第62話 夏后履癸へ料理を献上しました(2)

一方の厨房で、あたしはなんとか隅にある小さくぼろいテーブルを1つ確保できたものの、周りの料理人たちは誰も手伝ってくれません。まあバイト先でもあたしと及隶きゅうたいの2人だけで作ったので人数的には大丈夫でしょう。

料理人たちは特に邪魔することもなく、遠巻きにあたしを見つめながら何か話しています。


「何すかあいつら、感じ悪いっすよ」

「邪魔されないだけましだと思うしかないね、ほらたい、野菜生焼けだよ」


あたしたちは頭と口を布で覆っています。王様に献上する食べ物ですから、流石に気を使います。

と思っていると、厨房にの家臣と思しき男の人が入ってきます。


伊摯いし!伊摯はいるか?」

「はい、あたしですけど。‥‥!!」


あたしは目をぱちくりさせます。見覚えのある人でした。


「俺だよ俺だ、だ」

「あっ、芘おじ‥‥法芘ほうひ様、懐かしゅうございます」

「おいおい、そんなかしこまるなって」

「いえ、今は夏の家臣と小間使いの関係でございますゆえに」


及隶が首を傾げてあたしたちの様子を見ています。法芘は、みなしごだったあたしが料理をしたいと言い出した時にひょっこりやってきて、しんの国の屋敷の仕事を仲介してくれたおじさんです。あたしが働き始めてすぐどこかに行ってしまったので、及隶は存在すら知らないはずです。幼い頃の話でしたが、今もその時の記憶は鮮明に残っています。


「まさかこんなところでお会いできるとは。夏にお仕えになっていたのですね」

「ああ。お前もしょうの国にうつったと聞く。縁でもあったのか?」

「ま、まあ‥‥そのようなものでございます」


あたしはそこまで答えて、今料理の途中だったことを思い出します。目の前に切りかけの饂飩うんどんの麺が転がっています。あたしは唇を噛んで、それから法芘に話します。


「今は料理中でございます。積もる話もございますので、後ほど時間ができましたらまた」

「ああ、そのことなんだがな」


法芘は、あたしのすぐ近くまで近寄って、しゃかんで小声でささやきます。


「伊摯、お前、逃げろ。陛下の嫁になりたいのか?」

「ああ‥そういうのは分かってます。分かってて来ました」

「お前、正気か?あんなのの嫁になりたいのか?」


王様をあんなのと言ったら大変なことになります。当然法芘も、周囲を気にして声を小さくしていました。

法芘、見かけはまじめな家臣という感じですけど、はたから見たら酒をよく飲むおじさんって感じで馴れ馴れしいんですよね。そこがいいところでもありますが。


「いいえ、あたしはそう思いません。でも、友人の母の知人が夏王さまにお仕えになっていると聞きまして、その方にもご協力いただけることになっています」

「ああ‥そいつはおそらく陛下のお子様の淳維じゅんい殿下だな。ちゅう(※次男)なんだ。あいつはどこかのデブと違って利発で顔が広いんだ」

「法芘様、口は謹んでもらえますか。あたしまで処罰されます」

「おっと、すまんすまん、ははは」


法芘は気楽に笑います。ひやひやしてるこっちの身にもなってほしいものです。口が軽すぎませんかね。

あたしは切り終わった饂飩をまとめながら、尋ねます。


「夏王さまにはえんさま、えんさまという2人の美しいお嫁さんがすでにいらっしゃるではありませんか。それなのにさらに女性が必要なのでしょうか?」

「ああ、その2人以外にも多くの側室がいたんだ。淳維殿下もそいつらが産んだんだ。だが今は琬さま、琰さまがもっぱらお気に入りのようだ」

「へえ、そうですか。そんなにお気に入りなら、その2人で十分じゃないですか」

「それで済まないのが男の性というものだ。まあ、俺にも理解はできないんだがな」


法芘はそう言って、それからまた、饂飩の麺を鍋に入れているあたしの顔を横から覗き込みます。


「‥どうしましたか、顔に何かついていましたか」

「お前、布をとってみろ」


あたしは言われるがままに、自分の髪と口を覆っている布をとけます。あたしの顔をましましと見つめていた法芘は「おお!」と興奮した様子で、小刻みにうなずきました。

あたしが髪と口に布を巻き直したところで、法芘が大きめの声で尋ねてきます。


「俺の子とお見合いしないか?」


それであたしは、思わず片手で持っていた鍋を落としそうになりました。あわわ。あっ、あ、あっ、あわわ、危ない、熱い、ひゃ、ひゃあっ。

なんとかバランスを取って鍋から離れると、あたしは呆れたように目を細めます。


「‥‥御冗談がきついですよ。あたしは平民でございます。ご子息を平民と結婚させるなど、不名誉ではないでしょうか‥」

「気にする奴もいるにはいるが、俺は気にしない。それでいいじゃねえか」

「は、はぁ‥‥」

「とにかくお前はかわいいからさ、一回会ってみないか」


一瞬脊髄反射で断ろうとしかけましたが、はっと思い出しました。あたし、子履しりと結婚しないって決めていたんですけど、じゃあ誰と結婚するんでしょうか。子履も、あたしに男はいないと思って襲ってきているんじゃないでしょうか。あたしには他に相手がいるとしれば、子履も諦めてくれるんじゃないでしょうか。

多少不機嫌にされるのは仕方ないですが、学費の一部以外はバイトでどうにかなっていますし、仮に子履から援助を断たれても法芘から結納金の前借りと称してお金を借りればやり過ごせるかもしれません。


「もしあたしがそのご子息の方と結婚することになった場合も、あたしは平民のままでいられるのでしょうか?」

「ん?ああ、あいつも政治から遠ざかって商人になりたいと言ってたな。つまり将来は平民だぞ。どうした、平民は嫌か?」

「いえ、ぜひ!」


うん、話まとまっちゃいました。条件よすぎです、あとは息子次第ですね。すぐそばで及隶が白い目であたしを見てましたが、気づかなかったことにしましょう。

法芘が去ってしまうと、すぐに及隶はあたしに質問を浴びせてきました。


「お嬢様との婚約はどうなさるっすか?」

「最悪夜逃げすればなんとかなるよ」

「そんなにお嬢様が嫌いっすか?」

「嫌い‥‥ではないけど、百合に興味はないし、あたしは貴族にもなりたくないし」

「はぁ‥」


及隶はどこか悲しそうに、ため息をついていました。


◆ ◆ ◆


饂飩ができたので、あたしは及隶をキッチンから出します。しばらくして、侍女や役人たちと一緒に戻ってきました。

あたしもまだまだ子供ですから、大きい料理は大人に運んでもらうに限ります。料理を持つ役人の後ろについて歩きます。


あたしは別の役人の案内で、料理を持った役人たちとは道をそれ、大広間の入り口まで連れてこられます。そこには、子履しりや女の子たちが集まっていました。


「料理お疲れさまです、

「お気遣い感謝いたします、様」


どうやら子履のあたしへの警戒も解けたようです。‥‥完全に解けたわけではないらしく、あたしといくらかの距離をとっています。


「‥少しでも離れ離れになると寂しいものですね」


子履はそうつぶやいていましたが、あたしは反応に困って何も答えませんでした。

そこで少し待っていると、役人たちがやってきて大広間への扉をゆっくり開けました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る