第123話 姬媺が風呂に入りました

王さまはなぜ女と遊んでばかりなのかしら」

「確かに無責任でございますね」

「夏の民は今日の食べ物にも困る始末で、盗賊も増えて次々とあちこちのむらを襲ったり畑を荒らしたりしてるのよ。斟鄩しんしん周辺は兵士が厳重に見回っているから安全だけど、学園からの帰り道はしっかり警備をつけておかないと襲われるのよ。この夏休みも、きょの国の先輩が帰る途中に襲われたらしいわ。きっとこれから増えていくわよ。でもこうなったのも冷害のせいで、冷害が起きたのは夏王さまのおこないがわるかったせいよ。放置すると冷害がさらにひどくなって、夏も潰れるわよ。王様は今すぐにでも廃位(※家臣や政敵などが王を強制的にやめさせること)しないと、この天気は直らないわ」


姬媺きびはそう言って次の食べ物を口に運びます。確かに、姬媺は王になったのですから盗賊に襲われるような事態は避けなければいけないので、このようなものには敏感なのでしょう。

子履しりが反論します。


「夏王さまの代わりによう右相、司徒(※財政管理や教育を主におこなう役職)などの家臣たちがよくやっていますよ。王様がよくなくても周りの家臣がよく支えてくれて、滅ぶ国などあるのでしょうか。仮にも夏はという人格者が徳をあつめて建てた国でございます。それが滅ぶはずがないでしょう」

「禹って400年も前でしょう?そんな徳ももう薄れてきたんじゃないかしら。現に孔甲こうこうの代に多くの国が離反して夏の力はおとろえたわ。そして今の代は徳の代わりに武力で周りを従えているけど、実際に攻めているのはもともと夏の臣だったものばかりよ。彼らを武力で討伐する必要が出てきたのは、禹の徳がなくなったということよ」


そこまで言って深い溜め息をつく姬媺に、子履は咀嚼し終わってから箸を置いて返事します。


「孔甲の代にあれだけのことをして夏の国力が衰えてなお滅ばなかったのは、禹の徳がまだ残っているからです。そして、今もそうではないですか。確かに斟鄩しんしんには佞臣ねいしん奸臣かんしんもいますが、ほとんどの家臣たちが民のために腐心しています。みんな、夏という国に義務として尽くさなければいけないだけでなく、夏の国を愛しています。そうでなければ今の王様には耐えられないでしょう。これこそ徳がまだ残っている証左です。今の王のままでも、今回の冷害もきっと乗り越えられるでしょう」

「あんたはお気楽ね」


もうそれ以上話す気力もなくなったのか、姬媺はそれ以上何も言いませんでした。

斟鄩にいたときも、法芘ほうひが子履のことを『夏を信頼しすぎている』と言っていました。きっと姬媺も同じような考えなのでしょう。子履には、夏の家臣を影から支えることで夏を永らえさせることができるという考えがあります。前世の記憶と価値観があるあたしは、戦争をなくすためであれば、できればその考えを支持したいのですが、あの王様を実際に見てしまった今ではどっちが正しいのかよく分からないのも事実です。あたしは子履ほど中国史に詳しいわけでもありませんし、この世界の政治について教育を受けたわけでもありませんので、どうすればいいかよく分からないのです。


◆ ◆ ◆


それから少したったところで、姬媺がまた子履に話を振ってきました。


「そういえば、この商の国には変なみせがいくつかあったわ。民に聞けば、なんても水を沸かして湯を作り、毎日1回入って体を清める人がこの国に何人かいるらしいじゃない」

「風呂のことでございますか」

「風呂っていうのね、詳しく聞かせて」


姬媺は子履にいろいろ質問を投げてみますが、いかにも興味津々という感じで子履の話を聞いていました。


「その風呂というものに、わたしも入ってみたいわ」

「わかりました。食事が終わったら、ぜひ」

「そうするわ」


ということであたしたちは食事を早めに終わらせて、姬媺を屋敷に連れていきます。姬媺は明日の朝にはもう行くらしいです。帰るというか、少し早いですがこのまま直接学園へ行くそうです。どうりで警備の兵が多かったです。


それから早速準備、ということですがあたしは厨房の後片付け、亭にもともといた料理人たちへの挨拶などをやらなければいけなく、子履や子亘しせんたちもそれぞれ用事があるらしいです。風呂の入り方を説明できる人がいません。

あたしと子履は前世の記憶があるので大丈夫なのですが、それ以外の人はそうもいきません。子主癸ししゅきには子履が説明して、子亘には子主癸が説明して、子会しかいには子履とあたしが説明したんですが、今回は入浴経験者が誰もいません。


「あっ」


と、あたしは広間のすぐ外の廊下で子履や姬媺たちと集まって打ち合わせている時にふと思い出します。


及隶きゅうたいに説明してもらうのはどうですか?」

「‥でも及隶は平民ですので」


横から子履が小声で不安げに言ってきます。「あ、‥‥そうですね」とあたしは答えます。すっかり忘れていましたが、姬媺は平民と話すのが嫌いみたいなのです。

と思ったところで、姬媺は面倒そうに言います。


「それしかいないんだったらそれでもいいわよ。今はとにかく入りたいから」

「‥‥‥‥及隶と会話できるのでしょうか?」


あたしが不安になって姬媺の顔を覗き込むように尋ねると、隣の姜莭きょうせつが返事します。


「大丈夫です、私が陛下と一緒に入ってサポートしますから」

「そこまでおっしゃるのでしたら」


◆ ◆ ◆


及隶も料理人なので一応やるべき仕事はあります。でも料理長の私はともかく、及隶は一兵卒なので他の料理人で代替可能です。

更衣室に姬媺、姜莭、及隶、そして着替えを手伝うために趙旻ちょうびんも入ります。


「狭いわね」


と姬媺が言うと、及隶が説明します。


「屋敷にもとあった部屋を改造したから、そんなに広くは作れなかったらしいっす」


しかし姬媺はまるで聞こえていなかったかのように向こうを向いてつーんと無視するので、姜莭が復唱します。


「屋敷にもともとあった部屋を改造したので、あまり広く作れなかったようです」

「そう。けっこう最近の話なのね」


ここでやっと返事した姬媺を見て、姜莭は首を小さく振りながら「失礼します」と言って姬媺の服を脱がせます。


「ん、待って。水着のようなものはないの?体の一部を隠すとか」

「そのようなものはないっす。裸で入るっすよ」

「体に何も付けず裸で入ります」

「そう、姜莭ならいいけど少し恥ずかしいわね」


こんなやり取りが続くので、趙旻も呆れ顔で、姬媺の服を姜莭から受け取ると丁寧に畳んでかごに入れます。


浴室に入っても案の定、こんな調子でした。


「床は滑りやすいから気をつけるっす」

「床は滑りやすいから気をつけてください」


「この米の研ぎ汁をどうするの?(※この世界には石鹸がないので代用)」

「それを体にかけて、タオルでこするっすよ」

「研ぎ汁を体にかけて、タオルでこすってください」


「髪の毛を洗うの大変じゃない?(※この世界では髪の毛を切る習慣がないので髪を洗うのも一苦労である)」

「だからいつも2人で入るっす。1人だけのときは使用人を呼んで手伝ってもらうっす」

「髪を洗うために2人で入るか、使用人を呼び出して洗ってもらうそうですよ」


「この湯の入ったくぼみは何に使うの?」

「それに入るっす」

「その中に入ってください」

「ふうん、この中に入るのね」


と、姬媺が湯船に入ったところで、その中に入らず、そばでしゃがんだ姜莭が呆れ顔で姬媺に言います。


「陛下、大変恐れ入りますが、世間話などはともかく入浴の説明のときまで平民を無視するのはどうかと思います」

「姜莭がいるからいいじゃない」

「私もいない時、緊急の時に平民と話せるのですか?」


その苦言に姬媺は一度も言葉を発さず、少し困った顔で反対側の壁を眺めていました。

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