第63話 夏后履癸へ料理を献上しました(3)
建物の内観は、古代中国とは全然違っていて、中世ヨーロッパそのものでした。大広間は立派で西洋風の刺繍のなされた赤い絨毯がしかれていて、家臣たちが並んで立っています。奥にある数段の階段の上には、RPGで王様が座るような赤い椅子があって、そこに
家臣たちは並んでいるのですが、右側の奥の方に
「おう、うまそうだな」
夏后履癸の声がします。面を上げて改めてその姿を見ますが、黄色い服に身を包んだだけのただのデブに見えました。ひげなどはきれいに整えてあるものの、その顔は野生しみているように見えました。
「
あの、自己紹介まだですけど。第一声がここにいない人の名前ですか。挨拶もなしに、夏后履癸は勝手に話を進めてしまうようです。
「陛下、紹介がまだですぞ。失礼のないように」
羊玄が咎めます。夏王さまに意見を言える人は限られているでしょうが、羊玄はその1人でしょう。夏后履癸もさすがに面倒くさそうにしていましたが、
「これを作ったのは誰か?」
「はい、あたしと及隶でございます」
あたしが返事しますが、夏后履癸はじっとあたしと及隶を見ます。まるで品定めでもされているようで、変な感じです。
「お主、何歳だ?」
「8歳でございます」
「うーん、その歳でこれが作れるとは、結構じゃないか」
「ありがたきお言葉でございます」
上から目線な気がして嫌な感じはしましたが、実際問題、相手はあたしより目上の人です。まあ王様なんて、これくらいが相場なんじゃないでしょうか。ていうかあたし、まだ名前を名乗っていないんですけど。
「ところで、その隣りにいる女は誰だ?ずいぶんかわいいではないか」
あたしはドン引きしそうになるのを歯ぎしりでごまかしてから、ちらりと子履を見ます。子履は何事もなかったかのように平然としていました。夏后履癸との結婚を希望しているのでしょうか、それとも歴史を知っているので最初から自分は指名されないと確信しているのでしょうか。
あたしが返事する前に、子履は自分で名乗ります。
「私は姓を
「わしに仕える気はないか?」
子履は
「名誉なお話でございますが、私にはすでに心を通わせた婚約者がおりますゆえに」
それをあたしは真っ向から否定したかったのですが、夏后履癸を見ていると、なぜかそんな気も起きません。夏后履癸は首を傾けて、残念そうな顔をします。
「そうか、残念だな。して、
「
3年の喪にかかわらず、失礼のないようにギリギリの服を見繕った姫媺が丁寧に頭を下げますが、夏后履癸はその顔を見て「ふむ‥‥」と首を傾げます。
何なんですかあれ、誰かをお持ち帰りする気満々じゃないですか。下心しか見えません。いやもう下心の塊なんじゃないでしょうか。このままここにいても不快になるだけです。だいたい、あたしまだ名乗ってないんですが、饂飩を作った人のなりよりもかわいい女の子に興味があるのでしょうか。ドン引きです。もし子履がいなければ夏はすでに滅んでいたんじゃないでしょうか。
と言いたかったのですがやっぱり、あたしは口元から出すことなくこらえているしかありませんでした。
「母上が亡くなりましたが、私が後を継ぐ許可を賜れますでしょうか」
「ああ、好きにしろ」
「ありがたきお言葉でございます」
この世界では、家臣たちは国を与えられ伯となってそこを治めるわけですが、伯を交代するときはたとえそれが世襲であっても夏王さまの許可が必要です。世襲はどこの国でも普通におこなわれているものの、この世界には三皇五帝の時代の記憶が深く刻み込まれているので、世襲もあくまで『自分の子がたまたま他より優れていたから位を譲った』というスタンスをとっています。伯を任命する夏王さまのほうもそういう事情があるから、伯の位は個人に対して任命したのであって血統や一族に対する任命ではないということになっています。なので世襲を暗黙の了承というわけにはいかず、前代の伯を任命した夏王さまが改めて指名し任命し直す形式になっています。まあ最近は夏の力も弱まっていますし、事前事後の相談もなく勝手に付け替える国も出ているんですけどね。
しかしそれにしても、これまで世襲が認められなかったことはめったになかったとはいえ、夏后履癸の態度が適当すぎるのが気にかかります。母が亡くなったことに一言あってもいいのではないでしょうか。
その後も夏后履癸はあたしそっちのけで、後ろの女の子に名前を聞いて回ります。あの、今日何の謁見でしたっけ。饂飩もそろそろ冷めているんじゃないでしょうか。
「わらわは姓を
「お主、ここに仕える気はないか?」
「結構でございます。わらわには蒙山のほうにかけかえのない宝がございます」
「それも全部持ってこさせよう。あんな僻地ではなく、ここに暮らしたほうが気持ちもいいだろう」
「結構です」
夏后履癸、妺喜にはよく食いついてきますね。何度も問答を繰り返しています。子履の肩が先程よりもよく震えているのが分かりました。あたしは思わず、そっと子履の肩に手を当てます。子履はちらっとあたしを見た後、つらそうにうつむきます。
「おいしい料理もたくさんあるぞ」
「わらわの大切な人の作る料理にはかないませぬ」
「むむう‥‥」
夏后履癸が少し困った顔をしたところへ、家臣たちの群れをかき分けて、1人の若い男が顔を出しました。
「父上、そこまでにしてもらえませんか?」
「おう、誰かと思えば
さっき
「女性と多少の問答はあってもよいかもしれませんが、明らかに本日の謁見内容を超えています」
「いつもながら面倒な息子だな。わしはお前より利口な弟を作ってやろうというのに!」
その夏后履癸の返事だけでも分かります。この人、最低です。その後も少し、親子の言い合いが続きます。あのね、あたしたちの目の前なんですけど。
「お前の言うことには今日の今日ばかりは応じられぬ!」
「確かに私の口上は父上には合わないでしょう。しかし
「うるさい、どうせわしに知識がないのをいいことに、亀の模様に適当こくだろう?」
「天候を用いて占う方法もございます。それであれば万人にもわかるでしょう」
「それはどのような占いだ?」
「私が占い、直後に雨が降れば凶、そうでなければ吉という簡潔な占いでございます」
「おう、面白いな。雨を降らせるなら降らせてみろ」
「分かりました。これ、いつものものを持ってこい」
なんだかすごい話になってしまいました。何人かの役人が大広間を出ていってしまうと、夏后淳維はまた提案します。
「この大広間からは外が見えないので天候が分かりません。この主殿の前にある広場で占ったほうがより分かりやすいと存じますが、いかがでしょうか」
「好きにしろ」
その夏后履癸の一言で、家臣たちも、あたしたちも、みんな大広間やこの建物を出て、その手前にある石の敷き詰められた広場に移動します。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます