第98話 子履の属性は金ではないようです

やっとこさつたから逃れたところで、姬媺きびの姿はすっかり消えてしまっています。ですが退学届を出すということは、校舎の職員室にいるでしょう。あたしたち3人は職員室に駆け込みましたが、果たしてそこには、机の椅子に座っている務光むこう先生・卞隨べんずい先生と、立って話をしている姬媺がいました。

あたしは「そう伯さま‥」と言いかけましたが、趙旻ちょうびんがあたしの手をそっと握りました。とりあえず話が進むまで様子を見ましょうか。先生も姬媺もあたしたちの様子には気づいていましたが、普段通りの調子で話をしています。


「本当に退学するのですね?」


卞隨先生もやはり呆れている様子でした。どこかから事情を聞いていたのでしょうか。ここ数ヶ月間の姬媺の様子が変だったので、知っていても無理はないです。


「はい。私には3つの罪があります。親の死に目にあえなかったこと、訃報をすぐに知ることができなかったこと、そして親が死んだ今も学園でぶてぶてしく生活を送っていることです。私のような不孝娘は、この神聖な学園にふさわしくありません」


最初の2つは先王のせいですし姬媺は何も悪くないでしょう。ですがこの世界の価値観ですと、それすらも姬媺自身の罪に数えかねないのがおそろしいところです。

卞隨先生が「どうしますか」と口を動かして務光に話しかけているように見えます。声はあたしの耳には届かなかったので、きっと小声でしょう。務光先生はその紙を机で丁寧に伸ばしてから、また手に持ちます。


「曹伯姬媺。あなたの罪はただ1つ、親の遺言を守っていないことです」

「‥‥っ」


姬媺の舌打ちともとれる音が聞こえます。片足がわずかに後ろにずれたような気がしましたし、漢服の下半分が小さく揺れていました。


「あなたの母は、あなた自身に普通の学生生活を送ってもらうことを望んでいました。曹の家臣もその意図を汲んで、あなたがこのまま学園を楽しんでも何一つ不自由なことが起きないよう、尽力しています。そこにいる2人の側近もあなたのために苦心しています。しかしあなたの行動が、全てを裏切っているのですよ」


そう言って務光先生は姬媺に退学届を突き返します。


「親の意向通りに行動すること、他国の考えに囚われること。確かにあなたの親の遺言は型破りで前例はありません。曹の国にはもちろん、不快に思う国民もいるでしょう。ですがあなたにとってどちらが親孝行になるか、あなた自身が考え、結論を出しなさい。過去の慣習に囚われ周囲を顧みないことは、とても愚かなことです。これまで多くの王がそのようにして周囲の反感を買い、命を落としてきたことを知っているでしょう。あなたが自分の考えを自分の言葉で説明できるようになるまで、これは受け取れません」


姬媺は少しの間呆然としていましたが、うなずきもせずにそれを受け取ると、そのまま早足で職員室を出ていってしまいます。ゆうもしなくて大丈夫でしょうかと思っていると、姬媺の頬が赤く腫れているのが一瞬だけ見えました。結局退学届は跳ね返された形になったのであたしたちの勝利‥‥なのですが、姬媺のその顔を一瞬しか見ていないはずなのになぜか脳裏に焼き付いてしまって、複雑な気持ちになります。


しばらくぼうっと突っ立って、はっと気がつくと、姜莭きょうせつと趙旻が先生たちに丁重にお礼を言っていました。2人は職員室を出たところで、あたしにも軽く頭を下げてきます。


「陛下を捕まえるのにご協力くださってありがとうございます」

「い、いいえ、とんでもございません、少しでもお二人や曹伯さまのお力になればと思って、出過ぎた真似をしてしまいました。無礼を働いてしまい、申し訳ございません」


目上の人に頭を下げられるとあたしも恐縮してしまうものです。‥‥と思ったのですが今度は趙旻が首を傾げます。


「王の側近同士の挨拶にしては、やや卑下しすぎではありませんか?」

「えっ‥へ‥いいえ、あたしは身分上、様の側近ではございません。召使いでございます」

「婚約なさっているとお聞きしましたが」

「あれは‥‥その‥‥」


婚約の話を持ち出されると一気に話が複雑になるのでやめてもらえますか。まさか子履しりと結婚したくないということを外国の重臣に相談するわけにもいかないです。


「その、それは若干事情が複雑でございまして‥‥その‥‥あたしはあくまで下人という立場でございます」

「事情を勝手に複雑にしないでもらえますか」


あたしはぎょっと肩を縮めます。いつの間にかそこには、渦中の子履がいました。


「り‥‥履様、どうしてこちらへ?」

「先生に呼び出されたのですよ。私と婚約した

「一体何がおありでしょうか、あたしのご主人様止まりの履様」

「それは私にも分かりませんよ、ついでですし私の妻として一緒に話を聞いてもらえますか」

「承知いたしました、想像力のたくましい履様」


こうしてあたしたちは職員室に入りました。後ろの方からぼそりと「本当に複雑な事情がありそうね‥‥」という小声が聞こえました。


先生たちのところへ行くと、務光先生はファイルから一枚の紙を取り出しました。


「この前出した神々のご加護を受けるという宿題に対して子履が提出したレポートを読みました。索冥さくめいが姿をあらわしたというのは本当ですか?」

「はい。姿は小さかったですが、確かに私の目の前に現れました」

「本当に?」


務光先生はあたしを向いて尋ねます。あたしは「はい」と、すかさずうなずきました。あたしも実際に見たので、間違えようがないです。務光先生は「ふむ‥」とうなずくと、そのレポートを机に平置きにします。


「索冥からなんと言われたか覚えていますか?」

「はい。私の属性はきんではないと」

「それについて心当たりはありますか?」

「いいえ」


子履は当然のように首を振ります。務光先生はふうっとため息をつきます。


「実はこの前の授業で、あなたが金の魔法だと言って土を固めたのを見て、私たちも昔の魔法の本を調べました。その結果、索冥と同じ考えに行き着きました」

「えっ‥」

「私からもはっきり言います。子履、あなたの属性は金ではありません」


しばらくの間、そこにはしんと静まり返った空間がありました。この世界では、自分の魔法の属性を知るには、まずいろいろな魔法を使ってみて、その中でもうまく発動したものを選ぶのです。あるいは、例えばもくの属性の人がの魔法を使おうとしたら、火を出し損ねて煙だけ出るのと一緒に草が生えるとか、使ってもいないはずの属性の魔法が発動することもあるので、それで判別することもあります。この2つで大多数の人の属性は分かります。子履もそうしてきて、いろいろな属性を試して金と出たのでしょう。一度属性が決まると、あとはそれを伸ばしていきます。そうして10歳まできたのですから、子履も自分は金だという確信があるはずです。それが金ではないだなんて。

実際、子履もそれを聞かされてしばらく呆然としていたようです。


「そんな‥では、私が今まで使ってきた魔法は、何ですか?」


子履が尋ねますが、務光先生は子履の目をはっきり見ます。


「この夏休みの間に、自分で調べ、考えなさい。夏休みが終わってもわからないのなら、ゆっくり考えればいいのです」

「何か‥ヒントはありませんか?」

「ヒントはすでにこのレポートの中にあります。子履。あなたの運命を決める大切なものであるからこそ、自分で見つけるべきです」


務光先生はそれだけ言って、子履がしばらく呆然としてそこに突っ立っているのを見るとレポートを手渡し、椅子から立って子履の背中を軽く叩きます。そして、耳元に口を近づけます。


「あなたがどのような運命をたどることになっても、私たちはあなたを見守っています」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る