第80話 あたしの親戚を見つけました(1)

「さて、このあとはのご親戚にご挨拶させていただく予定でしたね」

「遠慮させていただきたいのですが」


馬車に揺られて、及隶きゅうたいを膝の上に置いたあたしは、向かいの席に座る子履しりからこんなことを言われていました。


「親が分からないと、この世界を生きていくのに苦労しますよ」

「確かにそれはそうですが‥‥」


あたしが風景を見ながら返事していると、膝の上の及隶が下からあたしの顔を覗き込んできます。


「センパイ、自分の親戚に会いたくないっすか?」

「そりゃ‥会いたいけど‥」


なんて話していたら、馬車が川のほとりまで着いてしまいました。斟鄩しんしんの南を流れる、伊水いすいという川です。確か姬媺きびが言うところには、あたしが氏としているの由来でもあるようです。

適当なところに止まった馬車から、あたしは顔を出して、ゆっくり降りました。子履も及隶も後に続きます。


「この近くに摯のご親戚がおられるのですね」

「はい‥ですが、どちらにいるか分かりません」


川のほとりといっても、の首都・斟鄩なだけあって、それなりの量の家が並んでいます。これらをいちいち訪問するのも骨が折れそうです。子履も同じことを思っていたようです。


「家が多いですね、召使いを雇って探してもらいましょう」

「いえ、あたしは平民ですので、あたしが使われます」

「摯はいつまで平民気分でいるのでしょうか」


いつもは冗談気味に軽い口調で話していた子履も、このときばかりは小さくため息をついていました。うん、なにこれ。もうあたしが貴族になるのは確定事項なのでしょうか。


「摯は貴族になるのですから、人を使うことを覚えたほうがいいですよ」

「いえ‥‥そうだ、あたしの親のことですし、あたしが探したほうがいいでしょう。それに、親を自分で探さないのは礼を欠くでしょう」


もっともらしい理由をつけて抵抗しようとしますが、子履はまた首を振ります。


「召使いに見つけてもらって自分で赴くのが貴族のやり方です。そもそも貴族は相手を自分の家や宮殿に召喚するものです。それを貴族自らが会いに行くだけでも、かなり相手を尊敬している行為ですよ」

「確かにそうですけど‥」

「摯も意思を張らずに、時間のかかる人探しの過程では自分の立場に頼るべきですよ。特に私達には学校の授業があるではないですか。貴族は何かと忙しいものです」


うう、あたしが貴族になるというのがどんどん現実的になっていくというか、既成事実になっていくというか。やっぱり悔しいので、ここは曖昧に返事しておいて、あとで自分1人で探しましょうか。あたし平民で料理人のリーダーもやってたので行動力だけはあります。


「あそこからおいしそうな匂いがするっす!」


突然及隶があすこを指差して走り出します。


「こら、たい、待ちなさい!」

「これはあつものの匂いっす。肉が入ってるっすよ」

「羹なら後でいくらでも作るから、戻ってきて!」


あたしが走って追いかけるのにつられて、子履も走ってきます。及隶を追いかけてたどり着いたのは、周辺の家より微妙に立派な程度の建物でした。中庭らしきものはなく、玄関が道路に面しているやつです。ただの民家でしょうか。その前で及隶がドアにノックしようとしていたので、あたしは慌てて引っ張ります。


「こら隶、知らない人の家はそんな気軽にノックするものじゃないよ!」

「えっ、これが普通じゃないっすか?」


と、遅れてやってきた子履が思い出したように手を叩きます。


「そうでした、前世の日本と違ってここは近所付き合いも多いはずです。及隶の行為は、むしろこの世界では普通ではないでしょうか」

「そう‥‥なのかな」


確かに前世では近所付き合いが希薄になったなどさけばれていましたが、昔は夕食が食べたいという理由だけで知らない人の家にあっさり挨拶できてしまうものだったのでしょうか。何もかも想像と違いすぎて、いまいちイメージが掴めません。この世界の常識についていけないというか、もしかしたらこれは前世の記憶を持っているデメリットかもしれません。


「そうっすよ、ここではこれが普通っすよ」


及隶もそう主張して、構わずドアをノックしてしまいます。


あれ‥?

さっきの及隶の返事に、あたしはなんとなく違和感を持ちます。

この違和感、前にもどこかで感じたような‥‥あれは‥‥あたしがまだ子履も前世の記憶持ちだと知らなかった頃に感じたあの違和感と。


なんて思っていると、ドアが開きます。


「ああっ、申し訳ありませんっ」


先程の話の流れにも関わらず、あたしは及隶の体を抱いて引っ込めます。あせっていたかもしれません。

そう思ってあたしは住人の顔を見上げて、立ち止まりました。それはその住人の顔を見て妙な懐かしさを覚えたからでは全然ありません。その縮れ髪の男の人がバラを口に咥えて、鏡を見ていたからです。


「ああ、なんで僕は美しいんだ。僕と同じように君も美しい」


などと鏡を見ながら、あたしの抱き上げる及隶の頭をさすります。これあれです。関わっちゃいけないタイプの人です。


「すみませんでした」


ここは適当に謝ってささっと離れていくのがセオリー‥‥ですが、なぜか子履がその男に近づきます。


「履様、その人に関わっちゃ‥」

「一応聞くだけのことは聞きましょう」


子履は小声で返事します。確かにこのあたりは通行人もそんなに多くなく、手がかりは少しでも集めたいところですが、わざわざこんな人に聞くことは‥‥。


「私たちは人探しをしているのです。この周辺に、氏を名乗る貴族がいるとのことですが」

「ん?僕のことかな?」


そう言って男は鏡を見ながら、くしで髪をかきあげます。ま、まさか。

あたしは表札をちらっと見ます。たしかにそこには『伊』と大きく書かれています。うわ、最悪。さすがにこういう人には子履も引くと想いきや、捜し物を見つけた子履は妙に元気に礼儀正しくお辞儀します。


「私はしょうの公子で、姓を、名をと申します。こちらは私の婚約者の伊摯いしでございます」

「は‥‥‥‥はい、よ、よろしくお願いします‥‥」


まさかこんなところで婚約者という表現を訂正するわけにもいかず、あたしはしばらく固まります。くそう、どうしてあたしよりも先に子履が見つけてしまうんでしょうか。子履のいないところでこっそり探したかったんですけど。

その男の人、というか青年は、鏡を見るのをやめてあたしと子履をましましと見比べています。そのあと鏡を靴箱の上に置いて、しっかりはいします。


「わたくしは姓を、名をえいと申します。当家の長男でございます」

「かしこまらなくていいですよ。それに私は天子ではありませんから、稽首けいしゅ(※九拝のひとつで天子に対する礼をいう)は必要ないですよ」

「ははっ、ありがたきお言葉‥‥」


伊纓いえいは上半身を起こしますが、まだ膝を地面につけたままです。


「本日はどのような用件でしょうか?」

「私の婚約者の摯がみなし子なのですが、親の親戚がこの周辺にいると聞いて探しています。姓が同じですが、心当たりはございませんか?」

「わかりました。それでは奥でお待ち下さい」


伊纓は上品に立ち上がって一礼すると、死守するかのように靴箱の上の鏡を握って、あたしたちを奥に通します。




★これまで曹王を「姫媺」と書いていましたが、今回の話以降は「姬媺」と表記します。「姫」と「姬」の字は日本では同じとして扱われていますが、中国では区別されているようです。

 これまでの話の中の表記は、以前の字のまま置いときます。

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