第140話 文化祭が始まりました

いよいよやってきた文化祭当日です。


あたしはほんとは朝早くに起きて準備するつもりでしたが、当日に羊玄ようげんが来るかもしれないとみんなに相談した時に任仲虺じんちゅうきが「主役のさんが疲れると困りますから、使用人も雇って楽にしてもらいましょう」と言ったので、準備の作業はほとんど使用人たちがやっています。あたしは案外やることも少なく、楽に現場まで行けました。

今回、あえて宣伝はしませんでした。需要に供給が追いつかなくなると大変なことになりますからね。羊玄様がいらっしゃったあとはさすがに忙しくなるかもしれませんが、その羊玄様にすら食事が届かなければ大事ですよ。今日はあせらず朝からゆっくりやりましょう。


と思って学園のグラウンドまで行きましたが、なんだか長蛇の行列ができています。人気のお店があるのですね、一体どのような料理でしょうか。その行列の横をゆっくり歩いて先を覗いてみると、あたしのお店でした。えっ、何で!?


◆ ◆ ◆


長方形の巨大なグラウンドをコの字に囲むように、出店が並んでいます。その裏で料理人たちが懸命に準備を進めているのですが、あたしは呆然と、自分のところに向かってくるその行列を眺めていました。さすがに他の出店にも人は並んでいますが、うちほどではないです。他の出店は作り置きをしているところも多いのに対し、うちは作りたてを提供するので提供まで時間がかかります。


「準備、できました!」

「‥はっ、ありがとうございます」


料理人たちと、早めに来てくれた貴族たちから声がかかります。貴族もさすがによそ行きのきれいな服ではなく、運動や作業のための白い着物のようなものを着ています。

と、さっき呼びに行かせてた及隶きゅうたい子履しりたちを連れて戻ってきます。


「けっこうな行列ですね」


行列をなぞるようにしてやってきた子履、任仲虺、少し遅れて姒臾じき姜莭きょうせつが集まります。呆れたように子履が言いました。


「今すぐ始めなければ、羊玄様が来られるまでには間に合いません」


あたしがそう言うと、他の人たちもうなずきます。予定を大きく変更して、すぐに料理を始めます。

使用人を何人か出して列の整理をさせます。あたしと及隶は料理人たちと一緒に下ごしらえを始めますが、手の空いた料理人が2,3人できたので、その人達には先に作ってもらうことにしました。あたしがご飯をかき混ぜている傍らで、2~3人がフライパンを激しく揺らします。その強火の熱がこっちまで伝わってきます。


◆ ◆ ◆


その日、妺喜ばっきは花模様のリストバンドを左手首に巻いて、ぎゅっと握っていました。


「おぬし、見ておるかの」


そう話しかけてみます。もちろん返事はありませんが、それだけでいくばくか緊張がやわらぐものです。

妺喜はこそこそと、誰もいない寮の部屋を抜け出して、上の階に行ってひとつの部屋のドアを覗き込みます。終古しゅうこは果たして、その部屋のドアを開けて出るところでした。


「あっ、あ‥」


妺喜は思わず、呼び止めるように声をかけます。終古は一瞬ぴくっと肩を震わせますが、相手を確認して「あ‥おはようございます」と丁寧にお辞儀しました。


「どうしましたか、喜珠きしゅ様」

「‥‥」


妺喜はすぐには声が出ませんでしたが、漢服の中に隠れたリストバンドを、片方の手で袖の上から軽く握ります。


「‥今日の祭り、わらわは連れがないのじゃ。よければ一緒に来てくれないか?」

「もちろんですよ」


寡黙な終古は今日の予定を入れていないだろうと、最初から予想していたとおりではありましたが、妺喜は「‥ありがとう」と今にも泣き出しそうに唇を噛んでいました。すぐに自分のそれに気づいて、妺喜は終古に背を向けます。ですがここで時間を無駄にできません。終古は午後からフードコートの当番があるので、急がなければいけません。


「‥それでは、校門で待つのじゃ。朝食も外でとりたい」

「わかりました」


妺喜はばたばたと廊下を走っていきます。それが階段を降りて、姿を消すまで、終古はずっと後ろから眺めていました。


◆ ◆ ◆


「あーーーー!!」


あたしは悲鳴を上げています。料理中です。料理中です。絶賛料理中です。


「胡椒入れ忘れた!たい、とって!」

「はいっす!」

「すみません、米が少なかったようです」

「今持っていくっす!」

「箸が折れました!」

「持っていくっす!」


及隶は1人ばたばた走っています。及隶のほかにパシリ用の使用人を1人用意すべきだと後悔しましたが今さら遅いでしょう。料理の手を止めないよう、及隶はとにかく走っています。後でごほうびをあげなければいけないやつです。

一方で子履はというと、突然「声が聞こえました。チャーハンを少しもらえませんか」と言って、半人前の乗った皿を持ってどこかへ行ってしまいました。一体何があったんでしょうね。


などと考えながら手を動かしていると、全身をローブのようなもので覆い隠した少女が横から歩いてきます。つかつかと料理人たちの中に混じってきます。注意しようかと思いましたが、その身振りや歩き方ですぐに分かりました。


「‥忙しそうね」


あたしの袖を軽くつまんで離してきたのは、姬媺きびでした。


そう王さ‥」

「しっ」


いきなり遮られたので体がぴくっと反応します。ちょうど自分の調理もいいところまできていたので、少し早いですがここで切り上げて盛り付け担当の料理人に引き継いで、代わりのフライパンを用意してくるまでの間に時間を作ります。あたしは枯木の積まれたドラムのように巨大なバケツの前で、姬媺に尋ねます。ちなみにその真っ黒になった枯木も、使用人が新しいものに取り替えている最中です。


「どうかいたしましたか」

「わたしも手伝うわよ。忙しいんでしょ?」


そ、そりゃ忙しいし1人でも人が増えてくれるとありがたいのですが、よりによって姬媺ですとややこしいことになります。ただでさえ料理は平民の仕事なのに、現役の王様にさせるわけにはいかないのです。実際、姬媺は姜莭や趙旻ちょうびんに遠ざけられてからも、何かにつけてあたしたちを興味深そうに眺めていたのでした。


「新しいタイプの魔法の使い方に興味があるのよ。貴族にしかできない仕事だったら、それでいいじゃない」

「ですが‥一応、姜莭様の許可を取らないと‥」

「それは困るじゃない‥」


と姬媺は、フートの両横を前に押し出して顔を隠しながら、困ったように視線をそらします。それから、多少ばつが悪そうに引き下がりかけたところで、にわかに行列が騒がしくなります。

使用人に聞きに行かせると、すぐ戻ってきます。


「羊玄様が列の後ろに並ばれたようです。スタッフが優先して案内しようとしましたが、羊玄様が拒否なさったらしく」


え、もう?まだ朝ですよ?朝ってことは宮中の行事もあるんじゃないですか?あたしは顔を真っ青にします。そして太陽の位置を見ますが、時刻はもう正午に迫っているようでした。やばいよ、やばい。

あたしは申し訳無さそうに半分目を伏せながら、姬媺を眺めます。


「‥‥姜莭様にはあたしから言いますので、後ろの方を手伝ってもらえますか。あそこなら目立たないので」

「わかったわ」


フートからは口しか見えませんが、どこか嬉しそうに口角を上げて返事すると、姬媺はすぐ後ろへ行ってしまいました。

入れ替わるように使用人が新しいフライパンを持ってきます。真っ白な米、具材、調味料がたっぷり乗っています。料理人によっては2人前、3人前を一気につくるのです。さあて作りましょうかとフライパンを編みに置くと、向かいの貴族が火をつけ始めます。さて集中集中と思ったところで、不意に任仲虺が息を切らして走ってきます。


「すみません、チャーハンを1人前、今すぐ持っていっていいですか。急ぎです」

「わ、わかりました」


客の分を横取りしなければいけないほどの急ぎなんでしょうか。横取りしていいのなら今すぐにでも羊玄に渡したいのに、と思いながらあたしはその後姿を一瞥して、すぐ料理に戻ります。

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