第125話 妺喜と蒙山国
蒙山の国は
時間が押しています。妺喜はなつかしの屋敷に戻るとすぐに馬車に乗って、蒙山の国の街並みを眺めていました。実際の古代中国では
実際、窓が大きい分、見える景色も派手です。端から端まで本当によく見えます。妺喜はこの景色を目に焼き付けていました。
「わらわは本当に帰ったのじゃな。この国も変わっておらぬ」
そうやって感慨にふける妺喜を見ながら、向かいの席の男がくすっと笑います。この人は妺喜の兄のうち1人で、次男にあたる
「どうしたのじゃ?兄上」
「いや、この街は確かに何も変わっていないが、
「兄上はまたすぐそうやって女をからかうのじゃ」
妺喜が唇をとがらせると、妺喜の隣に座っている少し太った男が笑い出します。長男にあたる
「俺も同じ気持ちだぞ。珠が半年もいなかったから寂しかったんだぞ。でもあさって、すぐ戻るんだろう?」
「‥はい」
「慌ただしいな。来年の春はもどってくるだろうか?」
「そのつもりでいるのじゃ」
妺喜が答え終わると、喜㵗は大きな手でその頭を撫でます。
「珠も大きくなったな」
「‥‥はい、なのじゃ」
そうやってにっこり笑います。
屋敷に戻ると、宮殿の仕事を終わらせたばかりの妺喜の父・
「珠!帰ってきたか!」
「帰ったのじゃ!父上!」
「おお、いい子だいい子だ」
喜鵵は妺喜の上半身だけを抱いて、くるくる回ります。妺喜の足が遠心力で浮きます。あははと笑いながら、再会を喜び合います。でも喜鵵はすぐに妺喜を床におろします。
「重くなったな」
「父上、デリカシー!」
「ははは、すまんすまん」
そうやって4人で騒いでいると、すぐに使用人が2階から下りてきます。困った顔をしています。
「申し上げます、皇后陛下がうるさい、静かにしてくれと」
「ああ‥‥」
4人は一斉に静かになります。この皇后というのは妺喜の母にあたるのですが、妺喜が
「‥‥まあ、気にすることはない。それより早速食事をしよう」
「わかったのじゃ、父上。むふふ」
「何かいいことでもあったか?」
「わらわに初めての友達ができたのじゃ」
妺喜は目を輝かせながら言います。妺喜は闇の魔法が使えると分かると蒙山の国民全員から避けられ、王族でも皇后から嫌われるようになっていました。この蒙山の国で妺喜と仲良くしてくれるのは、父、2人の兄のみです。
「闇の魔力は隠しているか?」
「伝えた上で仲良くなってくれたのじゃ」
「おお、そうか。奥で詳しく聞かせてくれ」
妺喜に生まれて初めてできたという友達の話に、3人とも興味津々です。食事の席で妺喜は質問責めにあいました。それでも妺喜は嬉しそうに、斟鄩で出会った友達について話します。
「おお、
「むふふ。わらわを人として見てくれるのじゃ‥ひっく‥‥」
一通り質問に答え終わった妺喜の目からは、ぼろぼろと涙が流れ落ちます。それを隠し、すくい上げるように、妺喜は自分の顔を覆います。そんな背中を、喜㵗が優しく撫でます。
◆ ◆ ◆
時間の流れは早いもので、あっという間に2日が過ぎてしまいました。屋敷の前で家族と抱き合って「それじゃ、行ってくるのじゃ」と言って馬車に乗り込む妺喜を呼び止めるように、1人の使用人が走ってきます。
「申し上げます、
「おう、何じゃ。‥‥
妺喜は馬車の手前に立ってその手紙を受け取ると、封を解いて紙を広げます。
「なになに‥‥‥‥っ」
「どうした?」
喜比がその手紙を覗き込みますが、妺喜は隠すようにそれを閉じてしまいます。
「どうした、大切な内容ならお父さんに話してみなさい」
「夏休みの課題についてなのじゃ、父上」
妺喜ははははと笑いながら手紙を袖の下に隠すと、改めて礼をして馬車に乗り込みます。
窓から身を乗り出して、ぶんぶんと腕を振ります。家族たちも「春に戻ってこいよ!」と言って、腕をぶんぶん振ります。
蒙山の国は、人口は少ないながらも田舎なりの風情があって、人々は妺喜に対しては冷酷ですが、それ以外とはお互いに譲り合うような和やかなコミュニケーションをとっていることを妺喜は知っていました。おそらく妺喜につらくあたるのは、別に軽蔑しているのではなく純粋な恐怖心があるのでしょう。妺喜は内心、蒙山の民を恨むどころか、ふるさとの大切な一部分だと思っていました。
そして、喜鵵、喜㵗、喜比という3人の家族も、妺喜にとっては宝物です。
そして、斟鄩でできた生まれて初めての友達。家族に自慢できる友達。妺喜の中では、蒙山の国と同じくらいかけがえのない存在になっていました。
妺喜はその全てを失いたくないと願っていました。だからこそ、務光先生から届いたその手紙は家族に見せられなかったのです。
蒙山の国の景色がまだ残る中、妺喜はまた椅子にもたれて、ゆっくりとその手紙を開きます。目をこすりますが、手紙の内容は変わりません。
『喜珠、元気にお過ごしでしょうか。大変残念ですが、二度と学園に戻らないでください。詳しくは書けませんが、あなたは狙われています。いま斟鄩に戻ると、きっと取り返しのつかないことになるでしょう。課題は追って連絡します。必要なサポートもあるでしょうから、手紙をよこしてください』
妺喜はしばらく考えてから、その手紙を丁寧に折って、かばんの奥底に沈めます。そして、横から入ってくる景色は見ずに前を向きます。
学園に戻らないことは、せっかくできた友達を失うことを意味します。それは妺喜にとって2番目に不幸なことで、耐えられないことでした。
馬車は斟鄩に向かって、ゆっくり進みます。
妺喜も、喜鵵・喜㵗・喜比も、この時はまだ考えていませんでした。これが妺喜と蒙山の国の永遠の別れになることを。
★近況ノートに書いたとおり、本話をもって毎日更新を中止します。
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