第117話 使者が処断されました

子主癸ししゅきの部屋に変な空気が流れます。


「受け取っていない、とは‥‥?」

、どのような手紙だったのでしょうか?伊摯いしが料理できないとはどういうことでしょうか?」

「それが、徐範じょはん簡尤かんゆうが、伊摯は貴族ですから下人の仕事をさせる訳にはいかないと言ったので、確認のために母上に手紙を差し上げました。その返事が先日届いて、『料理はやめさせなさい』と」

「その返事、今持っていますか?」

「‥‥はい。、一緒に来てください」


子履しりは返事の竹簡を取りに、あたしと一緒に部屋に戻ります。やがて机からそれを取り出した子履に、あたしは尋ねてみます。


「どういうことでしょうか?」

「おそらくこの返事は偽物で、手紙は最初から母上に届いていなかった‥‥ということですね」


と、子履は目を伏せて答えます。


「外出中の母上に手紙を送るにはかなり時間がかかりますが、早く済ませたいか、もしくは手紙を途中で破損したので、偽物の返事を書いたのだと思います」

「本当にそんなことをする人がいるんですね」

「‥‥ええ。不正をする人はこの世界にもいます。とても残念なことに‥‥」


子履の足取りが重く見えます。まるで子履自身が不正をしたかのように、ぴたりぴたりと自分の足音を確かめるかのように。でも子履がそんな不正をする理由がありません。あたしと子履の婚約破棄が成立しましたとかいう話であれば、しそうだと思ったのは内緒です。あたしには、子履がそこまで重々しい態度を取る意味がわかりませんでした。

ドアノブに手をかけたところで、子履はちらりと振り返ります。


「‥‥摯、ここから先はきつい話になるかもしれません。つらいならここで待ってもいいのですが‥どうしますか?」

「‥‥? あたしは別に大丈夫ですよ」

「そうですか‥‥では来てください」


子履がそう返したので、あたしもついていって一緒に子主癸の部屋に戻ります。


果たしてその手紙を読んだ子主癸は、ため息をつきます。


「確かに筆跡も似ていますね。でも私ならこんなに短い文章は送りませんよ。に向けても何か一言書いていたはずです。愛する娘が半年ぶりに帰ったのですからね。履はおかしいと思わなかったのですか?」

「いえ‥‥」

「次からは履向けの手紙にも封泥ふうでい(※手紙が本人であることを証明、または偽造を防ぐために、竹簡に貼り付ける粘土。現代日本でも封筒に『鍼』『封』や印鑑を押す文化が受け継がれている)をつけたほうがいいですね」


子履は相変わらず目を伏せて、小刻みに首を振ります。すると子主癸は立ち上がって、ドアを開けると「誰か!」と言います。使用人が出てくると、子主癸は何か指示して使用人を走らせます。そうしたあとで、子主癸は子履とあたしを向いて言いました。


かいは夕食まで自分の部屋にいなさい。履、あなたはまだ成人していませんが、しておかなければいけない大切な話があります」

「‥はい」

「履、あと伊摯も応接室に来なさい」


◆ ◆ ◆


王様の仕事する屋敷は別にありますが、ここは家族が生活するための屋敷なので大広間という豪華なものもなく、来客は基本的に応接室で対応します。張沢ちょうたく蔡洎さいきもここを使ってましたよね。

その応接室で、テーブルと向かいの下座の椅子が撤去され、子主癸の椅子だけになっているのは初めて見ました。あたし、子履はかたわらに控えて立っています。少しすると、1人の兵士が2人の兵士に肩を掴まれながら入ってきます。いきなりものものしいですね。まあ、不正をした犯人を叱りつける程度ならこんな感じかもしれません。

兵士が子主癸の前まで連れ出されて、膝をつきます。


「この手紙を作ったのはあなたですね?」


と、子主癸は竹簡をころんと投げつけます。兵士は竹簡も見ず、震えながら叩頭こうとうします。


「はい‥‥」

「なぜこのようなことをしたのですか?」

「陛下の居場所へは片道8日かかるとお聞きしました‥母が病気で‥早く帰りたかったのです‥‥」

「なら他の人に頼めばいいでしょう。言い訳になりませんね」


と言って、子主癸は脚を組みかえると、今度は兵士2人に言います。


「これの首を斬りなさい」

「はい」


兵士は真っ青になって、他の2人に引きずられていきます。ドアを閉めたあとも廊下から「おい階段だぞ、歩け」という声が聞こえます。子主癸は「こんなことはしたくなかったんですけどね」とため息をついて、椅子から立って子履に話しかけます。


「履も王になったら、このようなことをしなければいけない時が来ますよ。普段から戦争やこういうものが嫌だと言っていましたね。国のためには厳しくしなければいけないことがあります。私のおこないを途中で止めたり質問したりしなかったということは、この意味をきちんと理解していることですね?」

「はい‥‥」

「履が王になっても、きっとこれをするのですよ。誓えますか?」

「‥誓います」


そう返事する子履の声は、弱々しいものでした。子履の返事にうなずいた子主癸は、「徐範には私から話します。摯、復帰のタイミングは自分で決めなさい」と言って部屋を出ていってしまいます。子履はあたしの隣で立ち尽くして、ずっとうつむいていました。あたしはそんな子履の背中をなでてあげます。


「部屋に戻りましょう、履様」

「‥‥はい」


◆ ◆ ◆


「しかしあの兵士も大変ですね。1回ズルしただけでクビですから」


廊下を歩いて、部屋に戻っても、子履がまだうなだれたようにベッドに座り込んでいたものですから、あたしは隣に座って優しく声をかけてあげます。いや恋愛の意味で好きとかじゃなく、落ち込んでいる人を見ると元気づけたくなるものですよね。

子履はしばらく間を置いてから、床を向いたまま答えます。


「‥‥そうですね」

「あれ?クビになっても次の仕事があるじゃないですか。もしかしてここをクビになると、どこも採用してくれなかったりするのですか?」


王族に叱られたということは、それが悪いイメージとして一生ついてまわるのでしょうか。などとあたしが思っていると、子履は顔を上げて、あたしを見ます。あたし、子履のすぐ隣に座っているからめっちゃ近いです。いったん距離を置こうとしましたが‥‥その子履の顔が、目の下をわずかに腫らしながらもものすごく真剣に、鋭い瞳であたしを捉えていたものですから、あたしは腰を動かせませんでした。


「摯、クビの意味を分かっていますか?」

「え‥‥えっ、首を切ることですよね?」


子履は「はぁ‥‥」とため息をつくと、ぷいっとあたしから首をそむけます。


「はい。文字とおり首を斬ることです」

「そりゃ首を切りますよね。‥‥‥‥ん?」

「前世では会社が社員を解雇することを『首を切る』『クビにする』といいますが、昔は‥‥この世界では、文字とおり首を斬るということですよ」

「‥‥えっ?それって‥首を斬ったら死にますよね?」

「はい、死にます」

「ええっ!?」


あたしは思わず飛び上がって、何歩か後ずさりします。


「何で、1回不正しただけで死ぬんですか!?こんな簡単な不正なのに?別にクーデターを起こしたわけではないですよね?」

「摯。この世界にはパソコンもスマホも電話もありません。情報の伝達は人力でやるしかなく、非常に時間がかかります。現場の将軍や都督が王様に直接面会して指示を仰ぐのは困難な場合が多いので、通常は使者を出します。それは分かりますね?」

「は、はい‥」

「使者は上司の命令をきちんと伝え、王様から返事があればそれをしっかり伝えなければいけません。この過程で不正があったらどうなると思いますか?」

「えっと‥‥王様からの指示がちゃんと届きません」

「それだけではないでしょう。その使者がどこかと繋がっていたり、もしくは使者自身が反乱を企てていたりすると、王命を偽造して部下をほしいままに操ることも可能です。簡単に言うと、使者が王様に成り変わるようなものです。摯もあの返事を読んだ時、あれが王様の命令だと思ったでしょう?」

「‥‥はい」

「もちろん道中で何らかの理由で偽造された手紙が届いても、現地の人は電話もありませんからそれをその場で信じるしかありません。ある意味で手紙は王命そのものです。実際、手紙の偽造によって扶蘇ふそが殺されたこともあったのです(※扶蘇:始皇帝の長男。しん趙高ちょうこう李斯りしは始皇帝が死んだ直後に共謀して始皇帝の命令と偽った手紙を送り扶蘇を自殺させ胡亥こがいに跡を継がせた)。手紙の偽造はたった一度でも起きると取り返しがつかなくなり、国が滅ぶことさえあります。また王命を偽り、偽った命令を他人が聞き入れることで、手紙そのものが疑われるようになって現場にうまく命令が回らなくなり、王様の威厳が落ちることにも繋がります。ですから、どんな小さいことでも見せしめとして厳罰を与えなければいけません」


子履はそう言うと、ばたりとベッドに横になります。せっかく母に会えたというのに、すっかりくたびれたように目を閉じていました。あたしはそれ以上子履に言う言葉が見つからず、向かいにある自分のベッドに身を縮めるように座っていました。

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