第5章 稀代の悪女・妺喜の誕生(上)
第153話 妺喜が連れ去られました
その男は姓を
最近の夏后履癸の様子がおかしいのは、誰の目に見ても明らかでした。朝廷(※朝の会議)をしているときにも、夏后履癸はなぜか右と左に
家臣たちは落ち着いたを通り越してそわそわしていて足取りもおぼつかない様子で、朝廷の終わりとともに早足で大広間を離れました。しかしその中で岐踵戎は、その原因に感づいていました。
岐踵戎は夏后履癸の部屋に行きます。さいわい、いつも横にいる女はなく、夏后履癸は1人きりで椅子に座ってぼうっとしていました。岐踵戎が
「陛下、ご心配事がおありとお見受けします」
「ああ‥‥」
「
夏后履癸は目を大きく見開きます。図星だったのでしょう。それから「‥ああ、お前はなぜすぐに分かるんだ。女と喧嘩したとか、朝食が美味しくなかったとか、他の理由を考えるだろうと思っていたのに」とぼやきます。
「私も並の家臣ではございません。ここ最近、陛下はお悩みでおいでです。それまでは他の女でごまかしてきましたが、ついに我慢できなくなったとお見受けします。これは、そう、先月の祭りの日に偶然その姿を見たためでしょう」
「うむ。他の男と一緒にいたのだ」
そう言って夏后履癸はため息をつきます。妺喜と
「わしはあの男を殺さねばならぬのか」
「いいえ、殺すべきではありません。私がかたわらで見た限りですと、あの男は
「なんということだ。終氏は名士のひとつだ。その後継ぎを殺してしまっては、どうしようもないだろう」
そこで岐踵戎はにやりと笑います。
「
「おお、それでは男を殺さずに
「いいえ、これも卜いでございますが、彼女には殺人の罪がございます」
「な、なに!?」
夏后履癸が慌てて椅子を立ち上がります。卜いの結果と言えば何でも信じられた時代です。
「殺人といえば重罪だぞ。
「幸い、殺したのは奴隷のようです。情状酌量次第では大辟を回避できるでしょう」
「いや、しかし‥‥」
「陛下の心情、拝察いたします。しかし、大罪を犯しながらこれを減刑できる方策がただ1つございます」
「それは‥‥?」
「陛下の恩赦でございます」
夏后履癸はまた椅子にもたれます。
「して、殺した理由は?わしも殺されてはかなわぬ」
「奴隷は妺喜の母に毒を盛ったのでございます。妺喜の母は精神を病み部屋にこもっておりますが、その元凶がくだんの奴隷なのです。
「なるほど。復讐であればわしも減刑がやりやすくなるだろう。だが妺喜は
「そんなもの、恩赦のご恩でどうにかなるでしょう。むしろ命を助けてもらった陛下に心服し、結婚を望むというものでしょう。心配はございません」
「そうか、そうか。今すぐ召し出してまいれ」
「ははっ」
岐踵戎は深々と頭を下げ、その部屋を後にします。こうして意中の女をくっつけることに成功すれば、岐踵戎の立場もさそあがることでしょう。岐踵戎は、蒙山の国や妺喜に恨みを持っているわけではありません。ただ自分の身分が上がれば、それでいいのです。夏后履癸に背を向けた岐踵戎は、これまでこらえていた黒い笑みを顔にたたえます。
先程までおとなしくしていた夏后履癸は一転して、どこか浮足立ったように、落ち着かないように、鼻歌を歌っていました。
◆ ◆ ◆
それは、
股間を押さえて飛び上がるように立ち上がった終古を見て、妺喜は腹を抱えて笑います。
「ははは、愉快じゃ」
「‥‥っ、
「こんな身体、後でどうとでも
終古はちょっとすねたようにゆっくり慎重に座ります。妺喜がすぐ抱きつきます。
「わらわは幼少の時から家の外に友人がいなかったのじゃ。少しは甘えさせてくれ」
妺喜と一緒に本のページを読んでいた終古は何も言葉を発しませんでしたが、それでも妺喜の向こう側の肩に手を伸ばして、軽くなでます。それが妺喜にとってはなんともいえない幸福でした。
にわかに廊下のほうが騒がしくなります。2人とも本を閉じてドアを見ますが、足音がどんどん近づいてきます。そしてドアが開きます。何人もの兵士たちがどんどん部屋に入ってきます。
「ど、どうしましたか‥‥!」
と終古は妺喜を隠すように立ち上がりますが、兵士の1人が言います。
「その後ろにいるのは蒙山国公子・喜珠で間違いないな?」
「はい」
「そいつを殺人の罪で連行する」
寝耳に水でした。終古はぽかんと口を開けて石のように硬直していますが、妺喜も同様でした。兵士たちはかまわず終古をどけて妺喜の身体を持ち上げます。
「違うのじゃ、わらわは人を
「
そうやって兵士たちは暴れる妺喜を捕まえてうつぶせにさせ、まず
兵士が梏に結んだ縄を無理やり引っ張ると、妺喜は「ああっ、はぁっ、はぁっ」と、よろけるように立ち上がります。
「‥‥っ、古っ、古‥」
「妺喜‥‥!!」
兵士に無理やり引きすられていく妺喜は、涙をぼろぼろと散らしながら、見えなくなるまで何度も後ろを振り向いて叫んでいました。
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