第163話 蒙山伯の逆襲(2)

公孫猇こうそんこうは少し笑った後、肘でテーブルを突くように手を組んで、いがつい真顔であたしたちに尋ねました。


「本題だが、竜が来ることを誰から聞いた?」

「はい、昨日、三皇さんこうの廟で聞いてまいりました」


いつもの公孫猇からはかけ離れたあまりに怖い顔だったのであたしだけでなく任仲虺じんちゅうきもたじろきますが、子履しりだけは堂々と答えていました。


「三皇の廟のどこでどのように聞いた?」

「三皇像の前でお祈りをしていると、像の後ろのほうから声が聞こえました」

「どんな声だった?」

「権威のありそうな男の声でした」

「竜の目的は分かるか?」

「分かりません。ただ襲ってくるとだけ」


公孫猇が「ふうむ」と腕を組むと、子履は逆に質問します。


「軍隊を斟鄩しんしんに展開しているようですが、竜に関することでしょうか?」

「ああ、お前たちでも簡単に教えられるような内容じゃないんだ。だがひとつだけ特別に教えてやろう。俺たちは空から何かが来るところまで分かっていたが、相手が竜だということは知らなかった」


そう言って公孫猇は立ち上がると、周りの将軍たちに怒鳴るように命令します。


「相手は竜かもしれない。魔術師と対竜兵器を引っ張り出せ!ついでによう右大臣も呼んできてくれ!」


将軍たちは蹴散らされたかのように走って、騒ぎ始めます。それを一通り見届けてから、公孫猇はまたどすんと長椅子に座って、はははと笑いながら肩を落とします。


「しかし仮に相手が竜だとして、それがここまで襲ってくるとは思わなかったな。このも堕ちたものだ。劉累りゅうるいのことをまだ恨んでいるのだろうか(※夏后孔甲かこうこうこうに死んだ竜の肉を献上した故事で有名)」


と言ったところで、急にどすんと地面が揺れるような大きな衝撃が響き渡ります。あたしたちが慌てて立ち上がって後ろを振り返ると、遠く空に小さく3匹の竜がとんで迫ってきているのが見えました。うわ、大きい、竜ってほんとにいるんだ‥‥と思うやいなや、竜が口からビームを出して、斟鄩に攻撃をくわえています。

火の手はすぐにはあがりません。おそらく広い道路を中心に攻撃しているのでしょうか。兵士たちの悲鳴、怒声が聞こえます。「矢はきかぬ、兵器の準備を待て!」などといった怒号がいくつもとびかいます。民を避難させるための指揮、混乱する民衆を押しとどめるための指揮、夏王さまに状況を報告する人々、兵器を倉庫から引っ張り出そうとする人々、本陣はてんやわんやになっています。


「私も行かなくては」


と子履が椅子から立ち上がりますが、忙しくなった公孫猇に入れ替わってそこに座っていた公孫誉こうそんよという、公孫猇の次男で公孫昂こうそんこうの弟にあたる人が子履を止めます。


「ここにいたほうが安全ですよ。兵器もこの近くにありますから」

「そうもいきません。あの竜を止められるのは私しかいないかもしれないんです。どこかに高い建物はありますか?」

「いやいや、僕はお前たちを止めなければいけないんだ。頼むからじっとしてくれ」


そう言われても子履は座らないどころか、近くにあった宮殿よりちょっと低いくらいの建物を指差します。


「あの屋上に上らせてください」

「危険だ」


という返事を聞くと、子履はばんとテーブルを強く叩いて公孫誉に迫ります。


「私はまもられるべき女子供、ひいていえば外国から来た大切なお客様かもしれません。ですがもとはといえば、私の出身であるしょうの国はせつ(※商の始祖で子履の先祖にあたる)が帝しゅんから姓とはく(※当時の商の国の場所。現在の場所は不明だが商丘付近か)を賜り代々夏のために仕えてきたのであり、夏の忠実な家臣なのです。夏のために命をとして戦う覚悟がございます。この命など、夏の安寧と万民の命を思うと安いものです。ぜひ私を、竜に近い場所まで運んでください。私のことが信じられないのでしょうか!?」


公孫誉はしばらく引いた様子で、しどろもどろで周囲を何度も見回していましたが、みんな忙しくて周囲に話せる相手がいないと分かると観念したようで、「分かりました、でも危なくなったら絶対に戻ってもらいますよ」と言って椅子から立ち上がります。

本当に子履は、夏の安泰のことになると目の色が変わります。


建物に向かう道中、公孫誉はまだうろうろと周囲を探っている様子でしたが、子履にも話しかけました。


「なぜご自身なら竜を止められるとお考えに?」

「それは‥神のお告げを直接聞いた私であれば、大丈夫だと思います」


さすがにこうの魔法が使えると言えるわけではありませんが、それでも話は通じたようで公孫誉は「‥分かりました、でも危なかったら絶対に逃げてくださいよ」と同じ言葉を繰り返します。

そうして、今度はあたしたちの方へ、小声で「この人が何するかわからないので、もう1人誰かついてきてもらえますか」と言ってきます。


「大丈夫です、もしもの時はあたしが何とかしますから」

は過保護なのでダメです」


と言って、子履はあたしの横を歩いていた及隶きゅうたいを拾い上げます。ええっ!?

公孫誉も困惑したようで、控えめの声で尋ねます。


「そ、そんな子供では‥」

「私も子供ですけど?」


少しでも譲歩してはいけないと考えたのか、子履は少し怒っているような様子でした。及隶を胸に抱き上げて、公孫誉についていきます。


◆ ◆ ◆


あの建物は一応は簡単に外国人にあがらせてはいけないものだったらしく、そりゃそうですけど、子履と及隶だけが入りました。あたしと任仲虺は外で待っています。うええ、なぜこうなった。


仕方ないので建物から少し離れて、そこにあったテーブルの上に乗って(食事のためのテーブルだったらごめんね)、建物の天井を見上げます。ちょうど子履が及隶を背負って、3階の天窓から屋上に這い上がるところでした。あれも普通に危ないですよね。ラピュタの飛行船じゃないから大丈夫か。

先にのぼっていた公孫誉がたらしたロープを引っ張って、のぼっていきます。そしてようやく、屋根の尾根のようなところ(※むねというらしいですが中世ヨーロッパの建物に関しても同様に呼ぶか不明)につかまると、そばに垂直に立っている柱のような煙突のような塊にくっついて、バランスを取ります。さいわい屋根はそこまで急な斜面でも滑るものでもなかったらしく、あまり危なさそうには見えませんでした。たまたま近くに平らなところがあったらしく、子履はそちらにうつって空を見上げます。


竜たちは何かを探している様子で、斟鄩のあちこちをしばらく攻撃していましたが、子履はそんな竜たちに怒鳴りかけます。


「神獣ともあろうものが、なぜ五帝ごていより禅譲を受けた正統な王朝である夏を害するのですか!」


すると竜の一匹が反応します。竜の上に人が乗っているようでしたが、この話し声は竜のものらしく、太い声でしたが遠くまで響きそうなほどではありませんでした。


<誰かと思えば、天帝のご加護を受けた者ではないか。お前こそ徳を積む資格を得ながら、なぜ我らを止める?我らはむしろお前の協力を待っていたのだ>


「私は夏を守ることこそが、人民に安寧をもたらす唯一の手段だと考えています。夏を害することに協力はできません。あなたたちも今すぐこの行為をやめ、すみやかに帰ってください。ここは徳ある君主が治める場所です」


<徳ある君主だと?お前は索冥さくめいから何を教えてもらっていたのだ?もしや、生まれながらにして狂っているのではないか?泰皇たいこうよ、もしや人選を間違えたな?それとも伏羲ふくぎが洗脳しているのか?>


この会話、周りに聞こえたらいろいろ危ないような気もします。あたしはちらちらと任仲虺を見ますが、任仲虺も「‥どうしましょう」と少し困っている様子でした。しかし周りからはなぜか「あいつ何を話してるんだ?」「よく聞こえない」という声がします。え、聞こえないんですか?聞こえるのあたしと任仲虺だけ?こんなはっきり聞こえるのに‥‥。

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