第139話 もう一度索冥のところへ(3)

「願い‥ですか」


<そうだ。お前にはこの世界で成し遂げたいことがあるだろう>


「それは決まっています。この世界から戦争をなくすことです」


索冥さくめいは少し目を閉じて、それからため息をつきます。


<そのために、お前は何をするつもりだ?>


の宮廷の混乱を鎮め、政情を安定化することが第一です。これで内乱は起きなくなるはずです」


<それは履癸りき(※現在の夏の王)が死なない限りは無理だろう>


「いいえ。王が優れた家臣を重用できれば可能です。いくら王が暗愚でも、優れた家臣はそれを補い、この時代を栄えあるものにできるはずです」


あたしはこれを横から聞いていて、子履しりの行動に驚きます。まだ2回しか会っていないはずの神様にこうして堂々と話せるのが本当にすごいです。あたしだったら畏れ多くてとてもできそうにありません。それは子履の意思の硬さによるのでしょうか。言っていることも、これまであたしたちに言ってきたことと何のブレもありません。


<なるほど>


索冥はくすっと笑って、皿にある餅の残り半分をむしゃむしゃと食べます。子履もあたしもその様子を見守っていましたが、やがて餅が尽きた時、索冥は言いました。


<光の魔法は天帝の力だ。ゆえに、多くの制約が課される。お前自身が自分の属性を認めた時点でお前の器量がまだ定まっていなければ、天帝はその力を止める。その力を徳を積むために使うと誓えば、再びその力は解放されるだろう>


「私がこの力を悪いことに使おうとしていると天帝がお考えに?」


<ああ。お前の考えが間違っているのだろう。今、お前は悪帝にくみし、世を乱そうとしていると天帝がお考えになっていることだ>


「えっ?」


<少し考えれば分かることだ。王が嫌うものを諫言かんげん(※悪いおこないをいさめる言葉)といい、好むものを佞言ねいげん(※へつらいの言葉)という。お前の言う優れた家臣とは、諫言が得意な奴らだ。果たして王はこれを重用するだろうか?夏を補佐するとは、もはや佞臣ねいしんを守ることでしかない>


「‥‥」


ここで初めて子履の言葉が止まります。ぴたりと止まって、まるで石のように硬直してしまったようです。


<名君が名君たりうるには、重要な条件が抜け落ちているということだ。これ以上は言うまい。お前の知っている歴史にも好例があるだろう。この世のものを見聞きし、自分の都合と真実を分けて考えることだ>


そう言って、今度は餅の隣に置いてあった菓子の匂いをかぎ始めます。


<‥‥我も一つ聞こう。なぜ我を呼びに、わざわざここへ至る?>


「‥といいますと?」


<お前の家の庭で呼び出したほうが、お前も楽だろう。それに我は生物なまものも好きなのでな>


クッキーのように固まったお菓子を1枚か2枚口に含めると、索冥はそのまま消えてしまいました。


風が消えたところで、あたしが「‥様」と声をかけると、子履はすぐに耳を手で塞ぎます。あれ?あたしの言葉聞きたくないくらいショックなのでしょうか‥‥?と思ったのですが、少しして耳から手を離した子履はすぐ振り返って、「早く帰りましょう」と言いました。


◆ ◆ ◆


馬車に乗り込むと、御者が馬を歩かせ、車輪を動かします。そうしてはじめて、子履は口を開きました。わりと声は小さめです。


「私たち、つけられています」

「えっ」

「索冥が消えた後に私だけ聞こえるように言っていました」


あたしはちらりと窓の外を見ますが、何も見えません。ただ田園が広がっているだけでした。尾行とはえてしてそういうものでしょう。少し遠回りになりますが、早めに人通りの多い道に入って、馬を速めに歩かせます。

一連の動きを黙ってみていた後、あたしは子履に声をかけます。


「‥索冥との話はどうでしたか?」


そこで子履はようやく長椅子にもたれます。


「ショックでした」


単刀直入です。わりとはっきり言いました。そのわりに子履は力なくうつむいていて、愚痴のような口ぶりでした。


「確かに索冥の言うとおりです。ただ漠然と優秀な家臣を夏に押し付けるだけでは、いけませんね。たとえ王が採用しても、遠ざけられては意味がありません」


窓の外を眺めながら、人差し指を自分のももにこすりつけて、くりくり動かしています。明らかにいらいらして心ここにあらずという感じだったので、あたしはそれ以上声をかけませんでした。と思ったら、あたしの膝の上の及隶きゅうたいが勝手に声をかけます。


「お嬢様、これからどうするっすか?」

「あったい、今はちょっと静かにして」


そうやってあたしが及隶の体を持ち上げて頭を丁寧になでていると、子履は窓の外を眺めながら、独り言のようにぼやきます。


「‥‥そうですね。今の王様がお隠れになるまで多少の内乱は仕方がないにしても、私がそれらを抑え込み、政情の安定まで待つしかないかもしれません。夏后淳維かこうじゅんいがあとを継げるよう、様々な讒言ざんげん(※ありもしない悪口)を抑え込むことも大切ですね。目的は少し変わりますが、方法はあまり変わりません」


子履は頬杖をやめて、頭を窓にもたれさせるように置きます。それを聞いて及隶が「やれやれ、これでも懲りないか‥」と小さくため息をついているのに気づいたのはあたしだけでしょうか。


「しかし、こうの魔法は意外と発動条件が厳しいのですね。妺喜ばっき様はわりかし簡単にあんの魔法を扱えていますのに」


子履が少し立ち直った様子だったので、あたしは及隶の頭を撫でながら言います。


「それだけ強力な力かもしれません。この力をものにしたらば、私は必ず夏王朝の存続のために使います。これまで反乱を成功させて新しい王朝を立てることに成功した人は存在しませんし、羿げい寒浞かんさくは殺されました(※いずれも夏に反乱を起こし、一時的に夏の王朝を途絶えさせた)。もし誰かが一度でも反乱を成功させてしまうと、後世で多くの人々が反乱を繰り返し、権力を求めて兵を動かし、罪なき人を殺し、作物を枯らし、世を乱します。そのような事態だけはなんとしても防ぎ、この中華は永遠に夏のものであるということを天下に示さなければいけません。それこそが人民安泰のための唯一の道です。私の考えがあっていることを、この手で証明させてみせます」


子履はしっかりと目を見据えて、しかとした声で返事します。しかしその視線の先にあった任仲虺は、力なさそうに、まるで眠ったように首を傾けて、目を閉じながら首を小さく振っていました。


◆ ◆ ◆


夜も更けるころに、2人の間諜は羊玄ようげんの屋敷に戻りました。


「そうか、やはり索冥が姿を現したのか」

「はい。白い麒麟きりんのような生き物でした」


応接室に通しては目立ってしまうので、自身の書斎に直接入れて報告を受けていた羊玄は、机の上にある読みかけの本を閉じます。


「次からは自宅の庭に呼んでほしいと仰せになっておりました」

「索冥は子履と緊密に連絡をとりあうつもりでもあるのか」

「私たちの耳にはそう聞こえました」

「ご苦労。さがってよい」


2人を部屋から出すと、羊玄はそばに置いてあった紅茶を飲んで、ふうと息をつきます。

そして、読みかけの本を眺めます。麒麟がこの世界に何をもたらしたのか、事細かに記されている本です。


「殺さずに置くには少し厄介だな‥‥」


子履は今は夏にはむかうつもりはないようですが、万が一翻意するようなことがあれば、夏に大きな脅威をもたらすのは明白でしょう。実際、伊摯のいるみせに頻繁に通っているのも、単なる仲良しごっこではなく子履の気持ちを探るのが第一の目的、子履と面識を作って万が一のときに自分に相談してもらうのが第二の目的でした。それだけに早期から子履のことを警戒しています。しかしここで上奏じょうそう(※王様に意見を申し伝えること)しても、王が子履のことを全く気にせず唾棄だきして終わるか、もしくはその場で殺害を命じるかの両極端な二択で終わることは明白です。それだけ王は政治に興味がないということですが、一度殺してしまったものは取り返しがつきません。上奏ひとつだけでも慎重にやらなければいけないのです。


「商に恩を売るよう上奏すべきだろうか‥‥」


確かに今は夏の政治が乱れているのですが、夏が諸侯に重税を課したり極端に多くの物資を求めたりするようなことはしていないので、今のところ商を含め諸侯が夏に反乱を起こす理由はありません。あるとすれば王の権威や栄誉を求めた侵略でしかなく、徳が伴わないため、夏や他の諸侯の抵抗にあって失敗に終わるはずです。そのうえでさらに夏が商のために贈り物をすれば、商が反乱を起こす理由はますますなくなるでしょう。

ですが商が求めているのは食糧です。食糧は夏も欲していますし、食糧を贈ることは夏の民の暮らしがさらに貧しくなることを意味します。どうしたものか、と羊玄は頭を抱えます。


少し経って羊玄は椅子からおりて、窓に寄って外を眺めます。ガラス越しに、真っ黒な空に真っ黒な鳥が何羽もとんでいるのが見えました。

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