第109話 あたしの生まれた日

あたしは応接室を出て、ドアからそっと顔を出して近くの使用人に丁寧に声をかけます。本当は部屋の中の椅子に座ったまま大声を出してもいいのですが、前世の感覚からすると乱暴であまり好きになれません。

しばらくして使用人が持ってきてくれたペンと数枚の紙を、あたしは張沢ちょうたくの前に置きます。


「どうせお前は忘れるだろうが、お前にとって重要なことだから書いておくぞ」


張沢がそう言い出したので、あたしは紙を引っ込めます。


「そういうことでございましたら、あたしが書きます」

「いいや、俺は親だ。遠慮はいらんぞ」


親だから遠慮しているんですが‥‥。本当に変わっていませんね。あたしはくすりと笑って、そのまま椅子にもたれます。


◆ ◆ ◆


あたしが生まれたその日、張沢は夢を見ていたそうです。


夢の中で張沢はなんでもない、ただの林道を歩いていました。しかし空が次第に暗くなり、やがて前が見えなくなりました。道がわからず手さぐりで探していると、岩の陰に2人の老爺がいました。2人とも、光る玉を両手で抱えていました。1つは黄色く、もう1つは黄色といえば黄色ですが並べて比べると若干赤みのかかった色でした。


「おんや、見つかったか」


と、片方の老爺が笑いながら、玉を抱えたままふっと消えました。張沢はもう1人に声をかけてみました。その老爺は、人間のはずなのに頭にとさかを生やし、肩から腕の半分くらいまでに鳥の羽を生やしている不気味な体をしていたそうです。

老爺は張沢の顔を見ると「ふん」と言って、向こうへゆっくり歩き始めました。張沢は暗闇を進むその不気味な老爺の後をついていきました。


すると急に周りが明るくなり、目の前には1つの大きな桑の木が生えていました。光が入ってきたことで、その老爺の、人間なのにとさかを生やし、肩から鳥の羽を生やしている不気味な姿がよりいっそう際立ちます。しかしそれよりもはるかに、言葉では言い表せないほどの貫禄を感じたそうです。


老爺はその桑の木の根に光る玉を丁寧に置いて、そのままふっと消えました。張沢はその玉を拾おうとしたところで夢から覚めたといいます。


目が覚めた張沢は普通に食事を取りますが、その夢のことが頭から離れません。庶民向けの1階建ての小さい家で、ぼろぼろのテーブルの向かいの席で一緒に食事している蔡洎さいきに尋ねます。


「なあ、この近くに桑の木はなかったか?」

「なかったよ。どうしたんだい?」

「いや、ゆうべ変な夢を見てな。どうにも桑の木が気になるんだ」

「どんな夢を見たの?」


ここで張沢は夢の内容を一通り説明しますが、蔡洎は笑って「まあ気になるなら探してみれば?忙しいから今日だけにしてくれよ」と返しました。「俺もそのつもりだ」と言って、張沢は簡単な弁当を一包みもらってから出掛けました。


出掛けたところで、桑の木がどこにあるのかわかりません。道の人に尋ねてみます。


「この近くに桑の木はなかったかい?」

「聞いたこっちゃねえよ」


「この近くに桑の木はなかったかい?」

「あんた、ここに何年住んでるのよ」


みんな同じような反応だったので、張沢はもう少し歩いてみることにしました。歩くうちにそこそこ遠くへ行ってしまったようです。ある谷の底に入ったところで、景色がどんどん変わっていきます。どこの家も壁が泥で汚れ、畑もめちゃくちゃになっていました。どろどろの畑の上に乗った枯れ木を運んでいる人たちに、張沢は尋ねます。


「洪水でもあったのかい?」

「ああ、あったよ。ゆうべな。おかげでこのあたりはめちゃくちゃだ」


そこまで話したところで、向こうから何人かの男たちが走ってきます。


「向こうの方で新しい木が生えてるんだが、誰か植えたバカを知らないか?」


それを聞きつけた張沢が、男に尋ねます。


「その木はどこにあるんだ」

「この谷の奥にあるんだ。まったく、俺の畑のそばに植えやがって、いい迷惑だ」


張沢がそこへ走っていくと、果たしてそこには1本の大きな桑の木がありました。根っこを見ると、確かに洪水で流されたのではなく、しっかり地面に根を張って立派に育っています。まるで昔からここで育っていたかのようないでたちです。

谷といえば絶壁断崖に挟まれた道を連想する人も多いと思いますが、この谷はそうではなく、普通の三角形のような山に挟まれたところです。しかも川を挟むように泥をかぶった畑が広がっています。十分な日差しがその木をきれいに照らしています。

張沢は気になって、その木の裏を見てみました。果たしてそこには、1人の赤ちゃんが落ちていました。特に声は出しておらず、目立った場所ではなく盛り上がった根に挟まれるようにしてできたくぼみに置かれていたので、さっきの村人は気づかなかったのでしょう。張沢はとっさにその赤ちゃんを抱きかかえました。


すると、急に何もないはずの上の方から声がします。


「それは、ここと異なる世界から来た賢者である。姓は伊とし、大切に育てよ。そうすれば、この中華を救う優れた人物となるだろう」


慌てて張沢は上を見ますが、やっぱり何もありません。桑の木の枝くらいしか視界に入りません。


「あなたは誰ですか?なぜ私にこの子を授けるのですか?」

「我はいにしえの三皇さんこうか一柱、泰皇たいこう。この世界を管理するものである」

「ああっ、泰皇様‥」


張沢は問いかけますが、それ以降泰皇からの声は聞こえてきませんでした。


◆ ◆ ◆


「物語を作るのがうまいですね」


あたしは別にこれを言うのを失礼だとは思いません。張沢はこのような作り話をしょっちゅうあたしに聞かせてくることがあるのです。今回もそのたぐいにしか聞こえませんでした。きっとこれも、真実とみせかけて冗談で言っているのでしょう。

しかし冗談にしては、少し引っかかるところがあります。その泰皇とやらは、あたしのことを『ここと異なる世界から来た』と言っていました。あたしが前世の記憶があり異世界転生したということを知っているのは、この世界では子履しり1人だけのはずです。


「お義父とうさまの夢の中に出てきた2人の老爺は、おそらく天皇てんこう地皇ちこうですね」(※ここでいう天皇てんこうは日本の天皇てんのうとは無関係)


と、隣の席に座っている子履が紅茶をすすります。張沢が当たり前のように聞いてきます。


「天皇、地皇とは?」

「はい。ここでは三皇は伏羲ふくぎ女媧じょか神農しんのうとするのが通例ですが、古い書物には天皇・地皇・泰皇の3つとするものもあります。おそらくその3人が手分けして、お義父さまに私の妻の命を授けたのでしょう」(※『史記』秦本紀には「天皇・地皇・人皇」と記載がある。ちなみに五帝本紀には神農の名が見えるほか、後世の学者により『史記』の一部として書き加えられた三皇本紀には別の神が書かれている)

「なるほど、そうか」


と、張沢はメモに記します。あたしも尋ねてみます。


「三皇については務光むこう先生も伏羲、女媧、神農は授業でよく触れていましたが、2種類あることまでは教えてもらってませんでした。レポートには書いちゃいましたけど。矛盾はないでしょうか?」

「そこは私にもわかりませんが、いにしえと言っていることから、もともと天皇らが正式な三皇であったものが何らかの理由で置き換わった可能性も考えられますね」

「なるほど」


あたしはそこまで言ってから飛び上がるように立ち上がって、子履と距離を取ります。まって、さっきまで子履はこの部屋にいませんでしたよね?こっち側はあたし1人だけでしたよね?


様、いつの間にいらしてたんですか!?」

「お義父さまのお話が始まった直後からいましたよ」


子履は丁寧にお茶をすすります。

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