第125話 妺喜と蒙山国

斟鄩しんしんからはるか東、しょうせつよりもはるか東の山あいに、小さな集落がありました。これは蒙山もうざんの国と呼ばれています。そして、妺喜ばっきの生まれ育った地でもあります。

有施氏ゆうししと呼ばれる一族が蒙山の国の領主であり、この領地を治めています。妺喜はその長女ですが、さきに生まれてきた長男と次男がいます。


蒙山の国は斟鄩しんしんから離れていますので、学園から国に帰るのに時間がかかりますし、着いたと思ったらすぐ戻らなければいけません。斟鄩学園の生徒は、故郷が斟鄩からあまりに遠い場合は長期休暇の間に戻らず、卒業まで2年もの間斟鄩近郊に留まることもあります。実際、蒙山の近くにあるらいの国の子辨しべんは帰らず斟鄩から(※黄河)を隔てて北にあるげんという都市に移動して、観光代わりにそこで過ごしています。しかし妺喜は、到着から数日で帰らなければいけないという事情を承知の上で、蒙山の国まで帰っていました。


時間が押しています。妺喜はなつかしの屋敷に戻るとすぐに馬車に乗って、蒙山の国の街並みを眺めていました。実際の古代中国では軒車けんしゃといって、馬車本体の三辺が小窓付きの壁で囲まれて人が中で座るタイプの馬車を王族は使っていました。しかしこの世界では馬車も中世ヨーロッパ風にアレンジされていて、軒車と比べると大きめの窓、そして2人椅子が向かい合った形での4人乗り、または6人乗りのタイプの馬車が主流です。馬車への入り方も、軒車は前から入るのに対し、この世界の馬車では横からドアを開けて入ります。

実際、窓が大きい分、見える景色も派手です。端から端まで本当によく見えます。妺喜はこの景色を目に焼き付けていました。


「わらわは本当に帰ったのじゃな。この国も変わっておらぬ」


そうやって感慨にふける妺喜を見ながら、向かいの席の男がくすっと笑います。この人は妺喜の兄のうち1人で、次男にあたる喜比きひです。少々青っぽい髪の毛をしていますが、緇撮しさつ(※長い髪の毛を後頭部でまとめて玉のようにすること)をして髪を整えています。


「どうしたのじゃ?兄上」

「いや、この街は確かに何も変わっていないが、しゅ(※本作において設定した妺喜の架空のいみな)は以前よりかわいくなったと思ってな。街の風景と並べるとはっきり分かる」

「兄上はまたすぐそうやって女をからかうのじゃ」


妺喜が唇をとがらせると、妺喜の隣に座っている少し太った男が笑い出します。長男にあたる喜㵗きびょうです。


「俺も同じ気持ちだぞ。珠が半年もいなかったから寂しかったんだぞ。でもあさって、すぐ戻るんだろう?」

「‥はい」

「慌ただしいな。来年の春はもどってくるだろうか?」

「そのつもりでいるのじゃ」


妺喜が答え終わると、喜㵗は大きな手でその頭を撫でます。


「珠も大きくなったな」

「‥‥はい、なのじゃ」


そうやってにっこり笑います。


屋敷に戻ると、宮殿の仕事を終わらせたばかりの妺喜の父・喜鵵きつが駆けてきて、妺喜を力強く抱きます。この蒙山の国はとても小さく、冕冠べんかんは使われていません。


「珠!帰ってきたか!」

「帰ったのじゃ!父上!」

「おお、いい子だいい子だ」


喜鵵は妺喜の上半身だけを抱いて、くるくる回ります。妺喜の足が遠心力で浮きます。あははと笑いながら、再会を喜び合います。でも喜鵵はすぐに妺喜を床におろします。


「重くなったな」

「父上、デリカシー!」

「ははは、すまんすまん」


そうやって4人で騒いでいると、すぐに使用人が2階から下りてきます。困った顔をしています。


「申し上げます、皇后陛下がうるさい、静かにしてくれと」

「ああ‥‥」


4人は一斉に静かになります。この皇后というのは妺喜の母にあたるのですが、妺喜があんの魔力を持っていると判明したことをきっかけに家族との仲が悪化し、部屋に引きこもるようになっていました。


「‥‥まあ、気にすることはない。それより早速食事をしよう」

「わかったのじゃ、父上。むふふ」

「何かいいことでもあったか?」

「わらわに初めての友達ができたのじゃ」


妺喜は目を輝かせながら言います。妺喜は闇の魔法が使えると分かると蒙山の国民全員から避けられ、王族でも皇后から嫌われるようになっていました。この蒙山の国で妺喜と仲良くしてくれるのは、父、2人の兄のみです。


「闇の魔力は隠しているか?」

「伝えた上で仲良くなってくれたのじゃ」

「おお、そうか。奥で詳しく聞かせてくれ」


妺喜に生まれて初めてできたという友達の話に、3人とも興味津々です。食事の席で妺喜は質問責めにあいました。それでも妺喜は嬉しそうに、斟鄩で出会った友達について話します。


「おお、しょうの人か。あそこは仁政をしいていると聞く。最高の友達ができたな」

「むふふ。わらわを人として見てくれるのじゃ‥ひっく‥‥」


一通り質問に答え終わった妺喜の目からは、ぼろぼろと涙が流れ落ちます。それを隠し、すくい上げるように、妺喜は自分の顔を覆います。そんな背中を、喜㵗が優しく撫でます。


◆ ◆ ◆


時間の流れは早いもので、あっという間に2日が過ぎてしまいました。屋敷の前で家族と抱き合って「それじゃ、行ってくるのじゃ」と言って馬車に乗り込む妺喜を呼び止めるように、1人の使用人が走ってきます。


「申し上げます、喜珠きしゅ様に早馬で手紙が届きました」

「おう、何じゃ。‥‥務光むこう先生か。どうしたのじゃ」


妺喜は馬車の手前に立ってその手紙を受け取ると、封を解いて紙を広げます。


「なになに‥‥‥‥っ」

「どうした?」


喜比がその手紙を覗き込みますが、妺喜は隠すようにそれを閉じてしまいます。


「どうした、大切な内容ならお父さんに話してみなさい」

「夏休みの課題についてなのじゃ、父上」


妺喜ははははと笑いながら手紙を袖の下に隠すと、改めて礼をして馬車に乗り込みます。

窓から身を乗り出して、ぶんぶんと腕を振ります。家族たちも「春に戻ってこいよ!」と言って、腕をぶんぶん振ります。


蒙山の国は、人口は少ないながらも田舎なりの風情があって、人々は妺喜に対しては冷酷ですが、それ以外とはお互いに譲り合うような和やかなコミュニケーションをとっていることを妺喜は知っていました。おそらく妺喜につらくあたるのは、別に軽蔑しているのではなく純粋な恐怖心があるのでしょう。妺喜は内心、蒙山の民を恨むどころか、ふるさとの大切な一部分だと思っていました。

そして、喜鵵、喜㵗、喜比という3人の家族も、妺喜にとっては宝物です。

そして、斟鄩でできた生まれて初めての友達。家族に自慢できる友達。妺喜の中では、蒙山の国と同じくらいかけがえのない存在になっていました。

妺喜はその全てを失いたくないと願っていました。だからこそ、務光先生から届いたその手紙は家族に見せられなかったのです。


蒙山の国の景色がまだ残る中、妺喜はまた椅子にもたれて、ゆっくりとその手紙を開きます。目をこすりますが、手紙の内容は変わりません。


『喜珠、元気にお過ごしでしょうか。大変残念ですが、二度と学園に戻らないでください。詳しくは書けませんが、あなたは狙われています。いま斟鄩に戻ると、きっと取り返しのつかないことになるでしょう。課題は追って連絡します。必要なサポートもあるでしょうから、手紙をよこしてください』


妺喜はしばらく考えてから、その手紙を丁寧に折って、かばんの奥底に沈めます。そして、横から入ってくる景色は見ずに前を向きます。

学園に戻らないことは、せっかくできた友達を失うことを意味します。それは妺喜にとって2番目に不幸なことで、耐えられないことでした。


馬車は斟鄩に向かって、ゆっくり進みます。

妺喜も、喜鵵・喜㵗・喜比も、この時はまだ考えていませんでした。これが妺喜と蒙山の国の永遠の別れになることを。




★近況ノートに書いたとおり、本話をもって毎日更新を中止します。

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