第56話 姫媺の謝罪(5)

「どうしたの?」


姫媺きびが当直と一緒に来た使者に尋ねます。使者はひざまずきます。


「申し上げます。陛下が崩御なされました」

「えっ、母上が!?それでは今すぐ戻らねば。‥‥短い間だったけど、世話になったわ」


と、姫媺はちらっとあたしたちを見て言います。この世界では3年の喪という習慣があって、親が亡くなったら3年間も節制した生活を送らなければいけません。親の死は、学園の即日退学を意味します。


「いいえ、その必要はございません」

「‥は?」

様は戻る必要はないと、陛下が直々に遺言なさいました。習慣にとらわれず自分の生きたいように生きるのが美しい人生であると。葬式はすでに済ませてしまいましたので、夏休みにでも来てほしいと」

「陛下は媺を廃嫡はいちゃくなさるおつもりか!」


趙旻ちょうびんが怒鳴ります。この世界では、喪主はすなわち跡継ぎであることをあらわしています。跡継ぎでありながら葬式に呼ばれなかったということは、そう思われても無理はありません。現代日本では時に押し付けあいになるものですが、この世界において喪主になるというのは、それだけ重いことです。

しかし使者は返事します。


「家臣も陛下の型破りな遺言に大変困惑し、話し合った結果、葬式は喪主無しで執り行われました。媺様には妹が何人かおられるようでしたが、血のつながっていない家臣が交代で担当いたしました。本来は夏休みまで殿下に伝えるなとも遺言いただいておりましたが、見かねた重臣が私めを使いに‥」

「そんなことがあっていいのか!誰がこくしたんだ?(※この世界の葬式では、亡くなった人をしのび大声で泣く習慣があり、哭という)」

「いいえ、どなたも。こちらは陛下直筆の遺書でございます」


そう言って使者は竹簡ちくかんを姫媺に差し出します。姫媺はそれを少しの間読むと涙をぼろぼろ流して、竹簡を巻き直して地面に叩きつけます。


「母上はわが家のびょうを汚すおつもりですか!喪主なくして誰が祭祀さいしするのですか!そんなのは美しくない!全然美しくないわ!私には美しくあれと言っていたくせに!このバカ母!娘の気も知らないで!」


姫媺は翌日、まだ日が昇らぬうちに姜莭、趙旻と一緒に斟鄩しんしんの外れの草原まで行って、そのまま日が暮れるまで一日中、食事もとらず曹の国の方向に向かって涙を流して大声で泣いていました。そのあと、2人の肩を借りながら学園まで戻ると(※哭する人は1人で歩けなくなるまで衰弱するのが理想とされている)、寮の自室のベッドを撤去して、代わりに大量のこもをしいて、そこで寝るようになりました(※3年の喪に服すときは、3年間一切の娯楽を避け、人との関わりを絶ち、粗末な小屋に住み、質素な食事をとり、菰の上で寝る習慣がある。時折地面を掘り返して親の霊が埋まってないか探す人もいる)。葬式に呼ばれなかったせめてもの抵抗というやつみたいです。


後日姜莭から見せてもらった遺書には、『学園で過ごす2年間はあなたの人生にとってかけかえのないものです。それをしっかり楽しむのが、美しい人生というものです』と書かれていました。葬式に呼ばないのは前世でもたまに聞く話ではありましたが、この世界の常識とは相容れず、一歩間違えたらたった1回の葬式のために後継者問題で国を揺るがしかねません。常識的に考えて姫媺を喪主にしなければいけないのに、自分の考えを優先させて周囲を困惑させるとは、この親にしてこの子ありというのでしょうか。あたしは笑いを厳粛にこらえていました。


「ふかふかのベッドで寝ないのはもったいないっすよ」


及隶きゅうたいがベッドで転がりながら、そんなことを言っていました。はいはい、平民に3年の喪の習慣はあまり根付いてないのでしたね。たまにはと想って、あたしは及隶と一緒にベッドで寝ました。


◆ ◆ ◆


その日の朝も、姫媺は下瞼を真っ赤にして、不機嫌そうな顔で教室の机に座っていました。服も粗末なものに変わっています。

でも‥仲直りしたいのなら、こちらから話しかけてもいいんですよね。


「お、おはようございます、姫媺様」


しかし姫媺はまったく反応しません。あたしが話しかけたのに全く気付いていない様子です。姫媺があたしのことを嫌いでなければ、3年の喪の一環としての行動でしょう。一応、自分から話しかけるのはダメで、相手から話しかけられた時は答えてもいいというルールはあったはずなんですけどね。と思っていたら、隣に座る姜莭が呆れた顔をして、姫媺の肩を揺らします。


「陛下。学園を楽しみなさいと、先王の遺言にもあったでしょう?」


しかし姫媺はぷいっとそっぽを向きます。3年の喪以前に、母の葬式に呼ばれなかったせいで意地になってしまったみたいです。やれやれ、姫媺との関係は一応は改善しましたが、こっちはもうしばらくかかりそうです。

姫媺は立場上はすでに曹の国の王様です。本来なら葬式だけでなくそういう意味でも国に戻らなければいけないのですが、曹の国では遺言を忠実に実行するために摂政を代わりにたててしまったらしいです。子履いわく、もう少し時代が下れば確実に放逐されたり殺されたりしているやつですが、それでも焦って国に帰らないあたり、この世界にまだ徳が残っていることの証明でしょう(※儒教では親や上司、国王には絶対に従わなければならず、下剋上や反乱はごく一部の例外を除き否定されているし例外を認めない儒学者もいる)。


あたしは自分の席に行って、荷物を机に置きます。隣の子履しりが話しかけてきました。


、おはようございます」

「おはようございます、様」

「あれから少し時間がたってしまいましたが、摯は姫媺の裸を見たのでしたね。きれいでしたか?感想を教えて下さいね」

「えっ、あ、それは‥‥」

「私の裸も見てくださいませんか?」


子履の目が怖いです。いきなりなに蒸し返しているんですか。と、その時、後ろの机の任仲虺じんちゅうきが打ち合わせたように言ってきました。


「でしたら斟鄩の北の方に、遊戯庭ゆうぎていがございます。そこはいかがでしょうか」

「遊戯庭‥‥?遊園地のようなものでしょうか?」

「‥遊園地‥とは?」


首をかしげる任仲虺の代わりに、子履が答えます。


「はい、そのようなものです。大きいプールもあって、それも有名ですよ」


ん。プール?裸?えっ?


「えっと、今はまだ4月ですよ?寒いんじゃないですか?」

「1学期が終わった直後の7月に行きましょう。摯はこれから、王様のご面会という重要な用事がありますね」

「ああっ、忘れてました」


饂飩うんどん夏后履癸かこうりきに食べさせたいと羊玄ようげんが誘ってきたことから、それを作って食べてもらうことになっていました。その日がもうすぐなのです。


「あたし、殺されないでしょうか‥‥?」

「いいえ、大丈夫ですよ。それに、のちのち夏王様を支援するのであれば、まず夏王様のことを知らなければいけません。しっかり調べるのですよ」

「ふええ‥‥」


そうでした。この引見の裏の目的として、夏王様や家臣の様子を偵察してほしいと子履からも頼まれていたのでした。あたしにそんな役、つとまるのでしょうか。


「私も責任者として、摯と一緒に行きますよ」

「はい‥よろしくお願いします‥」


料理失敗して殺される前に緊張で死にそうです。子履は上機嫌でしたが、あたしは真っ白になっていました。未来のことを詳しく知ってる子履は気楽でいいですね、本当に。

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