらに逆らうことはできません。事実上、王よりえらい人なのです。政治に口出ししてこないのは、単に善意に過ぎません。
自分を排除しかねない存在が妺喜にとっては目障りでした。早いうちに排除されては、この夏の国を滅ぼすという目的が果たせません。全員殺さなければいけません。
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