第171話 子履の後悔

さてそんな大変な時に、あたしと子履しりはどこにいたかというと、普通にしょうの国に帰っていました。前世日本だったら、こういう対応は非情だと叱られるでしょう。ですがこの世界では、外国人同士の結婚よりも親の世話が第一なのです。極端に言えば、全てを差し置いてでも親が第一なのです。「戦国時代に呉起ごきという人がいましたが、親の葬式に出なかったという理由で塾から追放されたのですよ」と、前に子履が言っていた気がします。


子履の部屋には、まだベッドが2つ、部屋の端と端に分かれて置かれていました。子履はまだあたしと2人きりになるのが苦手らしく、あたしの胸には常に及隶きゅうたいがいます。2つのベッドに向かい合って座って、あたしは子履が力なさそうにうつむいているのを見ました。落ち込んでいる理由は聞かなくても分かります。妺喜ばっきのことですね。


「一緒に散歩でもしましょうか」

「そのような気分ではありません」

「いいですから、いいですから」


と、あたしは立ち上がります。ここへ戻って数日、あと1週間もすれば正月ですから、あたしも子履もこれから忙しくなります。正月が終わったらすぐ斟鄩しんしんに戻ります。2人でゆっくり過ごせる時間は今しかありません。あ、正確には及隶もいます。


「体を動かせば、少しは落ち着きますよ」


あたしは子履に手を差し伸べます。子履は最初はあたしを上目遣いで見ていましたが、「‥‥そうですね」と、力なくその手を握り返します。腰を浮かしたところで、ドアのノックがします。使用人が入ってきて、「お嬢様に命令されたという者が、斟鄩のほうから参りました」と言ってきました。この世界、斥候は何かと役に立つものです。

子履はあたしが反応するより早く立ち上がると、その使用人に飛びつきます。


「その者は今どこにいますか?」


屋敷の玄関の外あたりに、何人かの兵士に囲われてその人は地べたに座っていました。


「どうでしたか、何か情報はありましたか?」

「はい、それが‥蒙山もうざん、その子の喜㵗きびょう喜比きひは敗戦の将として囚われ、食事を拒否して死にました。妺喜は王さまのきさき(※ここでは側室の意)となりました」


その返事に、子履はぴたりと石のように固まりました。後ろに控えていたあたしが横に並んで、その顔を覗き込みます。


「‥‥‥‥食事を拒否して死んだのですか?」

「はい。責任感や自尊心があったようで、みずから食事を拒否なさったようです」

「食事に毒があると警戒でも?」

「毒は関係ないようですし、よう右相うしょうの調査でも入っていなかったようです」

「それで、妺喜は‥妃になったのですか?」

「はい。後宮(※王、きさき、妃、太子などの住居)の一室で暮らしております」

「‥‥‥‥ご苦労さまです。引き続き、妺喜のまわりを見張ってください」


子履の顔は明らかに暗くなっていました。あまりの内容です。考えうる限り、全て最悪の内容でした。あたしには、子履を散歩に連れ出す元気はありませんでした。あたしも及隶も黙って、部屋に戻る子履の後ろを歩いていました。


ベッドに座った子履は、ぼうっと少し遠くの窓から外の空を眺めていました。あたしが部屋のドアを締めると、子履は真っ先に言いました。


喜鵵きつたちは、殺されたのでしょうね」

「でしょうね」


もちろん根拠があるわけではありません。ですが、どう考えてもそうとしか思えませんでした。妺喜が妃になった時、妺喜の親も身分が上がりますので、時として王を困らせることができる立場になります。妺喜が妃になることに親が反対していればなおさらでしょう。なので、妺喜の親は死んでしまったほうが、王に都合がいいのです。


「‥‥‥‥私のせいです」


向かいのベッドに座っているあたしからは、深くうなたれた子履の表情は見えませんでした。


様は何もなさってないじゃないですか」

「いいえ、私はこうの魔法を使って、喜鵵たちを食い止めました。それは間違いでした。私があの時手を出していなければ喜鵵たちは妺喜を奪還し、夏王さまのもとに渡らないようにできたはずです。なのに私のせいで、その最後の望みも砕いてしまったのです。私さえいなければ、喜鵵は死ななかったでしょう」

「そんな、妃の親を殺すなんて誰も想像できませんよ」


あたしは子履に歩み寄って、隣に座ってみます。子履は顔も上げず、すすり泣きをしているようでした。その熱い背中をやさしく撫でてあげます。


「私が間違っていたんです。こんな力さえなければ私は過ちを犯すこともなかったのです。こんな、竜をも倒せる力さえなければ、私はあのようなことなど考えもしませんでした‥‥冷静に考えてみれば、あの王様がそこまでやるのもあらかじめ考慮に入れるべきでした。私は浅はかでした。身の丈に合わないこの力を授かったせいで‥‥‥‥」

「履様は何一つ悪いことをしてませんよ。よく頑張りました」


頭をやさしく抱いてあげますが、子履はあたしの胸の中でまたも繰り返します。


「私の持っている光の魔力がいけないのです。こんな力は、私の身の丈にあいません。正しい人にこそ与えられるべきでしょう。天はなぜ、私のような間違った人間にこんな力を与えたのでしょうか‥‥こんな力に頼らず、まじめに喜鵵たちを口で説得できていれば、今頃は‥‥」


頭だけでは足りないようだったので、子履の胴体を全部抱きしめました。あたしの真横で、子履の泣き声が聞こえます。大丈夫ですよ、大丈夫。


「私のせいで、私のせいで‥‥!」


その真っ赤にほてった体を、あたしはめいっぱい抱いてあげます。大丈夫ですよ、よく頑張りましたね。


◆ ◆ ◆


妺喜は、斟鄩の後宮にいました。本来であれば、蒙山の国に戻る旅の途中だったはずです。しかし妺喜には、もう帰る場所はありません。あの優しかった父親も、うざいくらいに朗らかな喜㵗も、クールで怪しい雰囲気をまとっていた喜比も、そしてあれだけの何の罪もない民も、代々蒙山の国の発展のために力を尽くしてくれた家臣たちも、あの自然豊かな山々や土地も、もう二度と見ることはできないのです。そして、やっとの思いでできた終古しゅうこという男とも、もう結ばれることはできないのです。

後宮に入ってはや2週間、妺喜は周囲の大体のことをすでに調べ上げていました。この斟鄩には、妺喜があんの魔法を使えることを知っているのは学園関係者や王・側近など、数えるほどしかいません。そのことも、妺喜の調査には役に立ちました。

妺喜は机の引き出しにあるノートを取り出します。そして、それをばらばらとめくります。そこには、調べた内容が記されていました。


まず、この国を実質的に取り仕切っているのは羊玄ようげんです。羊玄は厳格ですが、悪いことはしません。多数の家臣から尊敬を集めています。王がたらしない今、斟鄩や夏の国の内政は羊玄が見ています。そのおかげで、この夏の国の民は政情にいくばくかの不安を持ちながらも、普段通りに生活することができています。この夏の国を壊すためには、真っ先にこの羊玄を除かねばいけません。

妺喜には、羊玄を除きたい理由がもう1つありました。羊玄は、岐踵戎きしょうじゅうを側近にしないよう、たびたび王に進言しています。そしてこのたび、妺喜は岐踵戎が連れてきた女だからろくなことはない、そもそも妃になることを決意するまでの経緯が不明瞭であるから安々と王のそばに置けない、と何人かに言いふらしていたと聞きました。朝廷のとき、王の両横にえんえんがいるのですが、そこに妺喜が入れないのも羊玄のせいです。

羊玄をこのまま放置すると、妺喜は後宮から追い出され、最悪殺されかねません。最初に羊玄をなんとかしなければいけません。しかし羊玄は頭も良く、周囲の尊敬も集めている、とても手強い相手です。しかし妺喜には考えがあります。その口は、くすりとほくそ笑んでいました。

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