第35話 姚不憺とお出かけしました(3)


果たして3時間後、大夫、2人の用心棒、2人の使用人、そして話を聞きつけ物見遊山にやってきた人たちが集まります。

前世のうどんはつゆの中に入れるものでしたが、この世界では、少なくともしんの国では野菜炒めに混ぜたほうが好まれるので、今回もそうしてみました。ほぼ焼きうどんですね。キャベツや人参などの中に、茶色に変色した饂飩うんどんが混ざっています。ちなみに、あたしは莘の人に『うどん』と説明しましたが、莘の人からするとどうしても発音がなまって『うんどん』になっちゃうんですよね。『うんどん』という名前のまま、この世界に広がってしまっています。漢字も莘の人が当てました。よく思いつくなそんな難しい漢字。(※漢字『饂』は実際は国字。現代中国では『烏龍麵』と書かれる)


物見遊山を店に入れるために店員が次々とテーブルを部屋の端にどけていきます。迷惑だな。部屋の中央に置かれた来賓用の特別なテーブルに座って、ぷくぷくに太った貴族がその饂飩を睨みつけます。


「ふん、本当に作りやがったようだな」


大夫はそばにいる使用人を手招きして、饂飩とキャベツを一口食べさせます。貴人は食事の前に毒味をさせることがあり、何ら失礼なことではありません。前世のような平和な世界でやられるとむかつきますけどね。こうしている間にも料理は冷めてしまうのでそこは残念です。毒味1人くらいならぬるくなる程度かな。

そして大夫はかつかつと饂飩を食べ始めます。途端に「うん、うん」と声を上げますが、ちらっとあたしを見た後は黙ってしまいます。でも食の進みは速いです。あっという間に平らげてしまったあと、大夫はいきなりテーブルを叩きます。拳でくりくりとテーブルを震わせています。


「おい、これが饂飩か?これは偽物だ!」


そりゃ、この世界の殆どの人が食べたことがないのですし、少なくとも今この中で饂飩の実物を知っているのはあたしと及隶だけでしょう。


「黙って食べてみれば、何なんだこのつまらん味は!お前は饂飩を作れなかった、このみせを明け渡してもらおうか!」


うん、予想の範囲内です。ていうかこうなることは姚不憺ようふたんがあらかじめ予想してました。店員たちはおろおろしてますが、あたしも及隶きゅうたいも澄まし顔です。

2人の用心棒が当たり前のように斧を振り下ろしてきますが、すかさずあたしたちの前に姚不憺が割り込んできます。


強く大きく、そして早口で呪文を唱えた時、用心棒たちの持っている斧の木でできた柄の部分から突然、無数のつたが伸びて用心棒を襲います。


「何だこれは!?」

「うっ、絡みついてきやがる、おい!」


あっという間にその体を縛り上げます。姚不憺は五行ごぎょうのうち、もくの魔法を使うのです。


「何だお前ら、この役立たずめ!」

「ですが御主人様」

「クビだクビ!私兵を連れてきてやる!千はいるから覚悟しやがれ!」


などと言って貴族が逃げていきますが、逃がしません。店の玄関前で悲鳴が聞こえます。あたしの魔法で作った落とし穴に見事落ちちゃったみたいですね。

さて手はず通りに大夫を脅して金の貸し借りの話もなかったことにしましょうか、もともと押し貸しだったらしいですけど、などと思って人混みをかき分けて玄関まで行きます。


その大夫は何人かの兵士に引っ張り上げられていました。えっ兵士?何でここに兵士がいるの?

と思って見てみると、馬からまた1人、別の貴族が下りてきます。黒く立派な冠をしているので、おそらくの家来でしょう。その貴族は姚不憺、そしてあたしの姿を認めると、尋ねてきます。


「あなたが、噂の子供の料理人でしょうか?」

「は、はい」

「名前は?」

「姓を、名をと言います」


その貴族は、先程のぷくぷく太った大夫と比べるとはるかに痩せていて、そして礼儀正しいように見えました。すごく好印象です。そして、あごひげがかっこいいです。いえいえ、さっきの大夫を助けたくらいですから警戒しなければいけません。


「私は姓を、名をと申します。愚兄のかんが失礼いたしました」


そう言って頭を深く下げてきます。ええっ、あ、あたし庶民です。夏の家臣とかにそんなことをされたら恐縮します。あたしはとっさに土下座してしまいます。


「いえ、そんな、滅相もございません、こちらこそ、そ、その」

「いいえ、全ては弇の素行に問題がございます。この店には後日あらためて謝罪に伺います。この儀は大変ご迷惑をおかけいたしました」


そう言って、あっけにとられるあたしたちを残して、何人かの従者もろとも帰っていってしまいました。


◆ ◆ ◆


夕食です。寮の食堂でも、昼の事件を話題にする人が何人かいました。当事者がここにいるんですが、みんなそんなことは知らずに会話しています。あたしは姚不憺と2人で同じテーブルを囲んで、昼の出来事を振り返りながら食事します。及隶は学生ではないので食堂を利用できず、使用人用の粗末な部屋で食事をしています。あたしも最初はそこで食べようとしたんですけど追い出されたので、なんともむず痒い感じです。


「それにしてもよう様、あのお店を買えるだけのお金があったのですね」

「あはは‥口から出任せですよ。僕にはの國の金に手を付ける権限はないんですよ。もしが負けたら、僕は父上から叱られるところでした」

「ええっ、じゃあどうしてあんなこと言ったんですか!?」

「摯のことを信じてたからですよ」


姚不憺が爽やかな笑顔で言ってくれます。えええ‥‥そんな顔で見られると、すごく照れます。恥ずかしいです。かっこいいです。好きになってしまいそうです。

と、4人テーブルであたしと姚不憺は隣り合って座ってるのですが、その向かいの空いている席に任仲虺じんちゅうきがお盆を持って座ってきました。


「本日の昼、店の危機を子供の料理人が救ったという噂が立っておりますが、もしかして摯さんですか?」

「はい」


あたしが返事すると任仲虺はくすっと笑って、食べ始めます。


「‥‥和晖かき様、和弇かかん様は夏の重臣だそうですよ」

「あっ‥そのような者とは知らず無礼を働いてしまい‥‥」

「いいんです。正義は摯さんのほうにありますから。‥ですが下手するとしょうの外交問題に発展しますから、今度は慎重にやってくださいね」

「はい、すみません」


やっぱり士大夫に楯突くのはリスクのある危険な行為なんですよね。今回は姚不憺がいたからいいものの、もし庶民のあたし1人が貴族と戦うとなると、その場で勝てても後から捕まっちゃいそうな気がします。身分差は面倒です。


「ところで」


任仲虺は不自然に姿勢を正して、こほんと咳払いします。


「‥‥今回の件でさんが怒っているのですが、なぜだと思いますか?」


そう言われてあたしはとっさに、横にいる姚不憺を向きます。この前、あたしが姚不憺に浮気したと疑われた事件があったのでした。今回の一件で目立ってしまったのでしょうか、あたしは立ち上がると、申し訳無さそうに姚不憺から椅子を離します。


「‥僕と一緒にいると子伯しはく(※子履しり)さんが怒るのでしょうか?」

「‥はい、この前叱られました」

「なぜ‥?」


事情を知らない姚不憺は呆然としています。そりゃ想像つきませんよね、あたしと子履が女同士で婚約してるなんて。

しかし任仲虺は、首を縦には振りません。


「履さんはそのことでももちろん怒っているんですが、他にも理由があります」


任仲虺がそう言い終わるか終わらないかのうちに、任仲虺の隣に子履がお盆を置いてきます。


「摯」

「‥!? は、はい‥」


子履は、あの時あたしが姚不憺に浮気したのではと嫉妬するときと同じオーラをまとっていました。

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