第82話 妺喜の小説が拡散されました(1)

寮の部屋。あたしはふうっとため息をついて、前世で例えると大学ノートのような形をしたそれをばらばらめくっていました。

これはいつの日か妺喜ばっきから借りた小説です。というか、妺喜の書いた小説です。中身はもちろん恋愛。どう見てもあたしっぽい女の子と、どう見ても子履しりっぽい女の子がしゃれあっている内容です。


「あたしはこんなにメロメロじゃないです!」


やっぱり耐えきれなくなって、あたしは両手で机を叩きました。なんなんですかこれ。あたしは子履を見るとなぜか巧みな言葉で口説き落として、壁ドンしてキスとかするんですよ。『その宝石のような瞳で私だけを見てほしい』っていう気持ち悪い誘い文句、BLか何かですか。これあれです、腐女子っていうやつです。


「どうしたのじゃ?」


同室の妺喜がやってきたので、あたしははっと我に返ります。でもその妺喜の何気ない顔が本当にむかつきます。


「妺喜様、あたしは様のことなんて何とも思ってないんですが」

いみなで呼ぶ仲じゃろう?」(※実際の古代中国では家族以外が諱で呼ぶのは失礼とされ、代わりにあざなで呼ぶ)

「それは‥‥それは、履様のご命令でございます!」


あたしはそう言いますが、妺喜はまだ首を傾げています。あたしがここまで抵抗することが本当に信じられない様子です。でも、あたしに理解は示してくれるようでした。


「‥‥よく分からぬが、わらわがこのようなものを書くとおぬしが困るということじゃな」

「は‥はい!」


そうしてあたしは小説のノートを突き出すように妺喜に返します。妺喜はそれを受け取った後、少しうつむきます。


「あ‥妺喜様、これでも一生懸命書いたんですよね。あたし、ちょっと言い過ぎましたか‥‥?」

「いや、そういうことではない。同じような話を他の人にも渡してしまったのじゃ」

「ええっ!?」


そういえば妺喜は‥‥友達なんていましたっけ?あんの魔法を使うとかで周囲から避けられていたように思います。妺喜と仲良く話せるのは、あたしと子履くらいではないでしょうか‥‥?任仲虺じんちゅうきも一応は会話できるのですが、嫌がっている様子でしたし。


「‥‥あの、申し訳ございません、その小説はどなたに?」

「‥終古しゅうこじゃ」


妺喜は頬を赤らめて、そっぽを向きながら言いました。

終古‥‥?聞き慣れない名前でしたが、少ししてあたしも思い出しました。会ったことあります。学園で1年2組の人です。歴史が好きで将来は太史たいしになりたいと言っている人でした。あたしも一時期会話していたことがありましたが、ほんの一時期だけで、いつの間にか話さなくなっていました。

というか、妺喜があたしや子履以外の人と仲良くなるなんて、大きな一歩です。


「終古様と親しくなられたのですか」

「う、うむ‥」


せっかくの大事件だというのに、妺喜はどこか気まずそうにうつむいています。ちょっと様子が変ですね。


「その終古様と何かおありでしょうか?」

「いや、何でもないのじゃ」

「その終古様にも、その、今回の話をお伝えいただくことはできますか?」


妺喜はしばらく目をそらして、なぜか口角を不自然に上げています。ああ、少し考えて分かりました。恋してるんですね。わかりやすすぎます。普段から友達もいなかった妺喜のことですから、おおかた趣味の合う異性ができるのも人生で初めてではないでしょうか。

あたしは何事もなかったように提案します。


「それでは、あたしと一緒に終古様のところへ行きませんか‥?」

「い、いやじゃ。手紙は書くから、それを届けてくれ」


妺喜はあたしから一歩、二歩、距離をとります。かわいいものです。あたしが「分かりました、それではお待ちしております」と言うと、妺喜はすぐ向かいの机に逃げ込みました。

手紙を書いている様子でしたが、それを何度も破っては書き直しています。うん、あたしずっと手紙書き終わるの待っているんですけどね。でもあたしは自然と、急かす気にはなれませんでした。妺喜がなぜか見ていてかわいく愛らしいのです。友達がおらず周囲との付き合いも拒絶していた妺喜が、こうやって他の人に興味をもつことが、一介の友人、いいえ友人というにはおこがましいですね、知人として満足できるものだったのです。

やがて手紙を書き終えた妺喜が、それを手渡しにやってきました。


「‥おぬしらのおかげじゃぞ」

「えっ?」


小声でささやいてきた妺喜は、あたしたちの他に誰もいない部屋の様子をしつこく確認するようにしばらく目で探ってから、続けました。


「おぬしらのおかげで、わらわも人に興味を持つことができた」

「ありがとうございます。履様にもお伝えいたします」


今度はあたしの口角があがっていました。


◆ ◆ ◆


さて終古様のおられる2階に行きますか。ここの寮は男子専用の建物、女子専用の建物というものはなくて、部屋の配置が混ざっているんですよね。さすがに男女が1つの部屋に同居ということはありませんが、寮の廊下に男子も女子もいるのは、前世の感覚からするとちょっと異様な気もします。


ん?なんだか周りの様子がおかしいです。2~3人の集団が、何かノートを持って話し込んでいます。そんなグループがいくつもありました。宿題の話でもしているのでしょうかと思って通り過ぎていると、とある先輩が、平民と貴族を区別できなかったと見えて、あたしに話しかけてきました。


「君もこの小説読んだ?」

「どれどれ‥」


そのノートに書かれていたタイトルは、『逃げないで!女王様っ』あたしが妺喜から借りていたノートそのものじゃないですか。この世界にコピー機はないんですけど、妺喜の書いた小説はショートショート形式らしく、登場人物は一緒でも毎回話の内容が違います。しかも文章は短いので量産できますし、一度に多くの人に配れます。

まさか先輩にそのノートを返してほしいとは言えませんが、まず元を聞いておきましょう。終古じゃなければいいのですが。


「すみません、その小説はどこでお知りに?」

「それはね‥」


先輩が答えかけたところで、後ろから姚不憺ようふたんが話しかけてきます。


伊摯いし伯と付き合ってるのか?」(※子伯:伯は長男・長女をさす。子履のいみなを避け遠回しに呼んでいる)


振り返ると姚不憺もやっぱり、妺喜の小説を手に持っています。


「あ、いや、それは妺喜様のご想像が過ぎたというか、あくまでフィクションなんです。それで、あの、あたしは勝手にモデルにされて困っていまして、回収するところだったんです」

「なるほど‥そうだったんだね」


姚不憺はすんなりノートをあたしに返してくれました。やっぱり持つべきは素直な男です。

‥‥と思ったら、姚不憺以外にも何人かの男女があたしに詰め寄ってきます。


しょう伯の子と付き合ってるってここに書いてたけど本当?」

「平民と貴族の恋愛、私も憧れますわ」

「ねえ、ここにサインを書いてくださらないかしら?」


みんな興奮気味です。うわっ、妺喜は書いてる内容はアレですけど、文章は普通に上手いんです。そのせいで惹かれた人が出てもおかしくはありません。


「あ、あ、あの、それは小説です。フィクションです。あたしは勝手にモデルにされてて」


いちいち説明するのも大変です。あたしが説明しているそばから、姚不憺がはしからノートを回収してくれます。学生たちは、「なんだフィクションか、騙された」などと言いながら散っていきます。あたしへの謝罪はないんですけど、これだけの数の貴族がノートを返してくれただけでも平民にとっては奇跡かもしれません。


「大変なことになりましたね」

「あはは、今頃この学園中に広がってるよ。僕も手伝うけど、なかなか大変いなるかもしれないぞ」


姚不憺はこの場を離れる学生たちを見送りながら、回収したノートの端を自分の肋骨にあててならしていました。

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