第94話 テストをうけました

建未けんみの月に入りました。グレゴリオ暦では7月です。すでにみーんみーんと蝉の鳴き声が聞こえます。が、ここ数年夏は涼しいらしく、この世界に冷房はもちろんないにかかわらず、ハンカチで額を拭くのは2~3日に1回あるかないかですし、長袖の人もかなり多いです。前世では気象災害に悩まされていたんですが、この世界もこれはこれでどうなんでしょう。

さて斟鄩しんしん学園は2学期制をとっており、前世の中間試験のようなものはなく、学期末にまとめて試験をします。あたしも子履しりもその勉強に追われています。いえ、正確にはあたしが子履に付き合わされていると言ったほうがいいのでしょうか。


具体的に言うと、まず子履が任仲虺じんちゅうきにこう頼みます。


仲虺ちゅうき、今日も私とと3人で勉強しませんか?」

「はい、よろしいですよ」


みたいな感じで、話に勝手にあたしを入れるのです。あたしの承諾はないです。そんな感じで連れ回されて、今、任仲虺の部屋に4人でいます。妘皀目うんきゅうもくも勉強に加わっています。妘皀目は3組で先生も教える内容も異なりますが、この中で一番頭のいい任仲虺が教えています。


「銅にの魔法を用いると、青い炎が出てくるのです」


それ魔法関係なくないですか?とあたしは言いかけましたが、この世界の常識にわざわざ口を挟むこともないでしょう。前世の記憶があるとしばしば、このような不便な場面が出てきたりするものです。そんなあたしは、ちゃっかり隣の椅子に座っている子履に勉強を教わっています。実はあたし、貴族としての教育を受けていなかったことも手伝って、あまり成績のいいほうではないのです。小さい頃から料理しかやってこなかったんですよね。


「はぁ、この世界にもテストがあるんですね」


あたしが小声でぼやくと、子履は任仲虺と妘皀目を一瞥してから、静かな声で返事します。


「でもおかげでこうして一緒にいられるではありませんか。前世でも助かりましたよ」

「あたし、前世の記憶あまりないんだけどな‥‥」


そうぼやいて気づきました。あたし、前世の雪子との記憶はほとんどないのに、前世の常識、習慣、考え方などは妙にはっきり覚えているのです。子履がここまであたしのことを慕うのですから、あたしも前世で雪子とよく関わっていたはずです。なのにその大切なはずの記憶が抜け落ちているのです。今まで特に違和感を持っていませんでしたが、それに気づいたとき、妙に肩がこわばってしまうような気がしました。


◆ ◆ ◆


一通り勉強を終えて、自分の肩を揉みながら部屋に戻ると、そこではやっぱり妺喜ばっきが部屋の中央のテーブルに何十冊もの本を積んで、紙にカリカリとやっていました。東大受験生のステレオタイプのようなことをやっています。


「妺喜様もお勉強ですか?」

「うむ、おぬしも勉強か?」

「あたしは今終わったところです」

「そうか」


と、あたしはいったん返事しましたが、やっぱり子履、任仲虺とあたしの3人組の中で一番頭が悪いのはあたしです。というかあたし貴族の教育は受けていませんから、下手したら1組で一番成績が悪いのはあたしかもしれません。務光むこう先生は成績が悪くても気にしないとおっしゃっていましたが、平民であるあたしには用意できないような学費を用意してきて、斟鄩しんしんまで送り出してくれた子主癸ししゅきに叱られそうな気もしました。いえ、わざと悪い成績を取ってしょうから追い出されれば、それこそあたしの目的の達成になるでしょうけど。

でもやっぱり目の前で妺喜がこんなにも勉強していると、あたしは逆に気まずくなってしまうものです。終わったと言ってしまった手前、あたしは妺喜に何も言わず、こっそりとテーブルの向かいの席に本を置いて、妺喜の様子をうかがいながら椅子に座って読み始めました。

妺喜もあたしに気づいていましたが何も言ってきませんでした。


しばらくそうして勉強していると、妺喜の勉強が一段落ついたらしく、本とノートを閉じてふうっと椅子にもたれましたので、あたしも本を閉じました。


「そうだ、おぬし、これを食うか?」


そう言って妺喜が取り出したのは、小袋に入った、クッキーのような菓子でした。あたしは「いただきます」と言ってそれを受け取ると、ゆっくり口に入れました。甘い。甘いです。おいしいです。


「どうじゃ、おいしいか?」

「はい、おいしいです。甘くていい香りです。蒙山もうざんの国のお菓子ですか?」

「いや、わらわが作ったのじゃ」

「ええっ、妺喜様の手作りですか?それにしてはうまいようですが」

「ふふ、ちょっとな」


妺喜はくすりと笑ってから、またため息をついて窓の外を眺めました。


「‥‥それは、終古しゅうこに渡しそびれたものじゃ」

「え、ええっ!?」


あたしはあわてて小袋を結びました。まだ何枚かクッキーが入っていたはずの小袋を、妺喜に突き返します。


「クッキーはこれだけですか?」

「うむ」

「今からでも渡しにいきましょう?」


あたしは半分立ち上がりますが、妺喜はまた頬を赤らめてそっぽを向きます。両肩が微妙に揺れているので、多分テーブルの中で手で遊んでいるのでしょう。


「‥‥いやじゃ」

「勇気を出さないと始まりませんよ」


あたしはそう声をかけますが、妺喜は何度も首を振っていました。あたしは全身の力を抜いて、そっと椅子に座ります。


「それは何日か前に作ったものじゃ。捨ててしまうよりは、おぬしに食べてもらいたいのじゃ」

「ああ‥そういう‥」


あたしは小袋をもう一度開けて、クッキーを口に入れます。不思議と、さっきほどの甘さは感じませんでした。


「テストが終わったらあたしと一緒にクッキーを作って、渡しに行きませんか?」


その質問に妺喜はしばらく時間を置きました。窓からそよ風が何度か吹いてきたところで、妺喜はかすかに頭を上下させました。


◆ ◆ ◆


テストは竹簡に答えを書き込むものでした。ええっ、どうしてそうなるんですか?当日まで聞いてませんでしたよ。

前世の古代中国の常識は知りませんが、竹簡ってこの世界では紙よりも高価なもの扱いです。緊張しますよ。紙に書くのと比べて材料自体が高価なのはもちろん、分厚い竹に文字を書くという経験は前世でもしていなかったので、かなり緊張します。


なんとかそれも終わらせると務光先生、卞隨べんずい先生が竹簡を回収して教室を出ていってしまいました。採点には数日かかるでしょう。採点完了までの数日間、バイトの予定でも入れておきましょうか。


「テストも終わりましたし、遊戯庭ゆうぎていにでも行きましょうか」


と、任仲虺が声をかけてきました。あああ忘れてました、テストが終わったらプールに行く約束でした。どうせ子履もあたしの裸を見て喜ぶでしょう‥‥と思っていたら、子履はあたしと顔を合わせないように、頬を赤らめてもしもししていました。


‥‥ん?あの子履が人前であたしを見て照れている?あたしの水着に欲情しているんでしょうか、それとも自分の裸を見せるのが恥ずかしいんでしょうか。子履はいつもくいくいあたしに迫ってくるのに、こういうところで恥ずかしがったり遠慮するのがうぶなんですよね。子履としばらく一緒に過ごして得た知見です。

そういえばあたしと子履は今まで一度も、一緒に風呂に入ったことがありません。意外かもしれませんが実は1回もありません。なのでお互いの裸を知りません。もしかしたらこれはチャンスじゃないでしょうか。あたしは、自分の鼻息が一気に強くなっていくのが驚くほどはっきり分かりました。

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