第136話 歩瞐に拝を教えました

斟鄩しんしん学園は、平民は許可をもらった人以外は立入禁止です。ですがぶっちゃけ、平民でも貴族が着るような漢服を着ていれば案外ばれません。貴族にもピンキリで、最も貧しい貴族は着る服もそこまで立派ではありません。なので平民でもお金さえあれば、衣服に関するハードルは意外と低いのです。

衣服、そして洗髪などの身だしなみもわりとなんとかなるとして、問題は行儀です。貴族はしっかり歩かなければいけませんし、目上の人に対して礼を失したり(※無礼な振る舞いをすること)、上品に食事できたりしていなければ、平民と疑われることもあります。まあ下級役人の中には教育のなっていない人も多いので、現実的には追い出されるようなことはまずないでしょう。


それでも歩瞐ほばくが気にしていた様子なので、あたしははいのレクチャーをします。正直拝なんて平民は日常的にするものですが、貴族のやる本物の拝を見たことのない人も多く、見よう見まねでやる人も多いです。地面に正座するだけだとか、そもそも座らずひざを丸めるだけだとかいう人もいます。

営業時間が終わったあとの店内でほのかに灯りをつけて、あたしが実演します。


「こういうふうに胸の前で手を合わせて、頭を下げます。やってみてください」

「はい」


歩瞐はけっこうすぐ習得してくれます。まあ拝自体が、やり方さえわかれば簡単ですよね。


伊摯いしは礼儀作法がうまいのですね。さすが貴族と関わりのある人は違います」

「はは、よく言われます。父にも他人行儀になったと言われまして」


あたしがそう言うと歩瞐も苦笑いします。歩瞐から見てもよっぽとそう見えるのでしょう。


「いいですね、私は貴族の生活に憧れてるんですよ」

「ええ、憧れてるんですか‥?」

「はい」


そう言うと、歩瞐はすぐそこにあった椅子に座って、ぼんやりと斜め上を見上げます。


「貴族はきらきらした服を着て、おいしいものを食べて過ごすのでしょう。もちろん政治の仕事は大変でしょうけど。私たち平民は食べ物を切ったり、物を運んだり、面倒な力仕事をしているのに薄給です。貴族は机に座るだけであのような豪華な生活ができるのですから」


確かにあたしもそこはいいと思います。でもそれは貴族のメリットだけを抜き出したものですよ。


「貴族にも権力争いはありますよ。権力争いで負けたらすぐ殺される世界です。それに税をとりすぎて民が反乱を起こした時に真っ先に殺される対象でもあります。華やかな生活は常に死と隣り合わせですから」


あたしがそう言うと歩瞐はくすくす笑います。


「そのようなことはそうそうないでしょう。確かに貴族を望まない平民もいるでしょうが、そのような悲観的な理由で嫌がる人は聞いたことありませんよ。この中華に、そこまで荒廃した国があるのですか?」

「いえ‥」

「どなたかがそのような話をしていたのですか?」

「いえ」

「自分で考えたのですか?貴族でしか知り得ない話なのに?」

「いえ。‥‥あれ?」


と、あたしは自分の頭を軽く触ります。

そういえば‥‥今まで考えたことはありませんでしたが、あたしが貴族になることを嫌がる理由って何がきっかけで思いついたものでしょうか。実際に貴族がそうされていることを見たことはありませんし、誰かから聞いたこともありません。それだけしんが長年平和だったのです。2~300年前には寒浞かんさくの反乱でいろいろあったかもしれませんが、そのような昔のことまで勉強する平民はほとんどいないです。目の前の畑仕事、料理ばかりを考えるので、貴族の生活をそこまで考察する余地はありません。


少し経って、ひとつの考えに行き至ります。もし前世でもあたしと子履しりが‥雪子ゆきこが出会っていたとすれば、その時に雪子から話を聞いていたかもしれません。正直そこまでははっきり思い出せないのですが、あたしが貴族を嫌がる理由を知る機会がこの世界にないとしたら、もう残りはそれしかありません。でもこれはどう説明すればいいのでしょうか。


「‥‥遠い昔に誰かから聞いたような気がします。誰かは思い出せませんけど」


とりあえずそう返事してごまかしますが、歩瞐はまた笑います。


「まだ8歳なのに『遠い昔』なのですね」

「ははは‥」


あたしも笑ってごまかすしかありませんでした。


◆ ◆ ◆


その翌日の昼間です。文化祭ではフードコート以外にも、学生たちによる催しがあるようです。その最たるものが、魔法を使った芸術を披露して得点を競い合う競技です。今日もグラウンドではその練習をしている学生がいて、あたしは「すげえ」と思わず声に出してしまいます。

水の魔法と火の魔法をあえて組み合わせて虹色に輝く竜のようなものを作ったり、土煙で竜巻のような何かを作ったり、みな原始的ではありますが、言葉とおり五元素を使った芸術品を作ろうとしている様子でした。あれほど巧みに操るのは相当の修練が必要になるはずなのですが、2年生はすごすぎます。一体授業で何をしているんでしょうか。と思ったら1年生の中にも、推移すいい姬媺きびがいます。


みんなすごいですね。さてあたしはまた姒臾じきのところへ行ってチャーハンについて相談したいことがあります。寮への帰途を急ぎますと、寮の裏手にある茂みに囲まれた草原で、子履しり任仲虺じんちゅうきと一緒に何か練習しているようでした。子履が、任仲虺の持っている本を読みながら、草原に向かって呪文を唱えています。


「どうかしましたか、様」

「ああ、どこで何をしていたのですか、務光むこう先生から新しい資料が見つかったと言われてこれを預かったのですよ」


あたしは任仲虺が持っていた本を受け取ります。見てみると、題名は「七元素」で始まっていました。それを一目見るとあたしは取り憑かれたようにあせって本を開いて、目次を見ます。


「これは‥‥五行だけでなくあんこうも立項しているではないですか」

「はい。光の記述量は相変わらず少ないのですが、これまでにない情報も見つかったのですよ。例えば呪文例です」

「呪文例」


確かにそこには、光の魔法の呪文例が記されていました。‥‥あれ?見てみると、土の魔法の呪文と全く同じです。あたしが間違ってない?何度もその呪文を丁寧に読み返している途中で、子履が言います。


「どうでしょうか。呪文は金の魔法の文法とあまり変哲はありませんが、貴重な資料です。これをもとに私は魔法の練習をしているところです」

「‥‥履様、これ、土の魔法ですよ」

「えっ?」

「土の魔法の呪文と同じです」


顔を上げてみると2人とも口をあんぐりと開けています。あたしは何度かまばたきしてみますが、2人とも少しも動きません。あたしは本を閉じて、その本に書いてあった呪文を地面に向かって放ちます。

たちまち地面から次々と小さいボールの塊ができて、お互いにくっついて、積み上がって、ゴーレムのような小さい人形ができます。そしてその人形を歩かせてみせます。要はいつかの飲食店の玄関に置いた土人形をさらに小さくしたようなものです。


「ほら、土の魔法ですよ」


と見せてみると、2人とも口を四角にして、飛び出るような目玉で呆然とその人形を見つめていました。

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