第165話 光の魔法、そして

羊玄ようげんは、それを屋敷の中から目撃していました。

羊玄は文官であり、空から来る災害を防ぐのは軍の役目です。軍を邪魔することはないと考え、下人を何人か様子見に出しますが、自分は部屋にこもってひたすら外の様子を眺め続けていました。公孫猇こうそんこう大将軍は、性格に幼稚なところはあるものの、立派な将軍として周囲からの尊敬を集め続けていました。羊玄にとっても、公孫猇のその面には一目置いていました。

それでも3頭の竜が斟鄩しんしんを攻撃した時、羊玄は目を疑いました。先日、風䅵ふうしゃくは今日起きることをわざわい(※人間によって引き起こされる災害)と表現していました。おそらく、人間が引き起こしたことが、この竜の攻撃に至っているのでしょう。

竜による攻撃によって甚大な被害が発生することは、もはや問題ではないのです。攻撃してきたのが竜だということそのものが問題なのです。竜は神獣であり、吉兆をもたらすことはあっても災いとなることはないはずです。それが攻撃してくるということは、の国が徳を失い、国としての機能を果たしていないと天から見なされたことの他に、適切な理由が思いつきません。明日夏后履癸かこうりきただそうという悠長な話ではないのです。今すぐに夏后履癸を廃せよという天からの命令と受け取られても仕方がありません。


下人が報告します。竜が攻撃した場所は、兵士たちの固まっている道路、荒れ果てて整備されていない空き地など、民に直接の被害が及ばない場所に限られているようです。それでも民に恐怖心、そして夏に対する猜疑心さいぎしんを植え付けるには十分でしょう。

羊玄は魔法が得意といえど、竜と対話できるほど高位の人物であるという自信はそこまでありませんでした。しかし今、対話を試みないと、夏は滅亡に向かってしまいかねません。

使用人に命じて外出の準備を急ぎ、屋敷から出ます。


「馬車は今、急ぎ準備しているところです」

「急げ」

「はい」


高貴な人は馬に直接乗らず、馬車に乗るのがこの世界の常識です。戦争のときですら馬車に乗って指揮をとりますし、戦争に負けて騎馬に追いかけられて逃げる時ですら、一部の将軍や貴族はさすがに馬に乗って逃げますが、王様は馬車を選ぶことが多いです(※前漢の劉邦りゅうほうが戦争で負けた時、馬車から子供を捨てようとしたという有名な逸話もある)。

急ぎたいのはやまやまです。しかしこの危機に国で2番目に偉い羊玄ともあろうものが馬に乗って駆けつけると、やはり夏の存亡を問う危機が来ていたと民衆を確信させ、混乱を招きます。あえて馬車に乗るべきでしょう。


羊玄は馬車に乗り、公孫猇のいる本陣へ向かいます。向かう途中で、後宮の部屋が足りない時に予備として使われることの多い離宮りきゅうの屋上に竜が一頭漂っているのに気づきます。あれは夏の宮殿、そして本陣の目と鼻の先にある建物です。状況は予想以上に切迫しているはずです。


離宮から竜が離れ、そして三頭の竜が一斉に離宮へ襲いかかってくるのが見えました。何かがあったのは確実です。羊玄は馬車の窓から身を乗り出してしばらくそれを眺めますが、運悪く馬車が曲がり角に入ったため建物に隠れてよく見えませんでした。様子をしかと自分の目で確かめたいのと、早く現場に着かなければいけないという事実があってやきもきしているところで、御者の「あっ」という声が聞こえました。轟音が聞こえます。羊玄は反対側の窓から身を乗り出します。建物の影に隠れてよく見えませんが、空中に火の玉ができているように見えました。


「急いでくれぬか」

「はい」


御者は馬を急がせますが、次に大通りに出た時、ことはもう終わった後でした。離宮は無事のようでしたが、羊玄は舌打ちをします。


◆ ◆ ◆


あたしたちは慎重に慎重に屋根を下りて、その建物の3階へ戻ります。


「お怪我はございませんか?」


公孫誉こうそんよがそう尋ねてくるのです。うん、尋ねてくるのはいいんですが、その態度にいらっときます。


「大丈夫ですよ。ところで‥竜が迫ってきた時、なぜ様を守ろうとしなかったのですか?」


あたしでさえ身を張ったのに、そばにいたはずの公孫誉はあの時、腰が抜けて立てていませんでした。やっぱりこの人に子履しりを任せるのは危なすぎます。不安です。この人にとって子履はそれほど大切な人ではないから、あまり守る気がないのでしょうか。相手が誰であろうと身をはろうとする度胸がこの男にないのが残念です。何よりあたしの子履が怪我したり、命の危機にあったりすることがあたしには受け入れられないです。


「それは‥」


公孫誉が力なく、目をそらすようにぼそりと答えたのであたしは「ん」と力みますが、子履が後ろからあたしの袖を軽く引っ張ります。


「あの‥大丈夫です。竜に出逢えば誰だって腰を抜かしますから」

「‥‥はい」


本人がこう言ってしまえばどうしようもありません。あたしは何歩か下がりますが、それでも子履より後ろには下がりません。公孫誉も、それ以上何かあたしたちに声をかけてくることはありませんでした。代わりに、あたしが子履に尋ねます。


「‥大丈夫ですか?寮に戻って休みますか?」

「いいえ。これから忙しくなりそうですから」

「‥‥そうですね」


なにぶん、あの竜を3頭も魔法で倒したとなれば、大騒ぎになるにちがいありません。群衆は集まってくるでしょうし、上からは何度も呼び出されるでしょうし、大変な日々がくることは目に見えています。でも、どんなことがあってもあたしは子履のそばにいますから。いえ、好きというわけではないんですけど。


建物を出ると、やはり何人かの兵士たちが、子履から距離を取るように後退りします。やはり、どこか微妙に気まずい感じです。あたしはぺこぺこと頭を下げながら、公孫誉の後ろについて、子履を本陣の中に連れていきます。

公孫猇が迎えてきて、あたしと子履をテーブルに座らせます。テーブルの周りにはいろいろな将軍が集まっていますが、公孫猇は「おい、女相手にここまで集まることはないだろう。散れ、散れ。は?残る?いや全員だよ全員、出てってくれ」などと叫んで将軍を散らしていきます。

腕を組んで、公孫猇はあたしたちに尋ねます。


「おまえら、色々聞きたいことはあるが、この斟鄩を離れる予定は当面ないか?」


子履は「はい」と即答します。そりゃそうです、学園のこともありますし。あたしは念のため、「学園の2学期が終わった後に帰る予定はあります」と付け加えました。


「そうか。それなら建子けんしの月(※グレゴリオ暦12月相当)のおわりだな。すぐではないか」

「あっ‥」


ああ、そうでした。なんだかんだであたしがげんまで逃げてから戻るのに1ヶ月以上かかってしまいましたから、2学期の終わりもすぐです。ということは、肝心の妺喜ばっきを助け出せないまましょうに帰るということです。どうしよう。いやでも家族が家族ですから帰らなければいけないのでしょう。それを聞いた瞬間、子履の表情も曇っているのが分かります。


「帰りまで早いのなら、今すぐ帰ったほうがいいぞ」


それは公孫猇なりの親切心から来るものでしょうが、あたしも子履も受け入れられるものではありませんでした。子履は「寮に帰って相談します」とだけ短く言いました。公孫猇は「そうか、気をつけてな。上には俺が適当にごまかしておくからさ、それで数日くらいは大丈夫だ」と返すと、テーブルから立ち上がって兵士を集め始めました。

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