第156話 妺喜との面会と夏后淳維

そうして善は急げで妺喜ばっきは、人殺しの重罪を背負いながらわずか数日で外朝の門から別の場所に移動しました。それとすれ違うように、子履しりとあたしは馬車から飛び降りて、門に駆け込みます。そしてそこに並んでいる嘉石かせきに座る赭衣しゃいたちを探します。探します。ひたすら探します。5人しかいない赭衣の顔を必死で確認します。ですが妺喜はいません。何度探しても妺喜はいません。

すぐに衛兵に尋ねます。


「妺喜という人がここにいませんでしたか?」

「ああ、それなら貴人だからということで、ついさっきこの中に連れて行かれたよ」


衛兵の指さした先は王宮などの入る門の中です。あの中に入るにはさすがに特別な許可が必要です。


「今すぐ妺喜様にお会いしたいです!」

「いや、それは無理だと思うよ、あれは陛下や貴族が‥‥」

「そこを何とかお願いします!」

「いや、無理だ。君たちのような人はこれまでたくさん見てきたが、俺はただで通したことはなかったよ。ああ、あの貴人はきっともうここには座らないだろうね」


それであたしと子履は顔を見合わせます。「どうしますか?」とあたしが尋ねると、子履は「寮に戻れば用意できます」と返事します。わかりにくいですけど、衛兵は賄賂を要求しているのです。まあ通行料のようなものだと思えばいいのでしょう。

と、そこにまた足音が聞こえます。振り向いてみると、その人は高貴そうな服を着て、何人かの護衛をそろえている人で、‥‥見慣れた顔でした。


「どうしましたか?」


その顔を見定める前に、相手から声をかけてきました。あたしは拝を、子履はゆうをします。えっ子履はそれでいいんですか、と思わずそちらを振り向いて見上げた瞬間に、子履が返事します。


淳維じゅんい殿下、実は友人が無実の罪でここに坐石ざせき(※罪人の顔を民に示すために、嘉石かせきの上で数日~十数日間座らせること)をしていたのです。しかし先程宮中に連れて行かれたようなのです」


淳維‥あれ、ああ、そうだ。あたしたちよりちょっと年齢が上くらいのこの少年は、夏后履癸かこうりきの息子にあたる夏后淳維かこうじゅんいでした。ずっと前に饂飩うんどんを献上する時に一度会ったきり‥‥いや、法芘ほうひの屋敷でも、子履と面会する家臣の1人として一度会いました。


「私も経緯は存じています。今日の朝廷ちょうていで話していましたから」

「この待遇は朝廷で決まったことですか?陛下が?」

「はい、父上の提案から始まりました」


子履は何秒か引いたように黙っていましたが、わめくように淳維に尋ねます。


「友人に会うことはできませんか?」

「分かりました、私の方から掛け合ってみます。しばらくお待ち下さい」


夏后淳維はそう言って、護衛を1人だけ残して宮中に入ります。あたしはちらっと衛兵を見ますが、衛兵は気まずそうにそっぽを向きます。


「‥‥まさかこんな抜け道があったとは、予想していませんでした」


傍らにいる子履が悔しそうに唇を噛みます。護衛と衛兵の2人がいるので、小声でひそひそ話をしてみます。


「抜け道って‥妺喜様が王さまのきさき(※側室)になるまでの経緯ですか?」

「はい。前世では2つの説があります。説の1つは、けつ(※夏后履癸)が有施氏ゆうしし(※豪族の1つ)をった時に、戦利品として妺喜を手に入れました。もう1つは、妺喜の美貌の噂を聞いた桀が有施氏を脅迫して妺喜を献上させました。そこで私は夏と有施氏の間でいさかいさえなければよいと油断していましたが‥‥今回、それら2つとは大きく異なるものの、結果的に桀が妺喜を強奪する形になりました。まさか桀がここまで積極的に行動するとは思っていませんでした‥‥」

「‥ここはあくまで独裁国家ですよね」

「そうですね‥」


と、子履は目を伏せます。


「‥宮中に入った妺喜があんの魔法で何をやらかすか」

「大丈夫ですよ。仮に桀王の妃になったとしても、妺喜様は以前あったような陰気臭さもありませんし、わりと簡単に宮中に溶け込めると思いますよ」


夏后履癸はともかく、他の人たちはさすがにいい人ですから、妺喜も人見知りなところはありますけどわりかしすぐ仲良くなれるでしょう。ストレス発散できる相手がいるだけでも随分違うものです。

しかし子履はあっさり首を振ります。


「果たしてそうでしょうか‥?」

「えっ?」

「確かに妺喜の根はいい人ですし、話してみれば楽しいです。悪い人などでは決してありません。しかし、悪いことをしないとは限らないのです」

「といいますと‥‥?」

「なにか、妺喜を駆り立てる、想像を絶するような何かが起きるかもしれません」


そこまで言い切った子履の頭を、あたしは優しく、軽めになでてやります。子履は肩を震わせますが、すぐに力を抜いたのか、肩が低くなっていくのがわかります。


「大丈夫ですよ。心配しているようなことはそうそう起きません」

「‥‥そうですね」


子履はすっかりため息をついてしまっています。などと話していたところで、夏后淳維が戻ってきました。しかしそれはやっぱり、浮かない表情でした。


「ご友人ですが、後宮こうきゅうに入れられたようでございます」

「ええっ!?」


後宮といえば、后妃こうひ(※正室と側室)も居住する場所とはいえ、夏后履癸の家そのものではないですか(※日本では后妃のみが住む点で中国と異なる)。罪を犯した貴人を入れる場所は他にいくらでもあるはずなのに、なぜ妺喜がそのような場所に連れ込まれたのか、あたしはにわかに理解できませんでした。嫌な予感がします。先程子履をなだめたばかりだったのに‥‥あたしは子履と同じようなことを考えているのでしょうか。


「それで‥会うことはできますか?」

「父上の‥‥陛下のお住まいです。難しいのではないかと思います」

「面会の時だけ別の建物に移ってもらうことはできますか?」

「さすがに父上の直接の許可が必要でしょう。もともとこの面会自体、役人のお目こぼしでやらせてもらえるようなものです」


夏后淳維にこれ以上迷惑をかける訳には行きません。あたしは「ありがとうございます」と揖しますが、子履はまだ食い下がっています。


「女中のふりをしてでも会えませんか?」

「それは‥‥」

様、淳維殿下が困っておいでです」


あたしもここはさすがに止めなければいけないでしょう。子履も引き際を悟ったのか、「‥‥はい」と力なくうなずきます。


◆ ◆ ◆


妺喜の生まれた蒙山もうざんの国では、喜鵵きつはいつも通り蒙山はくとして玉座に座り、家臣たちと会議を進めていました。そこに役人が1人、入ってきます。


「申し上げます、陛下にお会いしたいと、たい山の広萌こうぼう真人しんじんと名乗る者が参っております」

「広萌真人‥?名前は聞いたことがある。真人(※仙人の中でも上級位に位置する)であれば丁重にお迎えしなければいけない。朝廷は‥もう議題はあと2つだったな。続きは明日にしよう」


そう言って会議を散会させて、喜鵵は役人とともに、早足で客間へ行きます。客間では、白い服を着て白髪を耳の周りにしか生やしていない老人が、ただ1つぽつんと置かれている椅子に座っていました。喜鵵はすかさず、拝をして丁寧に深く頭を下げます。


「ようこそいらっしゃいました。蒙山伯喜鵵でございます。このような辺地にお越し下さりありがとうございます」


などといくつか口上を並べたあと、「どのような用件でいらっしゃいますか」と聞きます。するとそのばか長い口上をずっと黙って聞いていた広萌真人は、退屈そうに一言返します。


「娘の身も知らずに、なんと呑気な父だ」

「‥‥‥‥どういうことでございましょう?」

「お前の娘が昨日、夏王にさらわれたのだ」


と、広萌真人は吐き捨てるように言いました。

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