第158話 光の魔法と徳と背信

いっぽう、あたしと子履しり夏后淳維かこうじゅんいに頼み込んで手紙を書かせてもらえることになり、寮のあたしの部屋に任仲虺じんちゅうきも一緒に集まって、その文面を懸命に考えていました。


「‥こうの魔法があれば」


とたんに子履がそうぼやきますので、あたしも手紙を書く手を止めて、子履に尋ねます。


「光の魔法があれば、妺喜ばっき様を連れ戻すことができるのですか?」

「いえ‥光の魔法で何ができるかは分かりませんが、きっと五行よりも強力な力でしょう。光ということですから、きっと‥王さまを改心させることも‥‥」

「人の気持ちを操るのはあんだけと聞いたことがありますから、光ではできないんじゃないでしょうか」


あたしの推測に子履は返事もせず、少し呆然とした後にまた手紙を書き始めます。そして、もう一度筆を止めます。


「光の魔法は天帝てんていの力といいますが‥天帝はなぜ私の力を止めたのでしょう。索冥さくめいは、私が徳を積むために使おうとしていないと言っていましたが‥私はそんなに私利私欲にまみれた人間に見えるのでしょうか。今も無関係の国のむすめである妺喜を救おうとしているのに、それは穢れた考えなのでしょうか」

「そういうことではないですよ」


‥確かに、光の魔法は未知です。どうすれば発動できるかだけでなく、この力でできることすら分からないのです。わらにもすがる思いで光の魔法の話を持ち出したのでしょう。子履が抱いているのは、もしかしたらありもしない希望かもしれません。


「ささいなことにこだわるなと言っているのではないですか」


任仲虺も口を挟みます。


「‥妺喜が、ささいなことなのですか?」

「『小事に拘りて大事を忘るな』、という言葉があります。わたくしも言いたくはありませんが、妺喜さんよりも優先すべきことがあるのでは」

「えーっと‥仲虺ちゅうき様、仮にあるとして、それはしょうの内政のことでしょうか?」


あたしが質問してみます。あたしも友達に対して言うことではないかもしれませんが、妺喜はあくまで外国の人ですし、夏后履癸かこうりきも外国の人です。外国の人同士の結婚に、あたしたちが口を挟む権利は最初から無いですし、そんなことを気にする暇はないという話なのでしょうか。


「はい、わたくしはそう思います。外国同士の話に首をつっこむのはやめ、自分の領土をよくおさめるべきでしょう」

「仲虺。夏王さまが妺喜を溺愛し国を乱すようなことがあれば、それこそ徳を失したということでしょう。夏が徳を失うことの無いよう未然に防ぐことは、まわりまわって商や周辺諸国にも利益をもたらすはずです」

「確かにあなたかたの言う前世では、そうなっていたかもしれませんが‥‥」


そう言いかけて、任仲虺は言葉につまります。手も止まります。しばらく何か考えている様子でしたが‥‥ここで、あたしのベッドでくっすり寝ていた及隶きゅうたいが急に起き上がります。


たい?今、大切な話ししてるから静かにして」

「‥‥あっ、センパイ。隶、ちょっと怖い夢を見たっす」


などと言って及隶がよちよち歩きしたあと、あたしの膝に飛び込んできます。あたしの腰をしっかりつかんで離しません。もうこうなったら面倒ですね。及隶はぴょこっと机の上に顔を乗せますが、まだ体がふらついています。ねむそうです。

ちょうど手紙を書くのも行き詰まった頃ですし、ちょっとだけ話してみるのも悪くないかも。「どんな夢見たの?」と尋ねますが、及隶はひとつあくびをしてから、ぴょんとあたしの膝から飛び降ります。


「‥そうだ、さっきの話を聞いてたっすけど」

「あれ、やっぱり聞いてたんだ」


まあ前世の話とか及隶には分からないだろうなと思いつつその頭をなでていると、及隶はねむたそうに目をこすりながら言います。


「天命は商にありて、の徳を失した夏に尽くすことこそが天帝に対する背信だ」

「‥‥えっ?」

「と、夢の中で誰かが言ってたっす」

「あ、ちょっと‥」


及隶が勝手に歩いていってまたぽんとベッドにとびこみます。あたしは呼び止めようとしますが、ふうとため息をついて椅子に座り直します。しょせんは子供ですからね。

任仲虺が興味深そうに身を乗り出して「夢のお告げかもしれません、詳しく聞きませんと」などと言い出しますので、あたしは「子供の言うことですから‥」と適当に言ってごまかします。


さんは気にならないのですか?」

「正直、私もそこまで気にはならないのですよ。今までは周りにあわせて興味のあるふりをしていましたが、前世ではそのようなものはオカルトだと言われて信じられませんでしたから。科学が発展するとは、目の前の真実だけを見るということです」


うわ、子履の説明も容赦ないなあ。確かにこの世界‥‥じゃなかった、前世の古代中国で占いが発達する理由も理解できますが、少しは期待させるような言い方してくださいよ。いってるあたしも信じませんけど。


「うう‥前世はよほど無味乾燥な世界なのですね」


任仲虺はそうぼやきます。


◆ ◆ ◆


時間は少し遡って、その日の早朝、蒙山もうざんの国の北の丘では、数十人の兵士をバックに、喜鵵きつ喜㵗きびょう喜比きひの3人が並び立っていました。

その目の前には、広萌真人こうぼうしんじん、そして3匹の竜がいました。


この世界では竜は神のようなものとして崇められ奉られています。夏の国に竜を管理する役職があるほどです。そのようなものを目の前にして、喜㵗は「おっ」と思わず声に出し、喜比は一瞬立ち止まっていましたが、喜鵵は顔色一つ変えず、まっすぐ広萌真人を見ていました。


「ほう」


広萌真人がひげをいじりながら笑います。喜鵵の表情をもう一度確認します。


「やはり来たな」

「はい、まいりました」


喜鵵は2人と一緒に地面に膝をついて、頭を下げます。


「真人のおっしゃる通り、しゅは夏王にとらわれ、夏の兵が帝丘ていきゅうよりこちらに向かって進軍しております。蒙山の国は、このままでは滅ぶでしょう。私達が頼れるのはあなたしかございません」

「うむ。ひとつ策を授けるが、これを実行すればお前たちは二度とこの国に戻れないだろう。この九州で身を隠しながら暮らすか、あるいはえびす(※異民族)の一員として過ごすことになるだろう」

「承知しております」


広萌真人の言うことで、喜鵵はこの真人が何を考えているかを一瞬で悟りました。確かにここで行動を起こすということはどちらにしろ夏に反抗することになるので、必然的に自分たちはこうなるでしょう。


「帝丘軍はお前を斟鄩しんしんに連れることなくここで殺すだろう。このままここで待っていては、お前らを待つのは破滅のみだ。そこでわしはこの竜を貸そう。この竜にそれぞれ1人ずつといくばくかの兵を乗せれば、三日三晩で斟鄩に着く」

「三日三晩でございますか」

「そうだ。そして、斟鄩に乗り込み夏の後宮を襲撃し、むすめただ1人を救うのだ。斟鄩に天帝のご加護を受けた人がいる。その人がお前の助けになるだろう」


喜鵵はこくんとつばを飲み込みます。‥が、前かがみになってしまうのを止めて、質問します。


「この国のたみはどうなるのでしょうか?」

「気の毒だが、せめて周囲の国に散ってもらってくれ」


こうして喜鵵、喜㵗、喜比はそれぞれ数人の兵士とともに竜に乗り、残った兵士たちには民衆を他の国へ逃がすよう命じます。出発‥‥直前に、喜鵵は竜の上から広萌真人に尋ねます。


「お尋ねしますが、天帝のご加護を受けた人とはどなたでしょうか?」

「行って確かめよ。その者は光の魔力を持ち、天命を託された者と聞く。いずれ夏は滅び、諸侯はその者に従うであろう。禹の再来となるだろう」

「あの夏が滅ぶとは‥それほどの者が、すでに」


禹は九州を明らかにし、九山を治め、九川を導き、複雑だった税制を五服制度をもって簡素にし、武器の生産をやめ、無駄な工事をさせず、あまりの手腕に、当時禹が仕えていた帝しゅん(※五帝最後の人。当時禹は舜の家臣として世を治めていたがこれは『史記』の記述に準ずる)が以下の言葉をのこしたほどです。


 股肱ここう喜ぶかな、元首げんしゅ起こるかな、百工ひろまるかな

 (※家来がまじめに仕事に励み、舜の名声が上がり、民も街も栄えるさをあらわす。なお『史記』ではこのあとに皋陶こうようによる応歌が記されており、元首が正しければそうなるが元首が誤っていれば逆の結果になることが強調されている)


帝舜の死後、商均しょうきんから帝位を手に入れた禹は夏を興し(※舜は後継者を禹と指名したが、禹は三年の喪のあとに帝位を舜の子にあたる商均に譲っていたが諸侯は従わなかった)、諸侯だけでなくえびすも競うように禹に朝貢(※貢物をし、服従を誓うこと)し、夏の400年間にわたる発展の基礎を築きました。その禹に並び立つのであれば、間違いなくその人は夏のあやまりを正し、乱れた世をおさめる、まさに歴史に残る名君となるでしょう。

そのような名君がすでにこの世に誕生し、斟鄩にいるということに、喜鵵は興奮を隠せませんでした。


竜は蒙山の国をち、斟鄩に向かってとびはじめました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る