第100話 プールに行きました(2)

川のへりに座って、わいわい遊ぶ人たちを見ながら休憩している時、ふと隣に妺喜ばっきが座っているのに気づきます。‥‥あれ、そういえば1人だけですね。


「妺喜様、終古しゅうこ様はお誘いにならなかったのですか?」

「あ、ああ‥」


妺喜は図星であったかのように、にへらと笑いながら視線を泳がせます。また恥ずかしくて誘えなかったのですね、次に誘う時はあたしも立ち会うべきでしょうか。あたしは「あはは‥」と笑って、それから大きく息を吸って吐きます。


ふと、向こう側で任仲虺じんちゅうきと2人で話している姚不憺ようふたんが目に入ります。なんとなく姚不憺を目で追いますが‥‥楽しそうに任仲虺と話しています。楽しそうでいいな‥とあたしは笑って、くうーっと腕を伸ばして背伸びします。


「今、姚不憺を見ましたね?」


背後から声がしたのであたしはぴくっと肩を震わせます。振り返ると確かに子履しりです。このような時にしか見れない生脚がわりときれいで日光を反射していて‥‥ってそんな場合じゃないです。


「今、見ましたか?はいかいいえで答えてください」

「い、いいえ」

「でもあっち向いてましたよね?」


あ、これあたしが『はい』って答えるまで止まらないやつです。そして『はい』って答えたら何かされるやつです。涼しい夏だというのに、あたしは冷や汗をたらたら流してしまいます。


「2人ともお似合いのカップルじゃな」


妺喜がにやつきながらぼろっと言います。あたしはすかさず大声で「ち、違います!!」と否定してから、ふと子履を見ます。あれだけ威勢の良かった子履は頬を赤らめて、小さくうつむいています。


「‥‥今回は許します。次にやったらお仕置きですからね」


そう言ってすたすたとあっち方面に歩き出します。はぁ、助かった。助かったのでしょうか?


「‥‥あたしは様のこと、何とも思っていませんからね。単なる主従関係以上のことは考えていません」

「ふふふ、まあ、そういうことにしてやろう」


終古を誘えず落ち込んでいたはずの妺喜はすっかり元気になって、立ち上がると軽くストレッチを始めます。


◆ ◆ ◆


もうみんなしてあたしをからかってきますね。でもあたしにはこの手があるんです。


しゃーん、ビキニ作戦!と、更衣室でかばんから、白地に赤い花のいくつも描かれたビキニを取り出して一人盛り上がります。これです、これさえあれば。いしし。


「水着をお持ちでしたか!!」


突然、後ろから声がかかります。誰かと思えば趙旻ちょうびんです。


「趙旻様、どうかなさいましたか」

「実は‥陛下が暴れて水着を破いてしまったのです。ご時世に合わず髪を切っていて自分を平民だと思っている貴族が購入した、白地に赤い花の入ったビキニでなければ着たくないと言い出しまして‥‥」


うん、やけに具体的だな。ピンポイントすぎるぞ。ご都合主義にも限度があるぞ。初期のハヤテのごとくかよ。


「あなたの水着であることはお伝えしますし、少しでもきずをつければ必ず弁償いたします。ですから、どうか」

「は‥‥はい」

「ありがとうございます!」


貸してしまいました。更衣室って学校のプールとは桁違いにとても広く、向こうの方で姬媺きびたち3人が喧嘩しているのが小さく見えます。貸してしまいました。貸してしまいましたよ。あんな目で見られたら断れません。どうしてあたしって頼まれると断れないのでしょうか。ともかくこれでビキニは使えなくなりました。「はぁ‥‥」とため息をついて、スク水のまま更衣室を出ました。出口近くに任仲虺がいました。


「あっ仲虺ちゅうき様、おられたのですか」

「はい。‥更衣室でお水でもお飲みに?」

「はい、まあ、そんなものです」

「ビキニに着替えて履さんを驚かそうとされていると思ってましたが、思い違いだったようですね。わたくしはこれで失礼いたします」


そう言って軽やかな足取りで川もといプールに向かう任仲虺の背中を見ながら、あたしは石のように固まっていました。みせの試着のときから嫌な予感はしてたんですが、やっぱりばれてたんかい。


◆ ◆ ◆


そのあと、川で趙旻たちを探して、ビキニは寮に戻ってからこっそり返してほしいとお願いしておきました。と、趙旻と話しているときに後ろから水がかかります。


伊摯いし、冷たくて気持ちいいのじゃ」


妺喜が笑っていました。もう仕方ないです。身分の差が一瞬脳裏をよぎりましたが、誘われたら乗るしかありません。「えいっ」と水をかけ返します。こうやってばしゃっとかけあうの、前世ぶりです。楽しいです。

いつの間にか任仲虺、子履、そして姚不憺も混ざってかけ合います。いくらか遊んだところで、子履がそばに寄ってきて小さめの声で話してきます。


「姚不憺を少しでも見たら明日から首輪つけて犬として扱いますので。ヒトイヌのほうがよかったならそうしますが」


うん、せっかく楽しく遊んでたのに台無しだよ。今日の子履はやけに怖いです。たかが鼻血で過剰に警戒し過ぎではないでしょうか。


◆ ◆ ◆


楽しく遊んでいると、もう夕方になってしまいました。すっかり普段の漢服に着替え終わったあたしたちは、プールをあとにして帰りの馬車に乗ります。

みんな今日は疲れていたのか、座りながらくっすり寝ています。斟鄩しんしん学園すぐそこなんですけどね。かくいうあたしも、とても眠いです。膝の上に置いた及隶きゅうたいも、遊びには加わっていないはずなのに雑用で大変だったのか、すっかり寝てしまっています。そりゃそうですね、雑用といっても基本ずっと突っ立って、貴族の求めに応じて更衣室から荷物を取ってくるなりしてましたもんね。今日頑張りましたね。えらいぞ。


‥‥そういえば、あたしも学園に来た当初は平民らしくすすんで雑用をしていましたが、最近はすっかりその機会も減ってきたことを思い出します。はじめは下人が部屋を掃除しにくる時間を見計らって事前にあたしが先回りして掃除しておいていたものですが、次第に下人と一緒に掃除するようになり、あたしがむしろ下人の邪魔をしていると気づいた頃にはそれすらやらなくなってしまっていました。子履の荷物持ちもすっかり及隶におさまってしまっていますし、平民らしいことは料理くらいしかなくなってしまいました。なんだかあたし、次第に貴族慣れしていっているようで怖いです。せめて料理だけは、料理だけは死守しましょう。そう固く誓った一日でした。


◆ ◆ ◆


その日、の宮殿では、務光むこう先生と卞隨べんずい先生が夏后履癸かこうりきに謁見していました。例によって夏后履癸は玉座の代わりにベッドを置き、えんの膝を枕にして横になり、えんに脚を揉んでもらっていました。


「わしに何の用だ?」


はいをしていた務光先生は眉間にしわを寄せますが、感情をくっとこらえるようにつばを飲み込んで、可能な限り粛々と話します。


「学園の学生について、ぜひ報告申し上げたいことがございます」

「ああ、妺喜か?妺喜の様子はどうだ?」

「‥‥子履のことでございます」

「妺喜の様子はどうだったと聞いている!」


夏后履癸の怒声に務光先生はため息をつきます。この場には羊玄ようげんもいますから、きっと後で叱られるのでしょうと務光先生はみずからを落ち着かせます。


「特段変わらない様子で勉学に励んでおります」

「そうか、帰れ」

「まだ報告が終わっておりません」


しかし夏后履癸は務光先生を無視するように、すっかりくっすり寝てしまいます。羊玄はため息をついて、2人の前に立ちます。


「どうぞ、別室へ。用件は私が代わりに陛下にご報告申し上げる」

「ありがとうございます」


2人は深く頭を下げた後、羊玄に案内されて別室に通されます。

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