第97話 姚不憺の裸を見て倒れました

そのあとは男子の番です。といっても1人しかいないです。試着室のカーテンを開けた姚不憺ようふたんを力強い拍手で迎えたのは、あたしと妺喜ばっきだけでした。任仲虺じんちゅうきは普段通りの冷静なトーンで拍手していましたし、子履しりに至っては義務的に拍手しながらも、目を細めてじーっと姚不憺を見ています。


「ど、どうかな?変じゃないかな?」


そう言う姚不憺は海パンでした。海パンです。あの海パンです。もちろん上半身は裸ですし、下半身も裸です。股間以外全部裸です。姚不憺、いい体つきをしています。あたし、なんだか頭がくらっとしそうです。


「いえ、変ではないですっ、すごく似合ってると思います!」

「ありがとう。僕も伊摯いしと一緒に泳ぎたいな」

「あっ、あ、ありが‥」


え?あれ?なんだかそれを一瞬見たときから頭がくらくらしてきて、体がふらふらして、あれ、これ、やばい、天井が見える、へ‥‥?


◆ ◆ ◆


次にあたしが目を覚ましたのは見知らぬ部屋のベッドでした。ここはけっこう寂れた部屋ですが、かなり使い込まれた形跡があり、本棚には大量の本や書類がありますし、机の上にも文具が散乱しています。

はっと気づいて上半身を起こすと‥‥あたしの腰のあたりに布団越しに頭を乗せて、子履がベッドの下の床に膝を預ける形でくっすり寝ていました。あたしはしばらく呆然としていましたが、少したつと意味もなくふふっと笑って、子履の頭にそっと手を載せました。


なんだか生まれる前くらいの遠い遠い昔、こうやって誰か女の子の頭をなでていた記憶がわずかにあるのです。それを思い出しました。細かくつやつやの髪の毛の一本一本を丁寧になぞるように、小さい手でふわっと包み込むように、あたしは子履の頭を無心で撫でていました。なんだかこうしていると、あたしまで落ち着きます。特に理由はないはずなのに、不思議な気持ちです。


「‥‥あっ」


子履が急に声を上げて、顔を起こします。子履と目が合うと、あたしは手を引っ込めて、つーんと窓側を向いていました。子履は眉をひそめて、身を起こして、足はベッドの下につけながらも上半身は四つん這いになるように、あたしに迫ってきます。


「姚不憺の裸で興奮しましたね?」

「な、何のことでしょう」


あたしは知らんぷりしてみせますが、子履の言葉でようやく状況を理解しました。あたし、姚不憺の水着姿で興奮して倒れてしまったようです。そんな簡単に倒れてしまったのが自分でも信じられないのですが、とかく実際に倒れてしまったようです。


「プールは姚不憺抜きで行きましょうね」

「それは‥‥」


あたしが返事をためらうと、子履はまだぷんぷんしているようで、強い口調で言い放ちます。


は私と姚不憺のどっちが大切なんですか?」

「ええ‥‥」


そ、そりゃ恋愛相手としては姚不憺の方でしょう。でも子履はあたしの雇い主‥‥雇い主の子でしたね。どっちかなんて決められないですが、子履と答えなければいけない場面であるのは確かでした。でもここで子履と答えてしまったら、この場で結婚してしまいそうな、そんなオーラがありました。


「えっと‥‥」


あたしが返答に迷っていたタイミングで、かばっと木の粗末なドアが開きます。そちらを見ると、任仲虺、妺喜、姚不憺の3人が部屋に入ってきました。子履はふうっとため息を付いて、立ち上がるとあたしから離れます。代わりに妺喜があたしの体に抱きつきます。


「摯、摯!無事でよかったのじゃ!」

「ありがとうございます、妺喜様」


あたしは妺喜を弱めに抱き返します。その背中をなでてはみますが、やっぱりさっき子履の頭を撫でていたときを思い出してしまいます。あっちのほうが安心しました‥‥いいえ、今はそんなことなどどうでもいいでしょう。


「体調は大丈夫かい?ごめん、悪いことをした」


と、姚不憺があたしに頭を軽く下げてきます。あたしは慌てて手を振ります。


「大丈夫です、そ、その、姚不憺様は悪くありませんから!」

「いや、僕が原因で倒れたことは事実だ。何かお詫びができればいいんだけど」


その姚不憺の言葉を遮るように子履が何か言いかけましたが、代わりに任仲虺が割り込んできます。


「もう少し露出の少ない水着に替えてもらえませんか?」

「あ、ああ、そうするよ」


すぐに子履が任仲虺の腕をぎゅっと引っ張って、ベッドに座っているあたしのすぐそばでひそひそ話を始めます。


「なぜプールから追い出さないのですか?」

さん、学園の同級生とはいえ、立派な外国人王族同士の交流なのですよ。ここでトラブルを起こして心象を悪くしたらどうするのです?特にの国は、しょうのすぐ南にあるのですよ」

「‥‥」


子履は頬を膨らませながらも黙ってしまいます。まあ、姒臾じきのようにそんなものを全然考えてなさそうな人もいますけど、基本は貴族同士の交流の場でもあるのです。なおもぷんぷん怒っている子履は、あたしの手首が折れそうなくらいぎゅっと掴んで、なぜかハイライトのない目で囁いてきます。


「プールで私以外を見たらダメですからね」


ヤンデレかよ。重いです、重いって。


◆ ◆ ◆


テスト答案の返却が終わったらすぐ帰らなければいけません。家族と一緒にいる時間は長ければ長いほどいいのです。両親と仲の悪い人はしばらく斟鄩しんしんに留まることもありますが、あたしたち商、虞、せつの人はすぐ帰ります。

そんなわけで水着を買った翌日にプールに行こう!となったのですが、あいにくその日は雨が降り出しそうなくらいのくもりでした。任仲虺が占い好きだという先輩に占わせたところ明日は快晴と出ましたので、今日は様子を見ることにしました。というか占いは天気予報じゃねえよ。


そうやって午前中は静かに寮の中で過ごしていたところ、なぜか部屋の外から騒ぎ声が聞こえます。


「どうしたのじゃ」


机に向かって小説を書きかけていた妺喜がうるさそうに片目を細めながら言うと、あたしは「見ていきます。たいはベッドでしっとしてなさい」と言って部屋を出ました。

部屋から出ると、すぐそこで、寮の玄関方向に向かおうとする姬媺きび姜莭きょうせつ趙旻ちょうびんが全力で押し留めていました。あれ、姬媺が部屋を出ようとするのって珍しいですね。いつもとは構図が逆です。


「どうなさいましたか?」

「あっ伊摯いし、陛下が退学届をお出しになろうとするのです!」

「ええっ!?」


趙旻が答えましたが、同時に姬媺が隙をついて逃げ出します。趙旻が「ああっ!」と大声を出しながら手を振りかざして、の魔法で地面を凸凹にしますが急造したそれは雨の日の泥と大差なく、姬媺はジャンプしてあっさり乗り越えてしまいます。


そう王っ‥、いや、曹伯、お待ちになってください!」


あたしはありったけの声で叫びながら、姬媺の背中を刀で切るように手を振ります。すぐさま、姬媺の眼前に壁ができるくらい土が盛大に盛り上がりますが‥姬媺が一言喝を入れると、その土が激しい火にさらされ、一瞬で水分を失って砂のように粉々に崩れてしまいます。土の魔法とはいえ確かすいに弱いはずですが、一瞬で振り切るなんてなんですかそれ。


あたしたちは必死で姬媺を追いかけますが、今度はあたしたちの足元につたのような植物が生えて、足に絡んできます。姬媺は火ともく、2つの属性が使えるんでしたね。って感心してる場合じゃないです。くそ、とれない。土は木に弱いので、この前みたいに知恵を振り絞らないと勝てません。でも今みたいな急がなければいけない場面ですと。


せつ、燃やして!」

「分かった」


趙旻に言われた姜莭が数秒間唱えた呪文でその蔦に次々と火が付き、服に燃え移らないようにきれいに燃えていって炭になります。

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