第84話 任仲虺の気まずさ

妺喜ばっきの扱うあんの魔法は人の心を操ることが出来ます。周りはそれを怖がって露骨に妺喜を避けることもありましたが、今日は様子がおかしいです。学園の廊下をあたし、妺喜、子履しりの3人で歩いていると、同級生が遠慮がちに声をかけてきます。


「あ、あっ、喜珠きしゅ様、お、おはようございます」

「あっ‥‥」


妺喜は立ち止まりますが、突然のことに次の言葉が出てきません。相手が勇気を出していたのは見てわかりますし、ここで変な対応を取るとまた怖がられます。あたしはとっさに、2人の間に割って入ります。


「おはようございます、妺喜様」

「あ‥うむ、おはよう」

「こちらの方にも」


妺喜は少しうつむいてから、相手を見上げます。


「‥‥おはようじゃ」


その場はそれでなんとか切り抜けましたが、しばらく歩くとまた挨拶されます。次も挨拶されます。また挨拶されます。

1組の教室の机の椅子にもたれかける頃の妺喜は、もうくだくだになっていました。机に突っ伏せて、手を伸ばして机の向かい端をつかんでいます。


「な‥‥何じゃ、今日はみながわらわに話しかけてくれる」

「確かに‥これまで避けていたのが突然挨拶してくるとは、一体何があったんでしょう。きっかけがあったはずなのですが、思いあたりはありますか?」

「特にないのじゃ‥」


妺喜は困った様子で、首をぶんぶん振ります。と思ったら教室に、3人くらいの女子のグループが入ってきます。様子を見ていると、代表らしい1人が妺喜にノートを差し出します。


「あの、喜珠様の小説を真似して書いてみました!読んでください!」


ん?小説?ああ‥あっ、そうでした。妺喜の書いたあたしと子履の百合小説が謎に評判良かったのでした。あたしは迷惑こうむったのですが、当の妺喜は小説の腕がよっぽとよかったのか、評判が上がったのかもしれません。それはいいこと!‥‥なのでしょうか?あたしの立場からすると複雑です。


◆ ◆ ◆


妺喜はそれを受け取りはしたものの、あたしの境遇も了承しています。3人のグループが去った後、妺喜は「次は登場人物を変えて書いてみるのじゃ。はやってくれればよいが‥‥」と約束してくれました。


しかし、あの小説のせいで影響を受けたのは妺喜だけではありません。昼の教室で、半ば強制的に子履の隣の席に座らされて弁当を広げるあたしに、子履が自分の弁当の中身を箸でつまんで差し出してきます。


「はい、あーんしてください」

「そんなベタなことはやらないって毎日言ってるじゃないですか」


あたしは子履を無視して自分の弁当を食べ始めるのですが、どういうことか妙な視線を感じます。顔を上げてみると、何人かの女子グループがあたしたちの様子を見ていました。


「残念です、もうちょっとでしたのに」

「尊い絡みが見たかったですのに、残念です」


そう言って、今度は子履のところへ詰め寄って、興奮気味に言いました。


「もっと強めにすれば、きっと落ちます!」

「応援してます!」

「勇気を出してください!」


さすがの子履も「は、はい‥」と引き気味に笑っていました。子履を黙らせてくれるなら定期的にこうしてほしいところですが、あたしもさすがに気分が悪いです。


◆ ◆ ◆


妙に視線を感じる寮の食堂で、夕食中に同じテーブルで食事をしている任仲虺じんちゅうきに相談をしたところ、返事が返ってきました。


「節操のない学生もいたものですね。一時的なものだと思いますので、あまり心配はいらないでしょう」


質問した子履に対して、任仲虺はにっこり笑います。あたしだけでなく子履も周りの目は気にしていたようで、「よかったです」と胸をなでおろしていました。一方のあたしですが、ずっと黙って食べていました。任仲虺と目が会わないように意識して下を見ていた、といったほうが正確かもしれません。

実はあたし、任仲虺には気まずさを感じています。この前、泰皇たいこうのご加護を受けに行ったときに、任仲虺は馬車に残る及隶きゅうたいを守らなければいけなかったのですが途中で居眠りをしたため、あたしに謝罪していました。そのときに子履が任仲虺に指示したはいは、任仲虺があたしを下の身分だと思っているのならまず出ないはずです。普通は目上の人に対して最敬礼や謝罪を行うための礼であって、目下の人に対して使うことはないのです。それを無理やり指示されて、任仲虺も本心では嫌だったのか、内心あたしを憎んでいるのか、と危惧していました。


任仲虺が、そんなあたしに目をつけて声をかけてきます。


さん」

「は、はいっ」


あたしはびくっと肩を震わせます。


「最近、わたくしに挨拶してくれないのですが、お気に触るようなことでもいたしましたか?」

「いえ、その‥」

「理由を教えてほしいのです。わたくし、心配していましたから」

「えっ、何で‥」


思わず素で声が出てしまいます。任仲虺はまた、ふふっと小さく笑います。


「わたくしとあなたは友人でしょう?摯さん」

「友人って‥‥その、身分は違うじゃないですか」


なぜって、あたしは平民で、任仲虺は貴族でしょう。せつの国の王様の次女(※この世界では次女をちゅうという)という身分の高い人です。友人と言ってくれるだけでも、かなり畏れ多いことです。


「私は平民で、仲虺ちゅうき様は公子で、本来ならこうして同じテーブルにつくだけでもおそれおおいことなのに‥‥」

「摯さんもいずれ正室になるのでは?薛の国にお見えになりましたら、皇后の礼でお迎えしますわ」

「はいはい‥‥えっ?」


あたしはかばっと顔をあげます。えっ任仲虺今何て言いました?任仲虺って確か、あたしと子履が別れるのを手伝ってくれているんじゃなかったんでしょうか?


「あの‥あたしは履様と結婚する気はなくて」

「本人の前でおっしゃるのですね」


横から子履が茶々を入れます。任仲虺はまた笑います。


「‥実はわたくしも履さんを応援することにいたしました」

「はい?」


あたしは目を点にして、持っていた箸をぼろぼろと落とします。


「公子と外国の皇后とでは、皇后のほうが扱いは上でしょう?わたくしこそ、未来の皇后様と同席できていたく畏れ多いのです。そういえば‥‥この前、わたくしが馬車で居眠りをしたときに履さんに指摘されるまで拝を失念しておりましたが、そのことがお気に触りましたか?」

「いえ‥‥めっそうも‥ないです‥‥」


それ以上返す言葉もなく、あたしは硬直した木偶でく人形のように無心で食べ続けていました。


◆ ◆ ◆


ここは学園ですから当然、職員室というものがあります。務光むこう卞隨べんずいは、横同士の机で学生から提出されたレポートを読んでいる最中でした。


「この程度で諦めるなど、子辨しべんはもう少し根性が必要ですね」


そうつぶやきながらメモをとっている卞隨の視界の端っこに、務光は一枚の紙を差しこみます。卞隨はそれを手にとって読んで、すぐに目を丸くします。


「‥これは?」

「子履のレポートですよ」

「‥‥索冥さくめいが姿を現したと書いていますが」

「もちろんその確認は必要よ。でも‥もし本当のことであれば、神獣が人間に姿を表す理由はただ1つしかないわ」


務光の言葉を聞いて、卞隨はその紙を机の上にしわを作らないよう丁寧に置きます。


「‥‥ええ。始まるわ。長くてつらく残酷な戦争が」

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