第51話 歴史好きな少年・終古

あれだけ騒がしかった建卯けんぼうの月(※グレゴリオ暦3月相当)も終わり、建辰けんしんの月(※4月)が始まります。4月といえば入学式!桜!というのは前世日本の話でして、この世界で日本の桜に相当するものと言えば梅ですが、もちろん梅の花は枯れてしまっています。代わりに野原には、色とりどりの花が咲いています。周りの人たちは梅を春の合図として楽しみますが、あたしにとってはこの色とりどりの花のほうが春という感じがあって好きです。

しんしょうの国でやっていたように、あたしは斟鄩しんしん学園の敷地内にある草原の樹の下で、木陰に包まれて昼寝をしていました。

いやー、この世は平和だな。平和っていいもんですな。などと思っていると、すぐそばで誰かが草原に座って本を読んでいるのが目に入りました。見るところ、男の子のようで、髪の毛をしっかりきれいにまとめて縛っています。緇撮しさつと言いますが、日本人のちょんまげにちょっとだけ似ています。

この世界では髪の毛をきれいに結んで毛先を隠さないと、自分の寿命や魂がそこから抜けていくと信じられています。迷信ってやつですね。子履しりは前世の記憶があるのでそういうたぐいのものはもちろん信じていないですが、商の公子という立場上、長髪の後ろをかわいいリボンを使って結んでいます。ちなみにあたしは平民なのでそんなの関係ありません。平民でも緇撮はするべきなのですが、子履と比べると立場を考えなくてもいいぶん気楽です。


あたしはなんとなく、その男の子が読んでいる本が気になったので、立ち上がってゆっくり近づきます。おっと、男の子があたしに気付いたみたいです。


「すみません、あたしは姓を、名をと申します。その本は何でしょうか?」

伊摯いし‥?確か、1組でもトップクラスの成績を修めた方ではありませんか」

「ま、まあ、そうですけど‥」


そんな話、こんなところにも伝わっていたのですか。いや最初に姫媺きびが無責任に言いふらしたせいで学園中に広まってしまったので時間の問題だった感じはあります。


「そんなお方とお話できるなど、身に余る光栄でございます」


ん?

あたしが何か反応するまでもなく、男の子はいきなり正座して、両手を組んで深く頭を下げます。あたしは慌てます。こんなことをされるの、慣れてないんです。


「いやいや待ってください、あたしのほうが身分は下でございますから」

「いえいえ、本来あなたの姿を拝むことすら身に余る光栄でございます!」

「あなたもここの学生ですよね、じゃあ、あたしが言うのもおこがましいんですけど、あたしのことは対等以下に見てくださいませんか」

「対等などとんでもない!おこがましいのはこちらでございます!」


うん、堂々巡りですね。はぁ、仕方ないですね。面倒だし相手の気の済むようにさせましょう。あたしはため息をついて、その男の子の隣に座ります。


「ところで何の本をお読みになってますか?」

「あっ‥‥‥‥あの‥‥‥‥」


男の子はそれまで読んでいた本を胸にぎゅっと抱いて、答えをためらっているようでした。ええっと、あたしに答えられないことがあるってことは、それ春本(※エロ本)のたぐいなんでしょうか。

あたしが目を細めると、男の子は申し訳無さそうに小声で返事します。


「‥‥‥‥五帝ごてい時代のの国の本です」

「わあ、マニアックな歴史書をお読みになるんですね」

「‥‥‥‥変ですか?」

「いいえ、好きが高じて突き詰めるのは素晴らしいと思いますよ。歴史がお好きなんですか?」

「‥‥好きです」


男の子は少しだけ笑顔になりました。まあ、この男の子よりもやたら歴史が好きすぎて末期オタクになった子を1人知ってるんですけどね。子履というんですけど。それに比べたら、まだやさしいほうです。同じ歴史好きでも、こちらとは普通の会話ができるかもしれません。


「好きな歴史のお話、ちょっと聞かせてもらえますか?」

「‥えっ、いいのですか?」

「いいですよ、いいですよ」

「‥‥‥‥それでしたら、ここに楚伯が山の奥の川へ釣りに行った時の話がございますが‥」


男の子はおどおどした様子でしたが、それでも懇切丁寧に昔あったことをあたしにも分かりやすいように噛み砕いてくれます。


「面白いですね!すごく分かりやすいです!まさか楚伯が川に大切な形見を落としてしまうなんて、そこに現れた仙人の要求も理不尽でしたが無事見つかってよかったですね!」

「はい。この形見が美しい蝶になって伯のところへ舞い戻り、仙人が白い鷹となって消えてゆくのが今回の話です。鷹は帝こく(※五帝の1人)をあらわしていて、その羽が散りゆく、つまりまもなく崩御することを暗示していたのです」

「説明、とても分かりやすかったです。面白いです」

「ありがとうございます」


男の子はにこっと笑って、ゆっくり本を閉じます。あっ、とあたしは思い出します。


「そういえばお名前をお伺いしてもよろしいですか?寮でもお近づきになりたいので!」

「あっ‥僕なんかとお近づきになっても後悔しますよ‥‥」

「でもお話は面白いじゃないですか!好きですよ!」


あたしがにこっと笑ってそう言うと男の子は少し頬を赤らめて口を結びます。


「‥‥僕は姓をしゅう、名をといいます。の貴族です」

「あたしも改めて。姓を、名をといいます。しょうの国から参りました。終古しゅうこ様は歴史がお得意なんですね、将来の夢は歴史に関する仕事ですか?」


あたしの問いかけに終古は少し視線をそむけます。


「‥‥‥‥ま、まあ‥‥僕なんかにはふさわしくないと思いますけど」

「またそんなこと言って。一途になって頑張るのはとても美しいので、自分を下げるようなことは言わないでくださいね」

「‥‥‥‥」


しばらくつばを飲みながら黙りこくっていた終古は、再び笑顔になります。


「‥僕の兄が2人、夏の宮廷で太史たいし(※暦、祭祀、蔵書管理などの役職)をやっています。兄たちと働くのが夢です」

「いい夢だと思いますよ!応援しています」

「‥ありがとうございます」

「ところで、他のお話も聞かせてもらえますか?」


子履はいつも、八王の乱だとか崖門がいもんの海戦だとか、人が大量に死ぬような話ばかりしてくるので困っていたところです。たまには誰も死なない、おとぎ話のような楽しい話があったっていいではありませんか。五帝時代にはそのような話が豊富にあるようです。何回聞いても飽きないものです。

気がつくとすっかり夕方になっていました。


「そろそろ帰ったほうがよさそうですね。また学園で声をおかけしたいのですが、終古様は何年生の何組でしょうか?」

「1年の2組です」

「それなら隣のクラスですね。改めてよろしくお願いします」


学園は学年全体で集まっての自己紹介というのをやらないようなので、他の組のことはあまり知りません。隣の組を尋ねる用事ができたので、次の授業日からまた忙しくなりそうですね。

次も歴史の話をする約束をして、その場は別れました。

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