第99話 プールに行きました(1)

夏です!プールです!といっても、この世界は夏が寒いので、涼しくて気持ちいいかといえば違います。それでも前世の記憶が染み付いているのか、水着を着て水を浴びるだけでも気持ちいいものです。テンションが上がります。

そしてそれは、前世の記憶とかないこの世界の人達にとっても同じようです。この世界には風呂や入浴の習慣がないので、人々が体を洗う機会は限られています。このプールは、それも兼ねているようです。って、今更思い出したんですけど普通に汚いんですけど。他の人達の垢まみれのプールって想像するだけでぞっとします。そもそもこの世界、衛生概念というものがないんですよ。料理も髪の毛を晒したままする人ばかりですし、歯磨きする人もいませんし、髪の毛も伸ばしまくりですし。


‥‥と思ってプールに来てみたら、あたしの思っていたプールとは違うようです。川です。これ完全に川です。洛水らくすい(※川の名前)から小さい支流を引っ張ってきて、網で囲んでそこをプールと言い張っているようです。前世の感覚でいうと流れるプールですが、違うのは水が循環せず入って出ていくところです。なるほど、これなら垢まみれになる心配もありませんね。普通に土はありますし魚も泳いできそうですが、ただ水は清く澄んでいます。


あたし、子履しり任仲虺じんちゅうき妺喜ばっきは女子なので当然更衣室も一緒です。及隶きゅうたいは荷物持ちで、プールを「寒そうっす」と言って入りたがらなさそうな様子でした。

更衣室の入り口に着くやいなや、様子がおかしくどこかもしもししている子履を見て任仲虺が困った顔をして、あたしに「さんに先に着替えてもらっていいですか」と尋ねてきます。なるほど、こうきましたか。断る理由もないので「はい」と返事しましたが、そばの妺喜が不思議そうな顔をしています。


「なぜ一緒に着替えないのじゃ?」

「履様が裸を見られるのを恥ずかしがるのです」

「ふうむ‥‥純粋なのじゃな」


やがて子履の着替えが終わったらしく、更衣室から反則ビキニに着替え終わった任仲虺が出てきました。うん、任仲虺も任仲虺でその胸の大きさをなんとかしてもらっていいですか。谷が丸見えです。

とかぷーぷー言っても仕方ないので、あたしは妺喜・及隶と一緒に黙って更衣室に入ります。ふと、左奥のほうが騒がしいのでちらっと見てみたら、帰ろうとしている姬媺きび姜莭きょうせつ趙旻ちょうびんが全力で引っ張って止めています。あの3人も来ていたんですね。さすがにあの2人も、レジャーのための施設にわざわざ連れてこなくてもよかったのに。


さて、あたしの今日の作戦は『ビキニで婚約破棄作戦』です。ご存知、というかついさっきもトラブルがありましたが、子履はとにかくあたしの裸を見るのが苦手なのです。せっかくのプールだというのにあたしがスク水を選んだのもこれのせいです。これを逆手に取って、油断している子履にあたしのビキニ姿を見せたら、子履は鼻血を流して失神するに違いありません。あたしと夜の営みはできませんと子主癸ししゅきに主張すれば婚約も解消してもらえるかもしれません。いや女同士で夜の営みをする必要はありませんけど、勢いで押し切りましょう勢いで。というわけで、あたしのカバンの隅っこに、バイト代でこっそり買ったビキニが入っています。えへへ。


スク水に着替えて更衣室を出ると、子履は川の手前の草原の上で準備体操をしていました。一応ブルーシートのようなものはしかれているものの、あえて草原を直接踏もうとする人も多いです。そりゃ実際に踏んでみればやわらかいんですよね。

で、あたしはまだスク水だというのに子履はちらちらとしかあたしを見れないようで、さっきからずっと背中を向けています。いたずらっぽく聞いてみます。


様、あたしの水着は見ないのですか?」

「知っててからかっているでしょう」


子履は口をとがらせます。よっしゃ今日の主導権はあたしのほうですね。それにしても任仲虺のあの反則な胸も気にかかります。あ、早速若い男が2人くらい、任仲虺に話しかけました。そりゃあの胸が悪いですよ‥‥いえ、助けなければいけないですね‥‥やっぱり。


「どうしたかな、仲虺ちゅうき?」


あたしがどうしようかと慌てていると、いつの間にか任仲虺の背後にいた姚不憺ようふたんが声をかけます。2日前にいろいろあったので、海パンではなく、上半身も覆うTシャツ状のタイツ姿です。


「僕の仲虺に何か用ですか?」

「あ、何でもないよ」


任仲虺に話しかけていた2人の男はすぐに去ってしまいました。任仲虺が「ありがとうございます」と丁寧にお辞儀すると姚不憺は「よかった、気をつけるんだよ」と返事もそこそこに、すぐあたしのほうへ走ってきます。


「こんにちは、その水着似合ってるよ」

「に、似合ってますか‥?」


少しでも褒められたらあたしの心臓がすぐ高鳴りするのでやめてほしい、じゃなくて、えっと、もっと褒めてほしいです。あたしが頬を赤らめて、何一つ返事できずにもしもししていると、その肩を横から子履が叩いてきます。


「覚えてますか?私以外の人を見たら体を縛って目隠しにギャグをつけて密室に閉じ込めて、一生私のおもちゃにしますからね」


ちょっとまって、やることが2日前より具体的になってませんか?怖いですよ。一体何をやる気なんですか。


◆ ◆ ◆


いろいろありましたが、あたしたちは普通に川で泳いでいます。


「ぶはっ!」


クロールなんて何年ぶりでしょうか。前世の記憶が体に染み付いています。すいすい水をかき分けて進んでいく感覚がたまらないです。あたしは、なぜかこの世界のみせにも置いてあったゴーグルを外して陸にあがります。しかし川のへりに座っていた任仲虺が、呆然とあたしを見つめているのに気づきました。


「どうなさいましたか、仲虺様」

「今の泳ぎはどのようなものですか?全く無駄なく、素早く効率よく前に進んでいます。こんな素晴らしい泳ぎは古今東西聞いたことがございません。一体どこの山の仙人から聞いたのですか?」


あっ、しまった。この世界にクロールなんてものはないですね。泳ぎと言っても犬かきのようなものくらいでしょうか。実際、よく見れば、他の人たちは犬かきや平泳ぎのようなものなど、あまり整然としていない泳ぎ方をしています。


「えっと、その‥‥」

「夢のお告げがあったのですよ」


ひょいっと横から子履が顔を出してきます。すでに子履もいくらか泳いだらしく、髪の毛は結んであるとはいえびしゃびしゃに濡れて固まっています。

ちょっとまって、夢のお告げなんて言われて頭のいい任仲虺が納得するんでしょうか。


「なるほど、夢のお告げですね!なんと神々こうごうしい。よければわたくしにも教えて下さりませんか?」


あっさり納得しました。ああ、そういえば、この世界の人達はうらないが好きでしたね。科学が発達していない世界では‥‥この世界はもう十分に科学が発達しているように見えますが‥‥卜いに頼りがちなものですよね。もう仕方ないので教えましょうか。

まず川に入らせて、腕の動かし方から教えます。任仲虺はあたしほど体力はなさそうですが、教えればすぐ飲み込みます。飲み込みが速いです。クロールそのものはシンプルですし、今日のうちに泳げるようになるんじゃないでしょうか。


‥‥と思っていたら、横から及隶きゅうたいが近づいてきて、小声でささやきます。及隶は水着ではなく白いTシャツ姿で、川のへりに四つん這いになるような姿勢です。


「他の国の人には教えないほうがいいっすよ」

「えっ、どうして?」

「誰が敵になるかわからないっすから」

「えっ‥」


それだけ言って及隶は去ってしまいました。あたしは、任仲虺から声をかけられるまで少しの間呆然としていました。

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