第171話 子履の後悔
さてそんな大変な時に、あたしと
子履の部屋には、まだベッドが2つ、部屋の端と端に分かれて置かれていました。子履はまだあたしと2人きりになるのが苦手らしく、あたしの胸には常に
「一緒に散歩でもしましょうか」
「そのような気分ではありません」
「いいですから、いいですから」
と、あたしは立ち上がります。ここへ戻って数日、あと1週間もすれば正月ですから、あたしも子履もこれから忙しくなります。正月が終わったらすぐ
「体を動かせば、少しは落ち着きますよ」
あたしは子履に手を差し伸べます。子履は最初はあたしを上目遣いで見ていましたが、「‥‥そうですね」と、力なくその手を握り返します。腰を浮かしたところで、ドアのノックがします。使用人が入ってきて、「お嬢様に命令されたという者が、斟鄩のほうから参りました」と言ってきました。この世界、斥候は何かと役に立つものです。
子履はあたしが反応するより早く立ち上がると、その使用人に飛びつきます。
「その者は今どこにいますか?」
屋敷の玄関の外あたりに、何人かの兵士に囲われてその人は地べたに座っていました。
「どうでしたか、何か情報はありましたか?」
「はい、それが‥
その返事に、子履はぴたりと石のように固まりました。後ろに控えていたあたしが横に並んで、その顔を覗き込みます。
「‥‥‥‥食事を拒否して死んだのですか?」
「はい。責任感や自尊心があったようで、みずから食事を拒否なさったようです」
「食事に毒があると警戒でも?」
「毒は関係ないようですし、
「それで、妺喜は‥妃になったのですか?」
「はい。後宮(※王、
「‥‥‥‥ご苦労さまです。引き続き、妺喜のまわりを見張ってください」
子履の顔は明らかに暗くなっていました。あまりの内容です。考えうる限り、全て最悪の内容でした。あたしには、子履を散歩に連れ出す元気はありませんでした。あたしも及隶も黙って、部屋に戻る子履の後ろを歩いていました。
ベッドに座った子履は、ぼうっと少し遠くの窓から外の空を眺めていました。あたしが部屋のドアを締めると、子履は真っ先に言いました。
「
「でしょうね」
もちろん根拠があるわけではありません。ですが、どう考えてもそうとしか思えませんでした。妺喜が妃になった時、妺喜の親も身分が上がりますので、時として王を困らせることができる立場になります。妺喜が妃になることに親が反対していればなおさらでしょう。なので、妺喜の親は死んでしまったほうが、王に都合がいいのです。
「‥‥‥‥私のせいです」
向かいのベッドに座っているあたしからは、深くうなたれた子履の表情は見えませんでした。
「
「いいえ、私は
「そんな、妃の親を殺すなんて誰も想像できませんよ」
あたしは子履に歩み寄って、隣に座ってみます。子履は顔も上げず、すすり泣きをしているようでした。その熱い背中をやさしく撫でてあげます。
「私が間違っていたんです。こんな力さえなければ私は過ちを犯すこともなかったのです。こんな、竜をも倒せる力さえなければ、私はあのようなことなど考えもしませんでした‥‥冷静に考えてみれば、あの王様がそこまでやるのもあらかじめ考慮に入れるべきでした。私は浅はかでした。身の丈に合わないこの力を授かったせいで‥‥‥‥」
「履様は何一つ悪いことをしてませんよ。よく頑張りました」
頭をやさしく抱いてあげますが、子履はあたしの胸の中でまたも繰り返します。
「私の持っている光の魔力がいけないのです。こんな力は、私の身の丈にあいません。正しい人にこそ与えられるべきでしょう。天はなぜ、私のような間違った人間にこんな力を与えたのでしょうか‥‥こんな力に頼らず、まじめに喜鵵たちを口で説得できていれば、今頃は‥‥」
頭だけでは足りないようだったので、子履の胴体を全部抱きしめました。あたしの真横で、子履の泣き声が聞こえます。大丈夫ですよ、大丈夫。
「私のせいで、私のせいで‥‥!」
その真っ赤にほてった体を、あたしはめいっぱい抱いてあげます。大丈夫ですよ、よく頑張りましたね。
◆ ◆ ◆
妺喜は、斟鄩の後宮にいました。本来であれば、蒙山の国に戻る旅の途中だったはずです。しかし妺喜には、もう帰る場所はありません。あの優しかった父親も、うざいくらいに朗らかな喜㵗も、クールで怪しい雰囲気をまとっていた喜比も、そしてあれだけの何の罪もない民も、代々蒙山の国の発展のために力を尽くしてくれた家臣たちも、あの自然豊かな山々や土地も、もう二度と見ることはできないのです。そして、やっとの思いでできた
後宮に入ってはや2週間、妺喜は周囲の大体のことをすでに調べ上げていました。この斟鄩には、妺喜が
妺喜は机の引き出しにあるノートを取り出します。そして、それをばらばらとめくります。そこには、調べた内容が記されていました。
まず、この国を実質的に取り仕切っているのは
妺喜には、羊玄を除きたい理由がもう1つありました。羊玄は、
羊玄をこのまま放置すると、妺喜は後宮から追い出され、最悪殺されかねません。最初に羊玄をなんとかしなければいけません。しかし羊玄は頭も良く、周囲の尊敬も集めている、とても手強い相手です。しかし妺喜には考えがあります。その口は、くすりとほくそ笑んでいました。
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