第172話 和弇の変(1)

和弇かかんは、の重臣である和晖かきの兄にあたります。しかし私利私欲を優先しがちなため、重職からは遠ざけられていました。


何年か前、氏の屋敷に仙人という男が来て、2人に光る服をそれぞれ1枚ずつ渡しました。暗闇でもすぐ前が視認できるとても貴重なもので(※街灯などはもちろん無い)、同じような服を作ることは普通の人間には不可能なものでした。

和晖はそれを自分の相談によく乗ってくれる友人に渡しました。その友人はまた自分の親に渡し、親はまた以前世話になった塾の先生に渡し、先生は自分の故郷の長老に渡しました。後日その長老が自宅でその服を燃やしていたので、近所の人が理由を尋ねました。長老は「この服はもともと夏の家臣の和晖様が仙人から授かったものという。それがめぐりめぐってわたしのもとに届いた。わたしは和晖様と会ったこともないし、縁もゆかりもない。和晖様もわたしのような見ず知らずの赤の他人のために財産を打ち崩すつもりはないだろう。この服を着ているわたしを見れば、きっと人に渡したことを後悔するだろう。これ以上和晖様の意図から外れた人の手に渡る前に、こうして燃やしているのだ」と返事しました。この話を聞いた和晖はみずから長老の家を訪れ、光ることはないものの豪華な服を3着渡しました。長老はいたく感銘を受け、この話を周囲に言いふらしました。

一方で和弇はその服をあっさり自分のものにしてしまいました。息子がその服を着てみたいと言っても和弇は拒否し、ついに頭を殴って追い返してしまいました。人々は和晖と和弇の差をおもしろおかしく噂にして、歌にしていました。


このようなことが何度も積み重ねられるうちに、和弇は和晖に恨みを持つようになっていました。和晖がいないところでのその態度はあからざまなもので、「聖人づらしやがって。今に見てろ」という独り言を聞いた人もいます。和弇が和晖をいつか殺すのではないかと噂している人もいました。和晖もそれを知って、和弇とは距離を置くようになっていました。


もちろんそんな話を妺喜ばっきが見逃さないはずはありません。財産を独り占めするような人間は、権力さえあればとても扱いやすいものです。妺喜は人を使って和弇を客間へ呼び出しました。


「私めに何の御用でございましょうか」


その和弇は一見普通にはいをしているように見えますが、微妙な体の動きから、こびへつらっているか、何か素晴らしいものをもらえるかと期待していると妺喜は見ました。椅子から立ち上がった妺喜は、周りに人がいないのをちらりと確認しますが‥ドア近くに使用人がいました。ただ使用人は妺喜の目を見ると、空気を読んで部屋から出ていってくれました。


「わらわは陛下のきさきとして恥ずかしくないよう魔法の練習をしているのじゃが、どうにもうまくいかないのじゃ。おぬしは確かもくの属性じゃったな。間違いがないか見て欲しいのじゃ」

「わかりました、私めでよければ」

「よし、そこに木の板があるじゃろ。そこから芽を出すのじゃ」


妺喜は板の前に移動しました。妺喜の目の前にはテーブルに乗っている板、そして同じ一直線上に和弇の姿があります。

それを確認してから、呪文を唱え始めます。和弇の体がぴくっと動きます。それは木の魔法の呪文ではないとでも言いたげでしょう。ですが奸臣というものは、たとえ主君が間違っていてもそれを褒め称えるものです。権力にすがりたくなるものです。そのための素質を、和弇は十二分に備えていました。

和弇が「うっ」と声を出します。妺喜の周囲に、紫のような黒いような妖しいもやが漂います。妺喜は目を開けて、和弇を見ながら笑います。このもやは、空気中に集まったあんの魔力が飽和して、色がついて見えているのです。つまり、これが見えた時点ですでに手遅れなのです。妺喜は強い一喝で呪文を締めくくります。闇の力が一気に和弇の体に集まり、ぶつかり、駆け巡ります。


しばらく椅子から転げ落ちて悶え苦しんでいた和弇は、次の瞬間、何事もなかったかのようにまっすぐ立ち上がると、妺喜に深く頭を下げます。


「妺喜様、ご命令を」

「うむ。わらわは羊玄ようげんを殺したいのじゃ」

「では私めが直に殺してまいりましょう」

「待て!」


走りかけた和弇は、妺喜の命令で立ち止まります。


「あいつは強い。どうやって殺すつもりでおるのだ?」

「刃物で腹を一突きしてまいります」


無理に決まっているだろう、と妺喜はため息をつきます。遠隔魔法で邪魔されておしまいですし、和弇が拷問で妺喜の名前を言うようなことがあれば妺喜も殺されます。妺喜は人を洗脳するのはこれが初めてでしたので、ここまですんなり単細胞な生物になってしまうのは予想していませんでした。羊玄をこんな単純な方法で殺そうとするようでは、扱いが難しいです。具体的に指示を出さなければいけませんが、そこで妺喜は思い直します。万が一指示と違うアクシデントが起きた時、判断するのは和弇です。和弇の素の能力が低いのなら、きっとへまをこくでしょう。

そもそも有名人個人を暗殺した場合、和弇は捕まって拷問され、黒幕はないか聞き出されるものです。その過程で妺喜の名前を出すか、仮に出さなくても、あまりに強い黒幕に対する忠誠の心を示せば、洗脳されていると見なされるでしょう。宮中では妺喜が闇の魔力を持っていると知っている人もいますから、妺喜に矛先が向くでしょう。洗脳したところで、使い勝手が悪いのでしょう。


妺喜は和弇を目の前に置いてしばらく考えていましたが、やがて「遠回りだが仕方ない」と小声でつぶやくと、和弇に話しかけます。


「おぬし、弟のことが嫌いじゃろう?」

「はい。嫌いです。殺したいくらい嫌いです」

「では弟の殺し方を教えてやろう」


こうして妺喜は、和弇の耳に何かささやきます。


◆ ◆ ◆


にはもちろん軍隊があります。しかしそれを誰でも自由に扱えるわけではありません。それらを動かすには、兵権へいけんが必要になります。和弇にはその兵権がありません。

兵権があることを証明するには、専用の印綬が必要になります。これを兵舎にいる役人に見せなければいけません。しかしこの夏の国、かなり平和が続いて兵を動かすのは災害などに限定されていたからか、偽造対策もそこまで進んでいませんでした。偽造の専門家が近くの山に隠れていると聞きつけ、妺喜は和弇にそこまで行かせました。果たして偽の印章は楽に手に入りました。


「これが印章か。初めて見るのじゃ」


持ってこさせた妺喜は印章を見て何度かうなずき、そしてそれが描かれた紙そのものに呪文を唱え、魔力を込めていきます。紙を持って去っていく和弇の後ろ姿を見て、妺喜は「もう少し勉強せねばならぬな」とつぶやきました。


◆ ◆ ◆


そして決行当日、和弇はその印章を添えた命令文を兵舎の役人に渡します。


「今、宮殿で朝廷が行われているが、その家臣の何人かに偽物が紛れ込んでいるとの情報を得た。我々は陛下の密命を受け、これを掌握しなければならない。毎回朝廷に出る公孫こうそん大将軍が欠席しては怪しまれるので、陛下は私に命令なさったのだ」


これは一歩間違えればクーデターになりかねません。和弇は評判の悪い人物ですので、こんな人にとんでもない仕事を任せるとは思えません。普通なら役人は偉い人に直接確認しにいくものですが、妺喜の魔法のかかったその紙を見つめているだけですべてがどうでもよくなって、「分かりました」と短く言って頭を下げます。


鎧に身を包んだ和弇は馬に乗り、百人程度の兵士を引き連れて宮殿に向かいます。この日、公孫猇こうそんこうは急病のため、羊玄は周辺のむらの視察のため欠席でしたが、それも和弇の計算のうちでした。ざわつく役人たちをしり目に、馬から降りた和弇は兵士たちと一緒に宮殿に突っ込みます。朝廷が行われている大広間に駆けてなだれ込みます。

家臣たちは突然の出来事に、逃げ出したり、地面に座り込んだりもしますが、半数以上が夏后履癸かこうりきの前に立ちふさがっていました。


「偽物はあいつだ。あの大きな冠をかぶった奴だ」


和弇が指差すと、兵士たちは一気にそちらへ走って、槍を突き出します。人垣の前の方にいた和晖は、三方向から体を槍で突かれ、血を流しその場に倒れ込みました。

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