第155話 斟鄩に戻りました
あたし、もう二度と帰ってこないと心に決めていた
幸せじゃないと言えば嘘になります。うきうきして、今にもふわふわしそうな気持ちです。子履と一緒にいることがこんなにも幸せだと気付かされた後は、学園の景色も変わってきます。
「お二人、やはりお付き合いされていたのですね」
と、横に並んで歩きながら声をかけてきたのは
「お久しぶりです‥」
ああ、付き合ってない、付き合いたくないといろんな人に言っちゃったなああたしは。あたしは若干気まずそうに答えて少し距離を作りますが、子履がストレートに返事します。
「はい。私と
前からって前世のことかな。あたしは前世での雪子との記憶が無いので、「はは‥」と笑ってごまかします。あたし一体前世で何をやってたんですか。そしてあたしは、なんとなく持っていた違和感を口にします。
「さっき『やはり』とおっしゃってましたが、
「はい。学園中で噂になっていますよ。前からべたべたくっついていたので十分有名でしたが、
「‥‥履様、一体何をしてたんですか」
多分いろんな人に頼んであたしを探していたんでしょうね。悪いことしました。子履が「反省するのは摯ですよ」とささやいてくるので、あたしは苦笑いします。ああ、まだ少し怒ってますね。何をしたら許してくれるかということもなく、このままずっと怒っていてほしいような変な気持ちにもなります。
と思ったら、推移が唐突に話題を変えます。
「‥寮ではあまりくっつかないほうがいいですよ」
「えっ、どうしてですか。その‥失礼ながら推移様も
「それもここ数日は控えています」
推移は大犠と物陰でキスしたりいちゃいちゃしたりすることがあり、あたしも他の学生とこれを話題にすることがありました。推移の普段の様子からは熱烈なキスというものが想像できませんが、いわゆるむっつりすけべというやつです。2人とも今でも仲睦まじい‥‥と思いきや、この話です。
「一体何があったのでしょうか?」
「‥何日か前、
「えっ?」
あたしも子履も思わず立ち止まります。
「何の罪ですか?」
「人を殺したようです」
「えっ、ほ、本当に殺したのですか?過失ではないですか?」
「私も詳しく知りません。本人は違うと言っているようでした」
「わ、分かりました、先に行きます!」
あたしたちは推移を置いて、全速力で寮まで走ります。そしてあたしと妺喜の部屋に行きます。いない。妺喜がいない。
「いない‥」
あたしも子履も部屋に一歩入って呆然と立ち尽くしていると、後ろから、荒い息遣いをしながら遅れてたどり着いた任仲虺が言います。
「はぁ、はぁ‥
「あっ」
それを聞くやいなや、あたしも子履も全速力で駆けていきます。階段を上って‥先に息が上がったのは子履のほうでしたが、あたしはその肩を持ちます。そうしてゆっくり、いえ、少し急いで終古の部屋に着きました。
「終古様‥‥!」
終古は机に座って泣いていました。「終古様!」と何度か声をかけますが返事しません。背中をゆすってみて、ようやく終古は顔を上げました。その顔は、涙でぼろぼろになっていました。
「伊摯様、子履様‥‥」
「話は聞きました。妺喜様はどちらに?」
「今はまだ‥
ん、嘉石?嘉石って何でしたっけ?前に聞いたことがあるような気がしますが、そのあとさっぱりです。
「履様、嘉石って何でしたっけ‥‥?」
「私が場所を知っています。急ぎましょう」
と子履がまた走ろうとしたところで、あたしはその手首を引っ張ります。
「終古様、あたしたちと一緒に行きませんか?」
「いえ‥喜珠様にお会いすることは、母上からかたく止められています」
終古はかなり憔悴しきった様子でした。妺喜に会いたいというのがすぐ伝わりました。でも親から止められているということは、よっぽとのことなのでしょう。
「でも会いたいんでしょう?」
そう言って前に出るあたしを、今度は子履が引き止めます。
「それができるならもう会っているでしょう。あの場所は人の目もございますので」
「ああ‥‥」
察しろということです。子履にまでそう言われたらあたし、もう何も言えません。
◆ ◆ ◆
少し時は遡って、その日の早朝、珍しく時間通りに
すると夏后履癸が、
「なあ、あの門にいる女は妺喜か?」
少し静寂が走った後、1人の家臣が返事しました。
「はい。おっしゃる通り彼女は喜珠といい、
「あいつは何をしたんだ?」
「殺人の罪です。彼女は母の仇である奴隷が逃走したのを、斟鄩に至って殺しました」
夏后履癸はわざとらしくうなずいて、しばらく何かを考えているポーズを見せた後、言いました。
「なあ、あいつをわしの名において許したい。美女が
「陛下、それはなりません」
止めてきたのは
「またお前か、關
「古来より、罪人には罪の量に応じた罰を与えるべきといいます。陛下もそのように習ってきたのでしょう。外見ではなく、罪の中身を見るべきです」
「わしはあのような美女が毎朝あんなところにいるのを見たくないと言っておる」
夏后履癸は困ったように、
「關左相、おっしゃることはもっともですが、それには例外がございます。彼女は蒙山の国の貴公子であり、他の罪人と同様に扱うには外交上の懸念がございます。せめて雨露の凌げる場所にうつすべきです」
その岐踵戎の発言に真っ先に不快な表情をしたのは夏后履癸のほうでした。しかしそんな表情など振り返っていないのでつゆ知らず、關龍逢は「あなたの言うことももっともだ」とうなずきます。
朝廷が散会になったところで、人気がなくなったころを見計らって夏后履癸が岐踵戎に問い詰めます。
「おい、なぜ話を大赦にもっていかなかった?」
「陛下、ものごとには順序がございます。脈絡もなくあのような話を振っては、かえって反感を買うばかりでしょう」
「ならどうすればいいのだ?」
「幸運にも、先程決まった措置で妺喜を人目のない場所に連れていくことが可能となりました。こうなればもうこちらのものでございます。多少なり時間はかかりますが、私にお任せください」
岐踵戎はそう言って、不気味にほほえみます。
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