第42話 同級生を人質にとられました(2)

あたしは歯をぎしらせて、姫媺を睨みます。

‥‥どうしましょう。いえ、あたしの人生も大切ですが、あの生徒たちの命はもっと大切です。ましてや及隶きゅうたいが死ぬところなんて、全く想像できません。


‥」


隣の子履しりが心配そうにあたしを見つめてきます。あたしはにっこりと無理に笑顔を作って、2回小さくうなずきます。


「‥‥分かりました、姫媺きび様‥‥‥‥えっ?」


姫媺や取り巻きが目を丸くして生徒たちの方を見ていたので、あたしもそっちを見ます。

生徒たちが首に押し当てていたはずのナイフは、からんからんと音を立てて次々と地面に落ちました。と思うと、生徒たちが姫媺のほうへ走ってきます。


「ひっ!?」


姫媺やその後ろの2人は顔を真っ白にしますが、足がすくんで動かず、そのまま尻もちをついてしまいます。あたしは何がなんだか分からず、壁に張り付いて様子を見ているしかありませんでした。


「な、何、本当、何なの!?あんたたち、まだ命令は終わってないわよ!持ち場に戻ってナイフを持ってなさい、こっち来るな!あっち行け!」


しかし生徒たちは無言で、後ろの壺を持っている子に群がります。無言で感情もない顔つきだったので、あたしがはたから見ても不気味です。怖いです。ホラーです。子履も怖い様子で、あたしの腕に抱きついて氷のように固まっています。

やがて、取り巻きの子にゾンビのように群がっていた生徒たちが、取り上げた鼓楽壺こらくこを高く掲げます。姚不憺ようふたんの手でした。


「返して!その壺は私の家宝なの!」


取り巻きはそう叫びますが、姚不憺はその壺を地面に投げつけます。壺は粉々に割れて四散します。

そこで、生徒たちの動きがぴたっと止まります。


「あ‥‥れ?」


あたしは声にならない声を出しながら、その人達を注視します。

壺が割れたから魔法も解けたのでしょう。姫媺たち3人が何かわめきながら一目散に走って逃げます。残された生徒たちはみな、目に光を取り戻して、呆然と何度もまばたきしていました。


あたしは慎重に何歩か近づいて、それからその集まりの中に飛び込みます。


たい!隶、無事でよかった!」

「あぶっ、センパイ!?苦しいっす、やめるっす!」


ありったけの力を出して、及隶をきつく抱きしめます。

ああ、及隶の体があったかい。心臓の鼓動が聞こえる。生きている。動いている。


「及隶、生きててよかった!」

「あぶ、ギブ、ギブ、く、くるしいっすセンパイ」

「ああっごめんね」


それでもやっぱり抱き足りなかったので、名残惜しそうに及隶の頭を何度も撫で回してから、次に姚不憺の様子を見ます。

‥と、姚不憺も他の生徒も、教室の奥の方に視線を集めていました。あたしもそこを見ます。この教室にあたしと一緒に入ってきて、姫媺きびと話している途中からあたしの視界に入ってこなくなってすっかり存在を忘れてしまった妺喜ばっきが、そこにいました。何やらおどおどした目で、こちらを見ています。

あたしはまさかと思いましたが、念のため姚不憺に尋ねてみます。


喜珠きしゅ様がどうなさったのですか?」

「‥喜珠がさっきまで呪文を唱え続けていたんだ」


それを聞いて、あたしは直感しました。

操られていたはずの生徒たちの様子が途中からおかしくなったのは、おそらく鼓楽壺によるあんの魔法を妺喜が上書きしたからでしょう。上書きすることはできても元の魔法を除去することはできないので、生徒たちを操ってあの壺を壊させたのです。

妺喜が恐怖で身を震わせながら、少しずつ後ずさりしているので、声をかけずにはいられませんでした。


「妺喜様」

「‥近寄るな」


と止められますが、あたしは無視してすかすかと踏み込んでいきます。

妺喜の目からは、涙が漏れていました。


「お、おい、摯‥」


後ろから姚不憺の不安そうな声が聞こえます。

確かに、妺喜に操られた生徒たちを見るのはとても不気味で、最初に鼓楽壺で魔法をかけて余裕の表情を見せていた姫媺らが怯えているのを見てあたしの背筋もこおりました。でも、そうでもしないと妺喜は命を救えなかったのです。『どうせ嫌われる』であろう生徒たちの命を守るために、妺喜は闇の魔法を使ったのです。


「それ以上寄るな、お前を闇の魔法で殺すぞ!」


妺喜はそう怒鳴ってから、あたしにしか聞こえないような小さい声でまた言ってきます。


「‥わらわと仲良くしているところを見せると、お主まで嫌われるぞ?」


あたしはそれを聞いて安心しましたが、ありったけのため息をつくと、禁断の一歩を踏み出して妺喜をぎゅっと抱きます。


「なっ‥」


妺喜は抵抗もせず固まっていましたが、あたしは妺喜から手を離すと、にっこり笑いながら後ろの人にも聞こえるように大きめの声で言いました。


「隶たちを助けてくれてありがとうございます」

「ああ‥」


妺喜は少しあっけにとられていましたが、すぐにあたしから目をそらしてそっぽを向きます。


「妺喜様、蒙山もうざん国の人に嫌われようと、ここの生徒に嫌われようと、あたしは最後まで味方になります」

「‥‥‥‥伊摯いしはそれでいいのか?」

「はい」


同級生の中で、少なくとも子履はあたしを守ってくれるでしょう。及隶は分かりませんが、説得すれば何とかなるかもしれません。任仲虺じんちゅうきも分かりませんが、子履の親友なのでおそらく敵にはならないでしょう。

あたしの思った通り、子履がこちらへ歩いてきました。


「事情は分かりました。喜珠、私の大切な友を助けてくださり感謝します」


子履がぺこりと行儀正しく頭を下げたのに妺喜はたじろぎます。まだ疑念と怯えから表情は暗いものでしたが、子履が手を差し出すと、妺喜は固唾を飲んで一気に緊張した顔になりました。


「私はしょうの国の公子で、姓を、名をと申します。事情は分かりました。ぜひ仲良くさせてください」


そのかわいらしく愛嬌に満ちた裏表のない天使のような顔つきに妺喜はすごまれますが、すぐ笑顔になってその手を上品に優しく、両手で覆うように握り返します。


「‥‥わらわは姓を、名をしゅという。こんなわらわでよければ‥‥よろしく頼む」


◆ ◆ ◆


姫媺たちは逃げたまま帰ってきませんでした。

務光むこう先生が教室に入ってきて、生徒7人のまま授業が始まります。

最初に務光先生は、姫媺がいない理由を生徒たちに聞いて回りました。姚不憺はちらちらとあたしたちを見ながら回答を濁してくれましたが、その次の推移すいいが、姫媺の取り巻きの鼓楽壺、生徒たちが操られていたこと、妺喜のこと、全部話してしまいました。


「‥予定より早く知られてしまったようですね、喜珠。こっちに来なさい」


務光先生はふうっとため息をついて、持っていたノートを教卓に静かに置きました。

あたしの隣の席に座っていた妺喜が椅子を立って教卓の隣に並ぶと、務光先生はその背中を軽く叩いて説明を始めました。


「学生の皆さん、大切な話があります。喜珠はすいもくきんのどれにも属さない、闇という特別な魔法を操ります。魔力そのものは喜珠や周囲の人に影響を及ぼすことはなく、あくまで使い手の扱い方次第です。その特性や、闇の存在自体がほとんど知られていないことから、世間では強い偏見や差別が発生しやすいと言われています」


2日目の授業でいきなり重い話ですね。学生たちも、みんな気持ちが沈んでいます。

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