第111話 暇なので習い事をすることになりました

ひまです。ひま。ひまひま。ひまー。ひまひまー。

子主癸ししゅきから料理を禁止された翌日、あたしは部屋のベッドで転がっていました。特にすることもありません。子亘しせんも暇なのでやろうと思えば一緒にお茶を飲めるのですが、またアレですよね。しびれ薬入れようとするんですよね。


あまりにひまなので外を散歩しようと玄関から出ると、「どこへお行きになりますか」と林衍りんえんに声をかけられます。げっ、いたんですね。


「林衍様、おられたのですか‥‥」

「私は王族の警護を仰せつかっておりますゆえ」

「あの‥1人で散歩したいですがダメですか?」

「困ります。私ともが警護いたします」

「‥‥‥‥やめときます」


あたし1人が散歩するだけで街中大変な騒ぎになりそうな予感がしたのでやめておきます。兵士たちが街の人をあたしから引き離して、大量の護衛に囲まれながら市場を歩くのって普通に迷惑ですよね。あたし料理人として何度も買い出しに行ったので分かります。迷惑です。風情がないです。はぁ。


ひま。本当にひま。することもない。料理したい。

たまにやってくる及隶きゅうたいの小さい体をぬいぐるみのように抱きしめて、ベッドの上をころころ転がります。ころころぴたーん。ころころぴたーん。ばかばかしいんですけど他にすることもありません。


及隶が部屋を出ていっちゃうと、本棚から適当な本を取って読みます。子履しりの本ですが、子履は当分戻ってこないので気にならないです。本当に、毎日料理の仕事があるのも大変ですが、なくなったらなくなったでそれも大変です。本の中身を確認しますが、三皇の時代にいたといわれる少典しょうてん(※黄帝の父と伝わる)という人の伝記小説でした。国を作ったのだとか。少しばらばらと読みましたが興味のない内容だったのですぐにばたんと閉じました。


ああ、前に子履が言ってましたね。『始皇帝の時代に焚書坑儒があったのを覚えていますか?そのあとにも五胡十六国時代の戦乱などで多くの史書が散逸し‥‥前世にある古代中国を伝える史書は、幾度もの戦争を耐え抜き、奇跡的に残ったものしかないのです。しかしこの世界には、本来なら消えるどころか存在し得ない史料がたくさんあります。というのも、前世では漢字は当初は占いでしか使われておらず本などの記録に使われるようになったのは周の時代、一説では商代末期からと思われていましたが、この世界ではそれよりも遥かに前から本を書くために使われていたようなのです。文学が異常に発達しているのです。そしてそれぞれが、昔に存在した人物を詳らかにしているのです。つまり中国史マニア垂涎すいぜんの書がこの世界には大量にあります。それがどれだけ素晴らしいことか、どれだけ興奮すべきことかを正確に伝えられる人がこの世界に存在しないのがとても残念です』などと言ってました。『それから前世では加上説というものがありましたが、この世界の史書を見るに、加上説は』なーんて、無限にしゃべりだすのでそのあとは一切覚えていませんが。


あたしはもう一回ベッドを降りて本棚に行ってみます。確かに歴史の本っぽいものばかりが並んでいます。あたしが今持っている少典の本も、おそらくこれだけ古い時代の人であれば前世では数行か数十行分の記述しか残っていないかもしれません。それがこれだけ分厚い本になって、経歴が事細かに記されているのです。この本が存在するだけでも、前世では永遠に達成できないような快挙なのかもしれません。


「‥‥興味ない」


あの時の子履は興奮気味に言ってました。あたしがこう言うと前世の大学教授や研究家、専門家たちに怒られるかもしれませんが、やっぱりあたしにとってはこれっぽっちも興味なくて暇つぶしにすらならないのです。あたしは少典の本を本棚に戻して、またベッドでころころ転がります。


子履が部屋に戻ってきても、あたしはたらたらベッドで転がっていました。


、暇ですか?」


と声がかかってきます。あたしは上半身を起こします。このさい子履でもいいから話し相手になってくれれば。ねむたい目をこすりながら返事します。


「はい、暇ですよ。仕事がなくなって」

「母上のあのお返事は私も予想外でしたし、残念です」


それから子履はあたしの横に座ると、周囲を見回してからそっと小声であたしに耳打ちします。


「私が王になれば、料理できるようにしますから」

「‥‥っ、様、本当ですか、嬉しいです!」

「はい。おいしい料理を作ってくださいね。私の妻として」

「あ、やっぱり嬉しくないかも」

「ふふ」


子履は笑って、あたしの耳から離れます。子履の体温が消えて、耳まわりが寒くなります。


「摯、貴族には貴族なりのたしなみがございます。暇つぶしに習い事をやってみますか?」

「‥‥そうでございますね」


そうでございますね。だって他にやることがないんですもの。


「この世界だとどのような習い事があるのですか?」

「そうですね、例えば詩はどうですか」

「ああ、漢詩ですよね。でもそれはとうの時代からじゃなかったですか?」

「はい。唐の杜甫とほなどが有名ですね。でもそれ以前にも、詩を嗜んでいる人はいましたよ」

「例えばどのようなものがありますか?」

「そうですね‥‥」


 涉江採芙蓉 蘭澤多芳草

 采之欲遺誰 所思在遠道

 還顧望舊鄉 長路漫浩浩

 同心而離居 憂傷以終老

 (※作者不詳の古体詩。『古詩十九首』の六に収録。なおこれは南北朝時代の記録である)


「あ、やっぱいいかも」


あたしはベッドに横に倒れます。いや無理無理難しそう。聞かなかったことにしましょう。あたしは何も聞いていないです。いいですね。たしかに歌はきれいに韻を踏んでいて美しいですが、あたしにそこまでの才能はないです。それにかけては自信あります。そもそもあたし、子履ほど中国に詳しくはないんでさっぱりなんですよ。そんなもん暗唱すんなよ。


「そういえば摯は読み書きを習いましたか?学園でも苦労していたと思いますが」

「あ、ああ‥‥」


そういえば斟鄩しんしん学園では‥‥ノートは日本語で書いていたと思います。中国語はなんとなく感覚で読めるようになりましたが、いまだに自分で文章を作れる自信がないです。テストはなんとか気合で乗り切りました。数学のテストでは漢数字だけで答えていいものが多かったのでそこはなんとか点数をもらえましたが、それ以外の科目はさっぱりでした。務光むこう先生にも、字の勉強をしてくださいと言われてたんですよね。


「それでは読み書きを勉強しましょう。家庭教師を呼びますね」

「‥‥お願いします」


この世界は前世と違って識字率が良く、字が書ける平民も多いので、あたしもこれから平民として生活するにあたって勉強しておいたほうがいいですね。子履と婚約破棄しても料理人の仕事は続けるつもりですが、しょうから追い出されたあと万が一のことがあると困りますし。


◆ ◆ ◆


家庭教師の予約は終わりましたが今すぐ来るわけではないので、それまでの間に読んで下さいと言われて、子履が幼少の時に使っていたという教科書を渡されました。前世の感覚でいうと小学1年生向けに簡単に書かれた本です。あたし、これくらいなら余裕で読めますけど。問題は書き取りの方ですね。これもまた子履から借りた紙とペンで、丁寧に書き写します。


「前世では旧字として扱われている字でも、この世界では正式な字だったり、新字とは別の字として扱われたりしますので、正確に書き写してくださいね。前世の字とよく似ているのに少し変わっている字もありますが、それは異体字といって、文字数の限られた詩歌で状況をより克明に伝えるためだったり、いみなを避けるために意図的にもとの字を崩したものだったりします。それでは私は次の面会がありますので」

「わかりました。お気をつけて」


子履の机を借りて書き取ります。確かに子履の言っていたとおり、『國』という字があちらこちらにあります。そのほかにもいろいろ変な字がたくさんあります。いやはや、漢字って難しいですね。中国語って英語と似て、目的語の前に動詞を置くんですよね。そのほかにも、いろいろこちゃこちゃしたルールがあってめんどいです。『而』なんて読む場合と読まない場合があってややこしいです。あたし何でこんなことしているんだろう。

夕方までずっと書き写し続けていました。

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