第162話 蒙山伯の逆襲(1)

喜鵵きつ喜㵗きびょう喜比きひの3人は、竜に乗って斟鄩しんしんに向かっていました。目指すは妺喜ばっきの奪還です。二日二晩のうち最初の夜は寝ずに駆け進んだのですが、翌日の昼に竜があくびをしはじめたのと「万全な状態で戦うべきです」との兵士からの進言により、2回目の夜は人げのない山を選んで休みました。

そして3日目の朝、出発する前に喜鵵は数少ない兵士を集めて言いました。


「わしたちはこれから王の住居を襲い、しゅを奪い返したあと、竜に乗って逃げる。だが斟鄩しんしんは警備も厳重であり、兵士諸君の中には、今日が限りの人も多いだろう。ただひとつ言っておく。蒙山もうざんの国から脱出するならまたしも、珠の救出は完全にわしの家族の個人的な問題である。他人の家族のために命を捨てることができない奴は今すぐここから出ていってくれ」

「何をおっしゃるのですか、陛下。ここまで来た以上、私たちにもう選択肢はありません。先祖代々お世話になった国のために、覚悟を決めます」

「ああ、なんと心強い。時間も惜しい。生き残った奴とはまた酒を飲もう」


誰一人脱落する人はいませんでした。兵士からの心強い言葉に押されて、喜鵵たちはまた竜に乗って斟鄩へ向かいます。


◆ ◆ ◆


「今すぐ寮に戻るべきです」


あたしと違ってうらないとかそのたぐいを純粋に信じるタイプの任仲虺じんちゅうきは、子履しりの肩を掴んで激しく揺らします。場所はここ、学園から出ていくらか歩いていった距離です。当然あちこちに兵士がいます。


「それだけではありません。竜が来るのであれば今すぐ先生や全校生徒に知らせて、万全の体制をとるべきです!」

「で、でもたかが卜いですし‥」

「卜いは外れることもありますが、神のお告げになると事情も違います。竜は必ず来ます!」


あまりに激しすぎるのでかたわらで茶々を入れようとしたあたしにすら、任仲虺はつっかかってきます。もうすぐ冬の季節だというのに汗を垂らして、顔色はあまり優れていません。あわよくば1人で勝手に帰りたがっているようにも、子履を担いでまで逃げようとしているようにも見えました。子履を竜から助け出す時にあたし1人よりは多いほうがいいと思って任仲虺を連れてきたのは失敗だと悟りました。かくいうあたしも、子履の申し訳程度の護衛として仕方なくついてきただけで、早く帰りたいと思ってます。竜と戦わないのが一番ですし。


「‥‥で、ですよね、様。大切なのは竜を直接追い返すのではなく、学園の生徒達にこのことを伝えて命を守ることでは?」

「竜と対話できるのが、こうの魔力を持った私しかいないのかもしれないのですよ。仮に違っていたとしても私の言う事なら特別に聞いてくれるかもしれませんよ」

「言いたいことは分かりますが落ち着いてください」


などと少し大きめの声を出してしばらくなだめていたところへ、あたしたちのところに兵士たちが集まります。やばい、なだめるのに時間かけすぎたんでしょうか。


「あ、ご、ごめんなさい、この子をなんとかして早く家に帰らせますので」

「そういうことじゃないんだ。君、今、『竜が来る』と言ってたね?」

「は、はい」

「将軍に報告したら、今すぐ連れてこいと言われたんだ。一緒に来てくれないか」

「はあ?」


あたしは目を点にします。さすがにここまで大げさに兵士を展開しておいて、竜が来るという情報をつかんでいないはずがありません。それとも、竜が来るということは機密なので、どこから情報が漏れたかということでしょうか。とりあえずおとなしくついていったほうがよさそうです。


◆ ◆ ◆


そして通されたのは、宮殿の前にあるあの広場です。あたしが饂飩うんどんを献上した時、夏后淳維かこうじゅんいが卜いをしていたあの広場です(※第2章参照)。さすがに大軍がびっしりというわけではないですが、そこそこ大きな陣がありました。ここが作戦本部というところでしょうか。


「この人でございます」

「ああ、ありがとう。僕が対応するよ」


と言って出てきたのは、若めの将軍でした。これでも高貴の家の出身らしく、それらしい紋章をつけた鎧をつけていました。誰かと思ったら、子履がその名前を口にしました。


公孫昂こうそんこう将軍でいらっしゃいますか」

「はい。あなたはしょうの子履でしょうか」

「はい。法芘ほうひの屋敷以来ですね」


ああ、法芘の屋敷にはあたしも同行してるのでこの顔は前に見たかもしれません。が、1回ちょっとしか会ったことのない相手でも顔と名前がすぐに出てくるのはさすが子履です。法芘の屋敷では週変わりで大量の貴族と面会したので、いざそのうちの1人を思い出せと言われても普通は混乱しちゃうんですよね。


「ん、おい、子履が来てるのか?」


その後方から聞き慣れた声が聞こえます。見てみると、やっぱり公孫猇こうそんこうでした。公孫昂は公孫猇の子です。確か長男だったかな。


「おお、やはり子履か。伊摯いしも来てたのか。最近、みせはどうした、やめたのか」

「ご無沙汰しております。わけあってしばらく休養をいただいていたところです」


バイトしている肆には、あたしがげんに逃げる前に「しばらく休む」と連絡したっきりもういちど連絡を入れる余裕はありませんでしたが、この騒動が落ち着いたらまた行こうと思ってます。1ヶ月もあけてしまったので、公孫猇といった常連客は心配しているかもしれません。


こう、こいつらは俺が話したほうが良さそうだ。持ち場に戻ってくれ」

「はい、父上」


と言って公孫昂が行ってしまうと、公孫猇は「こっちだ、ついてきてくれ」と言ってあたしたちをさらに奥へ通します。奥へ?うわ、えらそうな将軍っぽい人たちがたくさんいます。あたしたち商の人ですよ。外国人ですよ。こんなところに通していいんですか。


「座ってくれ」


と言われたテーブルの椅子に座ります。6人用の長方形の大きなテーブル、といっても周囲にあるテーブルと比べると小さい方でしょうか、その長椅子にあたし、子履、任仲虺は並んで座りました。向かいに公孫猇が座っています。


「さて、いきなり呼び出してすまんな、本題だが」


と言ったところで、そばからちょっとした騒ぎ声が聞こえます。向こうに小さく見える兵士たちもちょっと困った様子で、慌てていました。公孫猇は不機嫌そうに立ち上がって、「おい、どうした」と一喝します。

果たして、少し後にかけつけてきた兵士たちの手には、及隶きゅうたいの姿がありました。いや何でここにいるんだよ。


「この平民が近くをうろついていたので捕らえました。いかがいたしますか」


まるでスパイとでも言いたげな口調ですが、及隶は公孫猇とも面識があります。公孫猇は「俺が預かる」と言って兵士を帰らせた後で、「ちゃんと見ろ」とその子をあたしに譲ります。あたしは「は、はい」と苦笑いして、すぐに及隶のほっぺたをぴろーんと引っ張ります。


「寮にいてって言ったよね。何で勝手に来たの?」

「ふぇえ、ふぇえ‥‥」


及隶はとにかく泣いてました。でも困りました。ここまで来てしまうと、わざわざ寮に戻って及隶をベッドにでも縛り付けるわけにもいきません。自分の膝の上に置いておくしかありません。子供はきちんど見ておかなければいけませんね。1歳違いですけど。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る