第83話 妺喜の小説が拡散されました(2)

前に子履しりが言っていました。この世界、いえ、古代中国では昔の有名人を神として祀ることがあります。例えばあの三国志で有名な関羽かんう、違う時代であれば劉章りゅうしょう(※前漢ぜんかんの人。呂后りょこうの子で反乱を起こした呂産りょさんを殺したが母の欲張りな性格が災いして冷遇された)や李靖りせい(※とうの将軍で宰相としても活躍し、中国最強の王朝と評価されることもある唐の基礎を築いた)なども挙げられます。そしてそれは小説として書かれた架空の人物にも及び、関索かんさく(※三国志演義/花関索伝)や時遷じせん(※水滸伝)もその例の一つに数えられます。

つまり何が言いたいかというと、あたしは今、周りから畏敬の目で見られています。ちょっと言い過ぎかもしれませんが神みたいな見られ方をしています。妺喜ばっきの変な小説を読んでしまった学生たちが大量に集まってあたしを取り囲み、「尊いです‥」「しょう伯さまとあんな百合恋愛を繰り広げるなんて‥‥」などと言ってくるのです。空間全体がきらきらしていていづらいです。妺喜様、時代が違えば名誉毀損ですよ。この世界に人権というものは確立されてないでしょうけど。というか作り物の小説に騙される学生たちも学生です。


「尊いです‥」

「だからフィクションですって‥」


あっちの女子学生が鼻血を垂らしています。鼻血垂らすほどのことか?あんなBLよろしく腐女子御用達の小説に簡単に騙されないでくださいよ。みんな少女漫画のヒロインのように目をきらきらさせて、あたしを見て鼻血を垂れ流しています。いいから拭けや。あたしよりもよっぽと高くて立派な服汚すなよ本当。

姚不憺ようふたんが端から手際よくノートを回収してくれますが、それでも夢から覚めない女子学生たちがいます。いやお前ら腐女子の素質あるわ。どこの世界でも共通してるんですねこういう人たちは。


しょうとの六礼りくれいはいつかしら?」

「だからフィクションです」

「即位のときに正式発表なさるんですか?」

「だからフィクションですってば」

子伯しはくとの相思相愛、陰ながら応援してます」

「ですからフィクションなので!」


あたしの声がだんだん強くなってしまいます。


「女性同士の恋愛ものは初めて読みましたが、尊いですわ。私も女性とキスしたいですわ」

「美しいもの同士が結ばれるのが尊くて死んでしまいますわ」


女子学生たちが次々とばたばた倒れていきます。勝手に倒れてくれ。もう収拾がつかないので無視して通り過ぎます。あたしも妺喜の小説は読んだんですよね。文体はまあまあですけど、中身はあたしにとっては気味悪いものでした。同性愛なんて、他人同士ですから簡単に尊いと言えるんですよ。自分が同性愛の対象になったときのこと考えてくださいよ。現実の女はくさいですし、不潔ですし、純粋な心なんて持ってませんから。ああ、子履しりは風呂に入ってるんでしたね。


なんだかんだあって、ようやく終古しゅうこの部屋に着きました。姚不憺がノックしてドアを開けるのに、あたしも後ろからついていって入ります。


「‥あっ、様ではございませんか」


終古は、あたしより身分の高いはずの姚不憺を無視して、机から立ち上がって長揖ちょうゆうの礼をとりながらあたしの名前を呼びます。あたしは微妙に気まずくなったので姚不憺から一歩くらい離れますが、ま、まあ、姚不憺なら許してくれるでしょう。多分。

さてどうしましょう。自分より身分の高いはずの終古に長揖されてしまったのですが、はいし返すのも変な話です。あたしも負けないように長揖すればいいのでしょうか。


「僕めに用があるなら人をやって呼びつければよかったですのに、わざわざ来ていただいて」

「自分を卑下しないでください。終古様は貴族で、あたしは平民です」


前にも言いましたよね。そこまで言われると、逆にあたしのほうが恐縮してしまうものです。この人、ほっておくといつか平民のあたしに拝してしまうんじゃないでしょうか。相変わらずです。


「‥それで、どのような用向きでございますか?」

「あっ。妺喜様の小説をお返しいただきたいのです。あれは完全にフィクションですが、まるであたしと履様が本当に付き合っているかのような誤解を与えかねないものになっていまして」

「‥‥はい?」


終古はなぜか少しだけ首を傾げました。「ああ‥」と思い出したように言うと、机の上においてあったノートをあたしに手渡してくれます。


「先日、子履様と手をおつなぎになっていたではありませんか。それで噂が広がっていたところに、この小説があらわれたのでてっきり信じ込んでしまいました。お付き合いになっていなかったのですね」

「ああ‥」


終古の丁寧な解説であたし、気づきました。そういえば子履と手を繋いでいた日、周りは騒がしくしてましたね。そんな事情があるのなら、今回の騒ぎも仕方ないですね。よくないですが。


「ところで他の学生たちもこの小説を読まれておられましたが、終古様がお配りに?」


あれだけ大勢の学生のことです。人見知りの妺喜が終古とこうして仲良くなっただけでも大事件なのに、まさか大勢の学生たちに配れるはずもありません。そこをはっきりさせたかったのです。


「‥いいえ、特に僕は配っていませんが。そういえば、子供の声がしましたね」

「子供の声?」

「『この小説面白いっすよ、センパイも読んでみるっす』とか言って歩き回っていました」

「ああ‥‥」


それ以上の説明は不要です。あたしは2人に丁重にお礼を言ってから、その部屋を飛び出しました。あのバカ、どこにいるんでしょうか。急いで探し出しましょう、でもまずは妺喜にノートを返しましょう、などと思っているといました。あたしと妺喜の部屋にいて、妺喜と仲良く話していました。そういえばずっと前も、あたしと子履が一緒に寝ていたことを妺喜から聞いたとか言ってましたね。あと、身分の差など気にせず妺喜とぶてぶてしく話してましたね。盲点でした。


及隶きゅうたいが妺喜のベッドで横になって、脚をゆっくり片方ずつ上げ下げしてベッドを叩いていましたので、あたしは及隶の顔を持ち上げて頬をぷにっと引っ張ります。餅のようによく伸びます。


「痛いっすよ、センパイ」

「貴族のベッドを汚すんじゃないよ。はい妺喜様、終古様からお返しくださったノートです。それと及隶を少しお借りします」


机の椅子に座っていた妺喜がそれを受け取るとあたしは短く礼をして、それから及隶を自分のベッドに持っていきます。あたしは及隶の頬を引っ張りながら尋ねます。


「他の学生たちに変な小説を配って回ったの、たいでしょ?」

「な、なんのことっすか?」

「ほら、とぼけない。どうして配ったの?」

「お、面白かったからっす。ダメっすか‥?」

「ダメ。来週のなつめ料理は無しね」

「ひどいっす、センパイ!」


及隶がその小さい体であたしの腹を抱きますので、あたしはその頭に拳をくりくりと押し付けます。


「隶のせいであたしの変な噂が出回って大変だったからね!」

「悪かったっす。ひどいっす。小説が面白かったからセンパイが嫌がるとは思わなかったっす」

「ああ‥‥隶には普段からあたしの気持ち言ってたよね。少し考えれば、あたしが嫌がるってわかったよね。考えてよね」


あたしは及隶の頭をしばらくベッドに押し付けてから解放します。及隶は「うわあ~ん」と泣いて、妺喜のベッドへ走って潜り込みます。妺喜が机から立って、その及隶の背中をなで始めたのであたしは連れ戻すのをやめました。


「はぁ‥‥」


今日の騒動でなんだかどっと疲れました。あたしはベッドに座ったまま、上半身を横に倒してしまいます。

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