第154話 妺喜が牢に入れられました

妺喜ばっき赭衣しゃい(※罪人が着る赤い服。赤は目立つことから逃走を防ぐために採用されている)に着替えさせられ、役人にこく(※手枷)と(※足枷)の紐を引っ張られながら街中を歩きます。斟鄩しんしんの人々はみな注目します。これまでにも罪人がこの通りを歩くことは頻繁にありましたが、今日はきちんと整えられた髪の毛、人よりは上品な歩き方をしており、服こそ赭衣で画一化されていますが身分の高い人であることはあきらかでした。妺喜は赭衣に負けないくらい顔を赤くして、はたしで、ひたすらうつむいていました。


この世界ではだいという本格的な牢がありますが、斟鄩からは離れた場所にあります。代わりに、その台へ繋がれる人たちを一時的に留め置く場所、軽犯罪者を数日だけとめる場所などとして、斟鄩のはずれに簡易的な牢が設置されています。牢は現代のように柵のついた部屋ではありません。丘のように盛り上がったものが地面にいくつもあって、その丘に円い筒状の大きな穴があいています。窓もなければ天井もありません。重罪を犯した人は梏、桎、きょうの3つをつけられてこの中に入ります(※なおこれはしゅうの時代の資料によるものである)。むろん魔法の使える貴族向けにいろいろ対策しているしろものでもあります。

またこの世界にも、現代日本にあるような懲役(※2022年に拘禁に変更となった)に似て、何らかの労役が課されています。これをこの世界の言い方で徒役とえきと言います。しかし牢や台に入ったばかりの人は徒役に服する前に、坐石ざせきといって、あの夏后履癸かこうりきも仕事している宮殿の門の左に置かれる嘉石かせきという、罪人を諭すような素晴らしい言葉の書かれた石の上に座らされます。この石の上で数日、重罪人の場合は十数日以上過ごして、罪を犯した人の顔を民衆に示します。


妺喜がそこに座らされてからも終古しゅうこは役人にお金を払って1日3度は妺喜と話していましたが、数日たつと実家に呼び出されます。終古にとって学園は斟鄩の中にある実家からも通える距離なのですが、家の方針で寮に泊まっていました。実家で父と母に諭されてからは終古はそこへ行くのをやめ、せめてもと手紙を人づてに渡して妺喜に知らせます。

終古は代々史令しれいという官職を受け継いてきた由緒ある家の一員として、罪人との交流を持たないというつらい選択をせざるを得ませんでした。斟鄩の街中には伏羲ふくぎ女媧じょか神農しんのうあわせて三皇さんこうをまつるびょうがあり、すがるように毎日何度もそこに通っていました。


◆ ◆ ◆


同じ頃、子履しりはまるで猫のように、げんから斟鄩に向かう馬車の中で、隣りに座っているあたしに抱きついてきては、首をぺろぺろと舐めたり、頬をこすってきたりします。そこまではかわいらしいんですが、たまに耳元で「もう逃げないでくださいね」とか「絶対に逃がしませんよ」とか「私から逃げられると思わないでくださいね」とか言ってくるのが、まあ気持ちはわかるし悪いのはあたしなんですが、ヤンデレみたいに気味の悪いものでした。


「でもは私のことが好きでしょう?」

「あー‥‥ライクであってラブではありませんから」


子履が連日しつこいので、あたしはいたずらっぽくそう言ってみますが、子履はあたしの耳を引っ張ります。


「小学生ですか!?」

「小学生です!」


そりゃこんなことやらかしてはいますが、一応は前世基準ですと小学生ですからねあたしら。子履は10歳、あたしは8歳ですし。しかもこれは虚歳きょさいといいますから、前世日本と同じ歳の数え方をすると9歳と7歳ですよ。小学4年生と2年生ですよ。前世の記憶があるからまだいいんですけど、本来は及隶きゅうたいくらい無邪気なのが普通です。いや及隶も恋の話とか大人の話とかするんですけどね。

一方の任仲虺じんちゅうきは子履と年齢は一緒ですが、どこか大人びたところがあります。子履も任仲虺と同じくらい大人だったらよかったのになあ。と思って見てみると、任仲虺も及隶も白い目であたしたちを見ています。


「その『小学生』というのは、『前世』というものの言葉なのですか?」


あ、そういえば任仲虺にはまだ前世のことを説明していませんでした。うーん、ついでですし今ここで説明しましょうか、馬車の中なら盗み聞きされる心配もありませんし。


「今話しますか?」

「むう‥それがいいですね」


あたしといちゃいちゃできないと踏んだ子履はやれやれと椅子にもたれます。


「『前世』という言葉は、通常は三皇五帝さんこうごていがこの世を治めていた徳ある時代をさしますが、私と摯は違う使い方をしています。私達の知っている仏教という宗教では、輪廻転生りんねてんせいという概念がとなえられました。人は死ぬとまた別の人として生まれ変わり、それを繰り返すというものです。ここで生まれ変わる前の人生のことを前世と呼んでいます。おそらくこの世界でこれから広まる道教どうきょうという宗教でも、似た概念が出てくるでしょう」


えっ、前世って宗教の言葉だったんですか。いやあたしも初めて知ったよ。いや前世日本ではいろいろな宗教がうまく日常生活に溶け込んでいる感じがあったから、知ろうとしなければ知らないことだったかもしれません。


「死んだ後、別の人に生まれ変わる‥‥ですか?」

「はい。その通りです。例えば仲虺ちゅうきも、せつの公子として生まれる前は、どこか別の国の公子として死んでいたかもしれませんし、もしくは平民だったかもしれません」

「でも、わたくしには生まれる前のことは分かりません」

「はい。生まれる前の‥‥前世の記憶を持った人は、非常に限られています。私と摯は前世の記憶を持っています」


そこからも子履が説明します。あたしに長々と説明するときと違って、このときの子履は相手がこの世界の人間であることをわかっているようでした。任仲虺も何度か質問しますが、子履は丁寧に答えます。

及隶はあたしの膝の上にうつっていました。あたしは及隶の頭をなでます。


「‥‥なるほど。前世で2人は同じ場所で勉強をしていたのですね。そして、そこで知り合って、女性同士として付き合い始めたと‥」

「はい。摯にはその記憶は残念ながらないようですが」


と言って、子履はあたしの手を握ります。自分の知らないところでそうだったことにされている気がしてあまりいい気分はしませんでしたが、その手だけは、よく分かりませんでしたが暖かくて、体の力が抜けるようなものでした。


「そして、この世界は前世にあった歴史書の内容とよく似ているのです。前世の歴史書にも夏という国があって、その前に三皇五帝の時代があったと記録されています」

「‥‥それでは、あなたたちは未来から来たということですか?」

「いいえ。確かに政体や社会は前世の記録とよく似ていますが、あのような立派な建物までは記録にありません。もっと粗末な建物であったと言われています。そしてそう王即位の催しのときにあった千歳せんざい合唱というのも、前世の記録ではもっと後の時代に始まったはずです。五行、紙もこの時代にはありませんし、文字ですらここまで字形がきちんとしているものは前世では隷書体れいしょたいと呼ばれ、もちろんこの時代には存在しません(※現代で使われている楷書体かいしょたいとよく似ている。そもそもこの時代に文字は一応存在するがそれが漢字なのかは考古学で明らかになっていない。ただし漢字は黄帝こうていの時代に発明されたという伝説がある)。斟鄩学園のようなちゃんとした教育施設や体系的な教育システムも存在自体が不自然です。テーブル、パンは九州きゅうしゅう(※ここでは中国全土をさす)の外から伝わったものですから、もちろんありません。また加上説かじょうせつというのですが、夏の時代には黄帝までは認識されていたものの、三皇さんこうの存在はさらに後の時代から認識され始めたとも言われています。確かに似ているところは多いですが、異なるところも非常に多いです。このことから私は、この世界のことをパラレルワールドだと思っています」

「パラレルワールドとは何ですか?」


うへえ、そこから説明が必要なんですか。子履がはっきり、任仲虺にも分かるように丁寧に説明しているのはすごいなと思いました。隣から聞いても説明がわかりやすく、概念を持っていない人にも伝わりそうな内容でしたので、あたしは改めて子履のすごさに気づきます。まあ、たまにあたしの耳元に中国史をたらたらささやくのをやめてもらえれば完璧なんですけどね。

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