第124話 及隶が官職をもらいました

入浴を終わらせて更衣室に戻り、服を着終わった姬媺きびを見届けると及隶きゅうたいは「ではたいはこれで」と、趙旻ちょうびんに頭をなでられながら言います。すると姬媺は隣りにいる姜莭きょうせつの肩を叩き、目配せします。


「よろしければこの着替えを部屋まで運んでもらえますか」


そう姜莭が言います。及隶はそれを受け取ると、「分かったっす」と言います。


そうして4人はていまで戻ります。姬媺の大きな部屋まで及隶が着替えを運び入れると、その小さい体を趙旻が持ち上げます。


びんママ、久しぶりっす!」

「隶も久しぶりね、元気でよかったわ」


趙旻が及隶の頭を撫でて懐柔しまくります。そのあいだ、奥の机で竹簡に何か書いた姬媺が、それを持ってやってきます。そして、趙旻に抱きかかえられた及隶に、それをぽんと渡します。


「あんたに辞令よ」

「えっ」


及隶よりも先に目を丸くしたのは、趙旻と姜莭でした。及隶は「辞令って何すか?」と首を傾げています。


「陛下、何をお考えですか?このような子供に官職など務まりましょうか?」

「学園に入学試験があっても、役人に試験はないはずよ。面接はあるけど(※科挙はずいの時代以降)。能力は案外どうでもいいんじゃないかしら」

「でもこの子はまだ子供です。官吏に取り立てるということは、そうの役所に毎日出勤してもらい、俸祿を与えるということです。幼いだけでなく、貴族として教育を受けていませんし(※役人は世襲が通例)、しんしょうの人にいきなりこんなことをして、俸祿に見合う働きができるとでも?」

せつ、落ち着いて」


すっかり前のめりになってしまっていた姜莭の肩を、趙旻が優しく叩きます。その手を及隶の頭上に戻して、頭を撫でながら趙旻は尋ねます。


「まずは陛下のお考えをお聞きしたいです。どのような仕事を与えるのでしょうか」

「身分上は一番下っ端よ。勤務地はわたしのそば、仕事は特になし、出勤日・時間は自由で休む時の連絡は一切不要。俸祿は月俸で1ほう。退職はご自由に。文句はないかしら?」


趙旻は姜莭とお互いを見合って、それからくすっと笑います。2人ともその発言の意図を読み取りました。それは平民と直接話すという根本的な解決にはなりませんが、今までよりは一歩前進したものだと前向きにとらえることにしました。

姬媺はむすっとしながら2人の表情を伺って、そして及隶に竹簡を突きつけます。


「やるの?やらないの?」

「? やるっす」


と、及隶はそれをためらいなく受け取ります。


「それでは私は商の人にこのことをお伝えしますね」


そう言って趙旻が及隶をおろして、礼をして部屋を出ていきました。


◆ ◆ ◆


亭の厨房で後片付けを終わらせたあたしは、亭にもともといた料理人たちに丁重にお礼を言ってから廊下に出て、屋敷の料理人たちの点呼をとります。


「ひい、ふう、みい‥‥ん?及隶がいない‥‥まだ風呂から戻ってないようですね」


あたしがそこまで言ったところで、趙旻が歩いてきます。


伊摯いしさん、及隶のことですが」

「はい、隶が何かやらかしましたか」

「陛下が及隶と話すために官職をお付けになりました。一応伊摯さんの了承をと思い参ったのですが」

「‥‥‥‥‥‥‥‥は?」


あたしは目を点にします。素の声が出ちゃったよとは思ったんですが、出さずにはいられませんでした。あたしが了承するかどうか以前に、何が起きたのか全く分かりません。


「‥‥‥‥隶は上にいますか?」

「はい、陛下と一緒におります」

「あたしもそっちに行っていいですか。あ、及隶の居場所がわかったのでみなさんはもう解散で大丈夫です、お疲れ様でした」


あたしは料理人たちを解散させてから、趙旻と一緒に上の階の姬媺の部屋へ行きます。


及隶が官職?あの及隶が官職?何で?趙旻は話し相手にするためって言ってたけど、それだけのために官職をつけるってありなんでしょうか?

頭の中がからっぽになっていたあたしは、そっとその部屋のドアを開けて、中を覗きます。


「隶~~~かわいいぞ~~~~~!!!」


と言いながら、姬媺が及隶をぬいぐるみのように抱いて、広いベッドを何度もころころころころ往復しています。


「苦しいっす‥‥」

「あ~~、そのほっぺたも触らせてくれ~~!!」


と言って、そのほっぺたを引っ張ります。ぴろーんと餅のようにやわらかく伸びます。


「学園の教室で伊摯がやっているのを見てわたしもやりたかったのよ!あ~~~、やわらかい、癒されるんじゃあ!!」


と、そのほっぺたに自分のそれをこすりつけています。めっちゃこすりつけています。及隶は「痛いっす‥」と小声で言ってます。


‥‥‥‥‥‥‥‥うん。あたしはドアを閉じます。そっ閉じってやつです。文字通りそっ閉じです。まさかこの人生の中で物理的にそっ閉じするとは思いませんでした。前世ではネットだけでしたから。

少し考えて、そばの趙旻にゆうします。


「‥‥このことは様とも十分相談いたします‥‥」

「‥‥陛下の代わりにお詫び申し上げます」

「‥‥いえいえ‥そんな‥隶も喜んでいるようですし‥‥」


と、うわべだけの会話というか社交辞令を終えて、あたしはそそくさとその場を離れました。


◆ ◆ ◆


子履しりは部屋に戻ってもまだ寝ておらず、ベッドに座っていました。


「‥えっ、及隶が官職ですか?」

「はい。曹王さまが話し相手にするためだけに与えたようです。こんな理由ってありでしょうか‥‥?」

「珍しいですが、ないことはないです。日本でも天皇が象を見るためだけに象に官職を与えた例はありますが‥(※江戸時代の中御門なかみかど天皇のこと。ただし異論あり)、しかしこれが通ると少しまずいですね」

「何か問題があるのでしょうか?」

「及隶は料理人ですよね。商から見ると、外国の貴族に平民の仕事をさせて辱めているということになりますから」

「あ‥‥」


姒臾じきが‥‥と言おうとしましたがやめました。でも考えてみれば、あたし含めて貴族が3人も働いてる厨房って、平民にとっても普通に嫌かもしれません。


「ただ、曹王さまの事情もわかります。学園のこともございますので、どうしても曹王さまが平民と話せないというのであれば、及隶の官職は周囲に隠して今まで通りに接するのが一番かもしれませんね」


そう言って、子履は真下にある布団を軽く握ります。あたしは「はい」と返事しました。少し間が空いて、さてこの話も終わりでしょうかと思ったタイミングで子履は続けます。


「そして、私が即位すれば及隶にあらためて商の官職をつけます」

「えっ、なぜですか?」

「伊摯も後宮(※皇后やきさきの暮らす場所)で料理ばかりするわけにもいかないでしょうけど、及隶がそばにいなければ寂しいでしょう。そのころには及隶も1人で仕事ができる程度には成長しているでしょうし」(※この世界では正室をきさき、側室を妃と使い分けている)

「いえ、結構です」

「曹の官職は私が即位するまでと、曹王さまにお伝え下さいね」


あ、商の官職をつけるのは確定なんですね‥‥。


「何か言いましたか?」

「いえ、何も」


心の声読むなよ。と思いながらベッドに戻ります。まったく、変なことになりましたね‥‥。と思っていると、子履が枕を持って部屋を出ていきます。


「履様、今日はどちらで寝られますか?」

せんの部屋です」

「わかりました」


子履の頬が少し染まっていました。ああ、及隶がいなくてあたしと2人きりになるので寝られないんですね。


翌朝、姬媺たちは挨拶して、商を出ていきました。姬媺が及隶を持っていこうとしたので、あたしは固辞しました。及隶はすっかり干からびていました。ゆうべ一体どこまでしたんですか‥‥。

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