第160話 三皇の廟にお参りしました

さてその日の夕方、あたしと子履しり妺喜ばっき宛の手紙を夏后淳維かこうじゅんいに届けに行きましたが、なんだか外が騒がしいようです。学園を出てみると、あちこちを兵士たちが走り込んでいたり、歩いて周りの様子を警戒したりしています。明らかにいつもの量ではありません。ただならぬ雰囲気で、ちょっとした恐怖を覚えます。街人たちも戸惑いの表情を見せます。日常生活自体に影響はなさそうですが、それでも兵士以外の人通りはまばらでした。


「一体何事でしょうか」

「さあ。淳維じゅんい殿下に聞いてみましょう」


子履は冷静にそう答えるものの、兵士の多さは不気味の象徴です。体は無意識に、兵の少ない道を選ぶものです。少し迂回して、少し迂回して。

普段通らない道ですが、子履はこのあたりを通ったことがあるようで、立ち止まることなく進みます。あ、目の前にびょうがあります。


「あんなところに、何の廟でしょうね。貴族の廟でしたら、屋敷の敷地の中にあるのに」

「あれは三皇さんこうの廟です。本来の廟は別にあるのですが、三皇全てを一つの建物に入れて、いつでも気軽に祈れるようにと昔の王が作ったものですね」

「へえ」


知ったところで何事もなく通り過ぎますが‥ふと思い出します。


「そうだ、夏休みにあたしが父上から話を聞いた時に『いにしえの三皇』という言葉が出ましたが」

天皇てんこう(※日本の天皇とは無関係)、地皇ちこう泰皇たいこうのことですね」

「いにしえということは、あれは伏羲ふくぎより前に存在していたということでしょうか?」

「さあ。あくまで伝説通りであればこの中国大陸は伏羲が創造し、人間という存在は女媧が創ったといわれていますので、それより前の世界はそもそも存在しないのでしょう。これは私の推測ですが、三皇と同時にいにしえの三皇がいて、かつては彼らが三皇として崇められていたのが、ある時を堺に今の三皇たちが崇められるようになったかもしれません。前世でも、中国神話や三皇の定義が時代によって変わっていったのではないかという研究があったと思います。ですがこの世界でいう三皇は、実際に‥‥‥‥索冥さくめいあたりに聞かないと分からないかもしれませんね」

「なるほど」


この世界には前世と似ていることは多いけれど、違うことも多いようですね。この前子履が馬車の中で話していましたが、ここはパラレルワールドであれば前世の概念がすぐには通用しないところもあるかもしれません。

なんだかんだ話しながら歩いていると、やっと宮殿の近くに着きました。兵士たちがたっぷり、うようよいます。いつもは通れるはずの道も、何人もの兵隊に埋め尽くされています。うわ、これ通っていいんでしょうか。おそるおそる近づいてみると、1人の兵士に声をかけられます。


「おい、どこへ行く?」

「は、はい、淳維殿下の知り合いの伊摯いしと申します。こちらは子履しりです。この手紙を届けに参りました」

「火急でなければ引き取ってもらえないか。今日はみな忙しいのだ」

「これだけ兵士を配置して、一体何があったのですか?」

「それは言えない」

「分かりました」


ま、まあ手紙くらいなら明日でも、最悪来週でもいいでしょう。「仕方がありません、帰りましょう」「そうですね」と子履と会話を交わして、来た道を戻ります。妺喜がいなくなってすでに何日も経過していてこの状況にそこそこ慣れてしまったのと、異常な厳戒態勢でもともと断られる可能性があるのを考えていたのか、子履は冷静でした。


「妺喜のことでしょうか?」

「いいえ、妺喜1人ごときにこれだけの兵を割くことはないでしょう」

あんの魔法を使うようなことがあっても?」

「それはないでしょう。妺喜はたとえ冤罪でも道を外すようなことはしないはずです。私は信じています」


子履は良くも悪くも人を信じるのが得意ですね、とあたしは思いました。あたしもきっと何かを子履に信じてもらっているのでしょう。ずっと子履の隣りにいることを恋愛感情以外の理由で許されていると思うと、むず痒くなってしまうものです。

と、歩いているうちにあの廟が目に入ります。


「せっかくですし今日はあの廟でお祈りしてきませんか?」

「そうですね、ついでですし」


こういうものは普通は午前中に行くのですが、もののついでです。廟の門に入ってみると、他の人たちはほとんどいません。さすがに斟鄩しんしんの王宮近くにあるからか、狭めながらそれなりに整備された境内の中を、建物に向かって進みます。


「うわあ」


建物に入ってみると、あちこちにきれいな装飾が置いてあって、そして目の前に銅像のような‥‥像に金箔を張ったようなものがそびえ立っていました。蛇のような体を互いに巻きつける伏羲と女媧、そしてその隣には神農しんのう像がありました。神農は五行思想も混じって炎帝えんていと呼ばれることもありますが、果たして神農の後ろには、炎を連想させる、今にもゆらゆら動きそうな金箔の像が置かれていました。


特に供物もありませんし、神社と同じような感覚で祈ってみますか。あたしが手を合わせると、子履も「ふふ」と微笑んで、あたしと一緒に手を合わせます。


<お前が偽の三皇の使者か>


ふいにこんな声が聞こえますので、あたしも子履も思わず目を開けます。あたりを探しますが誰もいません。「誰ですか?」と呼んでみますが反応しません。‥‥と思うと、また声がします。


<決してを滅ぼすな。あれはわしらが代々ゆずりあって禅譲してできた国だ。これを滅ぼすことは、われわれ三皇の築いた流れを止めることを意味する>


「分かっています。革命は絶対に起こしません」


謎の声のどこかで感情が反応してしまったのか、子履はそう堂々と答えます。あの言葉を狂ったように索冥の前でも繰り返してますからね、子履は。どんな場面でも堂々と答えられることに妙に納得してしまいます。


<お前の近くに泰皇たいこうがいるはずだ。決して近づくな>


「泰皇‥とは?」


<そして、明日ここに襲来する竜は偽の三皇が仕掛けたものだ。必ず‥‥>


<やめろ!!>


いきなり風が巻き起こったかと思うと、目の前に索冥がいました。ううーっと唸り声を上げて、三皇の像に向かって威嚇しているようです。急に謎の声がしなくなってきました。

索冥はあたしたちを振り返ります。


<いいか、今すぐここを出ろ。我が護衛する。そして、二度とこの廟に近づくな>


「は、はい」


何がなんだか分かりません。索冥のほかに炎駒えんく角端かくたん(※いずれも麒麟きりんのひとつ。索冥の仲間)の2匹も出て、あたしたちの左右を歩きます。ものすごい厳戒態勢です。人目に触れるから消えて‥と言いたいところでしたが、さっきの謎の声のこともあいまって気軽に言い出せるような雰囲気ではありませんでした。

あたしと子履が門から一歩出ると、とたんに3匹の麒麟は消えます。あたしが「様‥」と声をかけようとしますが、子履は少しの間両手で耳をふさいでじっとしたあと、小声であたしに言います。


「角を曲がるまで、絶対に振り返ってはいけないそうです」


索冥に言われたのでしょう。しかし、その子履の言葉からは、何かものものしい雰囲気が立ち込めています。あたしはわけもわからないのに急に背筋が寒くなります。道を兵士が歩いているのすら、そういうものかと錯覚してしまうほどです。


「行きましょう」

「は、はい」


あたしたちは足早に、廟から逃げるように歩いていきます。

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