第129話 莱朱の本

2学期の最初の授業が始まりました。あたしたちはいつも通り教室に集まって、クラスメイトと挨拶してお互いに再会を喜び合います。‥‥が、そうの国の人がいません。教室には長机が6つ、2列に3つずつ並んでいるんですが、前列中央の長机に「曹」という張り紙がしてありました。

と思ったら、開始時刻ギリギリに、他より一回りくらいきれいな服を着た姬媺きび、そして後ろに姜莭きょうせつ趙旻ちょうびんが控えていました。


「‥‥時刻ギリギリまで待つ必要あった?」


姬媺が目を細めながら、ちらりと横の姜莭を見ます。教室が一気に騒がしくなります。ああ、しょうせつは戴冠式に参加してたからいいんですが、他の人にとっては姬媺の声を聞くのも半年ぶりくらいでしたね。


朝廷ちょうてい(※ここでは宮殿において朝におこなわれる政務の会議をさす。なお通常は、この朝の会議が転じて皇帝/天皇の政務やそれを行う場所を指す言葉として使われる)でも陛下は最後に来るものです。待たされてはいけません」

「学園側との協議通りですと授業開始と同時に来るはずでしたので、これでも早すぎるくらいですよ」


2人がそうなだめると、姬媺は若干気まずそうに、あたしたち学生から微妙に視線をそらしながら、長机の中央の椅子に座ります。いやわかりますよその気持ち。自分だけ特別扱いされると恐縮するものです。

3人はそのまま1つの長机にまとまります。姜莭が、隣の長机のすぐ横に座る子履しりに「おはようございます」と声をかけます。子履、あたし、妺喜ばっきがまとめて「おはようございます」と返事します。


及隶きゅうたい、こっち来なさい」


姬媺が両腕を広げますが、あたしの膝の上の及隶は首を小刻みに振っています。うわあ‥‥。あたしは目で子履に助けを求めますが、ノーコメントと言いたげな感情のない目で返されます。

趙旻がこっちにやってきて、及隶を炊き抱えて持っていってしまいました。うん、及隶、強く生きてね。


少しすると務光むこう先生が教室に入ってきました。教壇に書類を置くと務光先生はまず妺喜を見ます。が、それも一瞬だけでした。次に姬媺を見ます。姬媺の表情はあたしからは見えませんが、それを見て務光先生は何かを思ったのか、「その気持ちは忘れないようにしなさい」とだけ言いました。

ちなみに及隶は姬媺にぬいぐるみみたいに抱かれていました。


◆ ◆ ◆


授業がある程度進んで、ノートを取り終わってあたしはそれを見ます。今回、はじめは頑張って中国語で書いてみましたが、やっぱり途中であきらめて日本語にしてしまいました。もっと勉強しなければいけませんね。隣の子履にも「まだまだですね」と声をかけられます。


「さて授業の最後に、私が夏休みの間に読んで面白かった本を紹介します」


務光先生がことりと机の上に一冊の本を置きます。表紙はえんじ色で、50ページくらいしかなさそうな薄い本でした。


莱朱らいしゅ先生の『西母さいぼ伝説』という本です(※西母:西王母さいおうぼに同じ。伝説上の女性の仙人)の伝説についてまとめた本ですが、各地の民話伝承をしっかり調べて記しているのが興味深いです。現地へ行った形跡は見られませんが、多くの学者たちのことばを集め、多角的に分析しているのがこの書籍の完成度を上げています。薄い本ですが、みなさんも書肆しょしで見かけたらぜひ」


などと言ったところで、教室の隅にある机で書類の整理をしていた卞隨べんずいも立ち上がります。


「務光、そういえば当面の間宿題は出さないんじゃなかったかしら」

「ええ、そうね。そうだ、この本の読書感想文を宿題にしようかしら。簡潔で構いませんので、この紙一枚の半分以上を埋めて書いてもらって、3週間後の授業で発表してもらいましょう」


それを遮るように、あたしの後ろの机の任仲虺じんちゅうきが片手で机を叩き、片手を思いっきり高くあげます。あたしが振り返ってみると、なぜかそれは焦っているかのようにがたがた震えていました。


「先生!あ、あの‥10人分の写本を作るのに時間がかかるのではないですか?」


ああ、この世界にプリンターとか、さらにいえば一昔前の、各文字のハンコを組み合わせて大きなスタンプを作って紙に押していくやつもありませんよね。同じ本をいくつか作りたい時は、写本といって、もとの本を見ながら新しい真っ白な本に文字を1つずつ手書きで写さなければいけません。


「そうですね。この本は売れているようですので、みせ側もあらかじめ写本を用意していると思います。もしなければ、私の知り合いに写本の工場がありますから、7日くらいで作ってくれると思います。本が手に入らなかった人は来週職員室に来てください」


そう言って務光先生と卞隨先生は行ってしまいました。


◆ ◆ ◆


翌日、子履が当たり前のように寮のあたしの部屋まで来てベッドに座って、及隶を膝に乗せて遊んでいたところで、任仲虺が部屋に来ました。なぜか顔を真っ赤にしています。


「どうかしましたか、仲虺ちゅうき様」


あたしは読んでいた本を閉じて、机の椅子から立ち上がります。すかさず任仲虺が聞いてきます。


「な、何を読んでいたのですか‥‥?」

「何って、ああ、これですか、西母伝説です」


あたしは何気なくその本を持ち上げて、任仲虺に示します。


「ど、どこでそれを‥?」

「昨日の午後に様と書肆に行って見つけました。仲虺様はまだお持ちではないのでしょうか?」

「あっ、い、いや、その」


任仲虺はなぜかさっきから外側のドアノブを掴んでいて、部屋に入るつもりもなくドアをちょっと開けただけの姿勢でいます。


「立ち話もなんですから、そちらのテーブルにおかけになりませんか?」

「い、いえ、結構です、そ、その‥‥っ、その本はどうですか?」

「えっ、あたしはいま履様からお借りして読み始めたところですが‥そういえば妺喜様もお読みになってましたか?」


ここまで話したところで、あたしの向かいのスペースの机の椅子に座って、これまた『西母伝説』を読んでいた妺喜も、椅子から立ち上がります。


「わらわもそれを読んでおるが、面白いのじゃ。各地によって内容がまるで違う。特にきょうの国(※そうせつの中間にある国の1つ)のエピソードは興味深いのじゃ」

「あ、う、う、うっ‥‥」


と、任仲虺は返事もせずいきなりドアをばたんと音が立つように閉じて、走っていってしまいます。


「何だったんでしょうね‥‥」


あたしが机に座ったところで、子履はくすくす笑い出します。


「仲虺にもおちゃめなところがあるのですね」


などと意味深なことを言っています。何だったんだ。

あたしは席に戻ってその本を読み進めます。少し乱暴な字使いでしたが、写本ですので作者の字ではないでしょう。ですが本の中身は、わりと1つの物事をいろいろな角度から触れていて興味深いです。妺喜の言っていた通り、地方によって話が若干異なるとか、あるいは名産物に結びつけたその地方ならではの話があったりして興味深いです。この莱朱という人、難しい話をしているはずなのにすぐ頭に入るような簡潔な文章を書いていて、すごく頭がいいかもしれません。あっというまに読み終わってしまいます。


「ふう。読み終わりました。面白かったのですが、分量少ないですね」

「はい。作者も学業で忙しかったのでしょうね」


と子履は及隶の頭を撫でながら答えます。

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