第6章 稀代の悪女・妺喜の誕生(下)

第170話 夏后履癸の生い立ち

夏后履癸かこうりきは、夏后発かこうはつと2人目のきさきの子として生まれました。兄にいんがいましたが、これは1人目の后の子で、この后は允を産んですぐ亡くなりました。1つ下の弟は産まれてすぐに占ったところ悪い結果が出たため殺しました。2つ下の弟は散河さんかといい、その下の弟はちょうといいます。

肇は利発で周囲の家臣からの信頼も厚く、これを次の王に推す声がありました(※この世界では長子が後を継ぐとは決まっていない)。しかし夏后発にとって、履癸は前の后が亡くなった直後の寂しさを癒やしてくれた子でありました。肇を推す声が増える中、あるとき、夏后発は家臣の羊玄ようげんに尋ねました。このときの羊玄はまだ若く、黒い髪の毛をしっかりと結んでいました。


「家臣たちは肇を後継者にしたいと言っている。だが、わしには履癸のほうが見込みがあると思っているのだ。どうにか家臣を説得する方法はないものか」


この夏后発は、履癸を愛するがゆえにバイアスがかかっていると羊玄はすぐ勘付きました。


「それでは、履癸殿下と肇殿下で何か勝負させてはいかがでしょうか。例えば木の棒で戦わせるのです」

まつりごとには武力もときには必要だが、この徳ある国でえびす(※異民族)のような野蛮な決め方はしたくない。文道で勝負するべきだ」

「ごもっともでございます。それでは罪人の裁判をやらせましょう」


何人かの家臣たちの見守る中、履癸と肇は何人かの罪人の罪を決めました。肇は罪人の所業だけでなくその悪質性、反省の状況、被害者の声なども聞いて公正に決めたのに対し、履癸は罪の中身だけ見て刑罰を判断しました。家臣たちは口を揃えて肇を推し、夏后発もうなずきかけました。しかし、こう言い出しました。


「他の政務もやらせてみたい。確かに裁判によって公平さは明らかになったが、政治というものはそれだけにとどまらず、知識や正確さ、財務も考慮した効率性も問われるというものだ」

「それではこの西河せいか(※当時のの首都。の北にある。現代の河南省かなんしょう安陽市あんようし湯陰県とういんけん周辺か)の北に安陽あんようという地がございますが、その川が蛇行しているためしばしば氾濫します。上流と下流に分けて、治水をやらせてみせましょう」


そう羊玄が勧めたので、夏后発は実際にやらせてみました。果たして肇は少ない人員を効率的に動かし、目標よりも早く工事を終わらせたのに対し、履癸はその倍の人員と時間を使って終わらせました。肇が後継者にふさわしいことは、発の目から見てもあきらかでした。発はやむなく肇を後継者に指名しました。


しかし不幸なことに、その1ヶ月後に地震が起き、肇の工事した部分の堤防が崩れ落ちましたが、履癸の部分は何ともありませんでした。時間がかかっても頑丈なものを作れるほうがよいと言って、家臣の一部は履癸を支持しました。発は、一度肇を後継者として天下に示した以上後には引けないと思い、易者を呼んでうらなわせました。


「肇に国難の相が出ております」

「なんと。肇を跡継ぎにすれば、この国に災害がもたらされるというのか」

「はい、その通りです。この世から遠ざけるべきです」

「では肇を僻地に左遷させよう。の国がいいだろうか。あそこは南鎮なんちん(※会稽山かいけいざんのこと。が死んだ地として知られ、しばしば祭祀が行われている)でもあるから、少々遠いが太子の領地としてふさわしいだろう」

「それはいけません。どこに配置しても、夏は災禍を避けられないでしょう。われわれのいるこの世に存在させてはいけません」


それは発にとって苦渋の決断でしたが、ついに肇を殺し、履癸を跡継ぎとして天下に示しました。


履癸はわがままで自己中心なところがあり、街中で騒ぎを起こすたびに発は頭を抱えていました。それから十年後、発は病床に伏せるようになりましたが、その傍らに履癸、羊玄、關龍逢かんりゅうほうの3人を呼びました。


「わしも長くない。履癸よ、王になるには一つ守らなければいけないことがある。家臣の言うことをよく聞き、従いなさい」

「はい、分かりました、父上」

「今ここでそこの2人に頭を下げ、誓いなさい」


履癸は羊玄と關龍逢にゆうをし、その場で2人の諫言かんげんをしっかり聞くことを誓いました。それを見届けてから、発は死にました。

しかし履癸は斟鄩しんしんに遷都したあと3年の喪に服さず、散河が喪に服しているのを見てぼく(※あやまり。余談だが春秋時代のしんに繆公(ぼく公の別名)という名君がいた)と呼びからかいました。羊玄は何度も諫言かんげん(※いさめる)しましたが履癸は聞きませんでした。ついに履癸は親を大切にしないと諸侯から批判され、一部の諸侯が離反してじゅうに味方したため、履癸は次々とこれを討ち滅ぼしました。しかしこの一連の事件で履癸は諸侯を疑うようになり、ついに何の罪も犯していないはずの岷山氏みんざんしを滅ぼしてえんえんを手に入れました。この2人を侍らせるようになってから履癸は酒に溺れるようになりました。


履癸は自分の悪い性格を理解していました。どうしても感情が先行するのです。しかし、欠点は分かっていても直すことはできないとも考えていました。肇に対する劣等感、そしてこの性格のためにこれから降りかかる災難を恐れていました。履癸はそれを易者に相談しました。


「この国は、たとえ王がいなくてもしばらくは持ちこたえるでしょう」

「ということは、わしは何もしなくていいのか」

「い、いえ、そういう意味ではございませんが‥」


ためらう易者の態度のどこに気に食わないところがあったのか分かりませんが履癸はその場で兵士を呼び出して易者を殺しました。しかしその卜いの結果は、履癸に自信を持たせました。履癸は自分が無能であることを悟っていたので、朝廷(※朝の会議)で何もしないことを選択しました。ひたすら琬と琰を両横に侍らせ、「何もしない王様」を演じていました。自分が何かするよりも全て家臣に任せたほうが国益になると思ったのです。


しかし、女と酒に対する欲は人一倍でした。欲望に任せて生活しているうちに履癸は欲しいものは何でも手に入ると考え始め、そこに妺喜ばっきが現れたのです。強硬手段に出るのを何度も考えては思いとどまりを繰り返していましたが、奸臣かんしん岐踵戎きしょうじゅうの進言により、その最後の砦は崩れました。


◆ ◆ ◆


羊玄は、ある日の朝廷で岐踵戎と夏后履癸に怒鳴りつけました。


「わしは、蒙山もうざん伯は絶対に殺すなと言った。だが、蒙山伯は死んだ。これはどういうことだ?」


夏后履癸が少し首をひねると、岐踵戎が堂々と答えました。


「我々は彼らにきちんと毒のない食事を与えました。妺喜様はお食べになり、蒙山伯や兄弟は食事をみずからの意思で拒否してお死になさったのです」

「本当に本人たちの意思か?」

「はい。彼らには敗軍の将としてのブライドがあったのでしょう」


ここまできれいに答えられては、羊玄もこれ以上は強く言えません。羊玄も情報を持ち合わせているわけではありません。あの牢へ行ったのは、牢番と岐踵戎の2人だけと聞きました。その牢番を探し出そうとしましたが、洛水らくすい(※斟鄩しんしんの北にある川)のほとりで死んでいました。誰かに殺されたのは明らかですが、それを岐踵戎と結びつける情報は何一つありません。羊玄は岐踵戎を睨みつけ、そして夏后履癸を見ました。あれだけ妺喜を求めていたはずの夏后履癸の傍らに、まだ妺喜はいませんでした。代わりに、これまで長く夏后履癸の横にいた琬・琰が、今もその両横にしっかりと座っていました。

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