第135話 羊玄が来るようです

そして影響はあたしのバイト先のみせにも及びました。斟鄩しんしん饂飩うんどんが有名になったのはこの肆からなので、そりゃそうです。

あたしが斟鄩に戻って何度目かのバイトで来てみると、初手で店長の部屋に呼び出されます。


伊摯いし様、折り入って頼みがあるのです」

「ですから様をつけるのはやめてください。それでどうしたのですか?」

「うちでチャーハンを作れませんか?」


うわ、この話来ちゃったよ。あたしは腕を組んで、首を傾げます。そりゃあたしだって作りたいですけど、現実的ではないです。


「あれは料理の時に強い火を扱うので、屋内でやるのは危険です」

「中庭があります」

「だめです。中庭でも狭すぎます」

「そうか‥‥」


がっくり肩を落とす店長は「問い合わせが殺到してるんだよな‥‥返事するのも大変そうだ」とぼやいています。うん、危険性の問題もありますけど、協力してくれる貴族がいなければいけませんし、その人件費もありますからチャーハンが特段高価になって平民には手が届かない価格になるかもしれません。だいいちこの肆は、饂飩を売り出してから貴族の来客が増えただけで、もとは平民をターゲットにしています。そんな肆に置くような商品ではありません。残念ながら。前世では誰でも食べていたのであたしも複雑な気持ちですが、改めて前世のすごさに気づくなどと。


◆ ◆ ◆


キッチンに戻って働き始めます。さすがに正式な従業員でない及隶きゅうたいを無給で引っ張り出すわけにはいきませんから、あたし1人です。でも代わりに仲いい子ができました。歩瞐ほばくという、あたしの2つ上の女の先輩です。最初その名前を見た時に「水晶の字ですね。あたしも水晶好きですよ。とても美しいお名前です」と言ったのですが、「いいえ、水晶は『日』が3つですが、私の名前は『目』が3つで、別の字ですよ。美しい目という意味の字です」と言われて恥をかきました。「でも他の人からもよく言われますよ。水晶はお好きですか?」と話しかけられて、そこから仲良くなりました。


今も饂飩の注文はぼつりぼつり入ってくるのですが、今日は特に多めです。饂飩の調理方法はすでに他の料理人にも教えてあるのであたしがいない間も出せるようにはなりましたが、小麦粉から麺を作るまではまだまだあたしだけでやっています。そろそろ工場でも作って量産化してもいいと思うんですけどね。


生地をこねて伸ばしているあたしの横で、歩瞐は饂飩の盛り付けの時に使う野菜を焼いています。ちなみにあたしは布を口と頭に巻いていますが、歩瞐は頭にだけ巻いています。


伊摯いし

「はい、どうかしましたか」

「この料理を発明したきっかけが気になるのですけど。伊摯は今までにないタイプの料理ばかり生み出していますので」

「ふふ、内緒ですよ、先輩」


と話していたところで、また店員から呼び出しがかかります。


「申し訳ございません、公孫猇こうそんこう様があなたとお話したいと」

「またですか‥‥」


これのせいで作業の手が止まるのは嫌なんですよね。製麺できるのあたしだけですから。後で歩瞐や他の料理人にも教えるべきですね。歩瞐に小声で挨拶してから、あたしはキッチンを出て口の布を取ります。

はたして客席に、公孫猇、羊玄ようげんの2人がいました。うわいつもの2人です。たしか、店長が貴族向けの対応を何度もとろうとしたのですが、そのたびに羊玄が固辞しているのでこうして普通に一般向けの客席に座っているんでしたね。


「伊摯でございます。何か御用でしょうか」

「おう、そこに座ってんじゃねえよ(※はい)、一緒に飲もうぜほらここに座れ」

「この子供は仕事の途中であろう」


横から羊玄が割り込んできます。相変わらずいかつい、いかにも厳しそうなおじいさんの声です。


「じじいはお硬いから苦手だ」

「わきまえるものはわきまえろと言っておる」


はは‥相変わらずこの2人は仲がいいんだか悪いんだが。少なくともプライベートで2人になっている時点で良いというべきでしょうか。

と思ったら今度は羊玄が話し出しました。多分これが本題ですね。


しょうの公子がわしの息子を探っているらしいか、一体どういった了見であろうか」


あたしは地面に座ったままたらたらと汗を垂らします。えっと子履しり、まだやってたんですか。そろそろこりろよ。少なくともこれ言われた時点でアウトですよね?もうあたしは土下座一択です。


「大変申し訳ございません、様にはあたしからしかとお伝えいたします」

「お前は何か事情を知っているのか?」

「いっ、いえ、何も‥‥」


そりゃ前世の本に書いてあったからなんて言えるわけないですよ。


「わしの息子をおとしめるようなものであれば、百叩きにするものだからな」


うん、おとしめてるところですよ。絶賛おとしめてるところですよ。しかも根拠が前世の本ですと、易者も真っ青になるレベルじゃないでしょうか。


「まあ、あの人も子供だ。次はないと伝えておけ」

「はい、はい、それはもう、厳にお伝えいたします」


あたしの服はもうびっしょりじゃないですか。全身汗だらけなのでもうこれだけでばれちゃったんじゃないでしょうか。


「そっ‥‥それで、他に御用はございませんか‥‥?」

「むう‥‥ああ、そうじゃ。『ジーハン』なるものを今度の祭日に披露するそうではないか」


うん、チャーハンのことですね。めっちゃなまってます。


「『ジーハン』はどう書くんじゃ?字がわからないから史令しれい(※歴史書、暦、占いや祭祀の管理をする役職)が記録できずに困っておる」

「ああ‥‥」


あたしはまたたらたらと汗を流します。えっと、あたし漢字を勉強し始めたばかりですし、饂飩のときは周囲の人が勝手に名前に漢字をあててくれたのでよかったんですけど、今回‥‥漢字あてた人いませんでしたね。そういえば。

えっとえっとえっとえっと前世のチャーハンってどういう字をあてていたんでしょうか。漢字2字でしたね。ハンのところは飯でしょうけど、チャーのところは何ていう字でしたっけ。分かりません。うう、何でこんな時に限って子履ここにいないんですか。


「も、も、申し訳ございません、あたしは字盲じめくら(※文字の読み書きができない人)でございます。このことは履様と相談し、追って連絡差し上げます」

「うむ、わしも当日に行くからその時に教えてくれ」

「えっ、行くってどちらへ?」

「決まっているではないか。学園へ来てお前の『ジーハン』を食べるつもりでいる」


うん。うん。えっ。ええええええっ。えーーーーーー!!!!!!!


「あ、ありがたき幸せ‥‥」


いや幸せじゃないですよ、ただでさえ人手不足なのにの重臣まで来てしまったら困りますよ。話題になりすぎて人が集まります。混乱に拍車がかかります。


そのあと公孫猇から「なあ、お前と商の公子が側室を探しているそうじゃないか。わしにも息子がいるんだ、ぜひ会いに来てくれないか」と言ってきたのであたしが首を縦に振ろうとしたところ、羊玄が「なに、この歳で側室だと?詳しく聞かせてくれ」と割り込んでくるので、この説明も大変といえば大変でした。同性愛の結婚は異例中の異例とはいえ、側室を置いて子孫が残るならまあいいだろうという話になりました。うわ、やっぱり子供を残すのが正義なんですねこの世界では。

そういえば確かこの世界では、正室の子と側室の子は区別していないのでしたね(※区別するようになったのはもう少し後の時代からと思われる)。前世では庶子しょしという言葉があったらしいですけど。

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