第22話 イケメンと話しました

でも姚不憺ようふたんがあたしの誘いに乗ったところで、婚約相手がいないと確定したわけではありません。婚約者はプライベートな話題ですから、ある程度仲良くならないといけません。


「その前にあたしは買い物をしないと‥」

「僕も服を買いますから手伝いますね」

「ああ、ありがとうございます!」


そうして服選びに戻りました。まず姚不憺と一緒にあたしの服を選ぶことになりました。えっどうしてこうなった。


「好きな色はどういうものですか?」

「はい、あたしはオレンジや黄色が好きです」

「では少し赤みかかったオレンジになりますが、これはどうですか?」

「ありがとうございます、ただ冬は少し寒いですね」

「ならこの焦げ茶色の厚手の外套がいとうはどうですか?」


んん?どうしてあたし、姚不憺と普通にしゃべってるんですか?

いえ、子履しりとくっつける作戦のために今しゃべってはいけないということはないんですけど、なぜかわからないんですけど、あたしの心臓が高鳴りしているような気がします。なんとなく姚不憺のことを避けたくて、ちらっと及隶きゅうたいを見ます。にやにやしていました。何でそんないじわるな顔するんですか!

あたしが及隶を叱りつけようとしたところで、また姚不憺が新しい服を見繕ってきました。


「この漢服かんぷくがあれば士大夫らしく見えると思いますが、いかがですか?」(※ここで漢という字は、三代からさらに時代がくだり秦よりもあとに成立する漢王朝が由来となっており、本来この時代には存在しない語である)


それは真っ白な上着の下に、赤色の唇のようなラインに囲まれた、きれいなオレンジ色の下着が輝いているものでした。きれいです。きれいすぎます。あたしはすかさずそれにとびつき‥‥たいところですが、まず棚に書いてある値札を確認します。うん‥‥庶民でも手の届く金額ですね‥出せないことは‥ないはずです‥‥。


「お金、少し出しましょうか?」

「いえ、そんな、そういうわけにはまいりません‥」

「いいえ、僕は高級なものには手を出せませんが、これでも公子ですからお金はそれなりにありますよ」


姚不憺がにっこり笑うので、あたしは発作のように頭を下げました。あれ?ここでは頭下げるのが普通なんだけど‥姚不憺に自分の顔を見せたくなかったのか‥‥?あっ、そうだ、お礼の言葉言い忘れた!


「あ、あっ、あ、ありがとうございます!」

「センパイ、姚不憺さま行っちゃったっすよ」

「ええっ!」


気がつくと姚不憺は、あたしの漢服を抱えながら、ワンランク高級な服の売り場へ歩いていってしまいました。えええっ!あたしは慌てて追いかけます。


よう様、あたしのものを持たせるわけには参りません!」

「いいえ、いいんですよ。どうせ会計は僕がしますから」

「いえ、そういうわけには!」

「いいんですよ、伊摯いしさん」


姚不憺がまたにっこり言うので、あたしはぷいっと横顔を見せました。


「‥‥あっ、ありがとうございます‥」

「ふふ、元気な人ですね」


そのまま歩き出していってしまいます。あたしも姚不憺が服を選ぶのを手伝わなければいけないので追いかけます。ふと、及隶がにやにや笑っているのが目に入りました。殴りたいです。


◆ ◆ ◆


店から出ました。あたしは紙袋を抱えて、何度も姚不憺に頭を下げてから、彼の後ろを歩きました。


「横を歩いてもいいんですよ」

「いえ、そういうわけには参りません、身分の差がございまして‥」

「僕はそんなの気にしませんよ」

「で、ですが公子は他国を視察することもある身、あたしと姚様のお顔を覚えた民衆が、十年後二十年後にどんな変な噂をたてるか‥‥」

「そんな人達は僕が叱りつけるから、安心していいんですよ」


その力強い言葉に、あたしはまた頬に熱がこもったような気がします。しばらくうつむいてから、無言で姚不憺の隣に立って歩きました。後ろから及隶の笑い声が聞こえるのが、なんともむかつきます。


さて‥‥経緯はどうあれ、そろそろプライベートな話ができるようになった頃合いです。かといって婚約のことをストレートに聞くわけにもいかないので、それとなく尋ねてみます。


「あの‥」

「どうしましたか?」

「これからしょう伯のお嬢様のところへご案内するのですが‥お嬢様も年頃の女の子でございます。姚様はお嬢様とお会いになっても差し支えないでしょうか?」

「ああ‥大丈夫ですよ」


大丈夫みたいです。よかったです。ほっとしたのもつかの間、姚不憺は前を見て、つぶやくように言います。


しょうの国には、元気でかわいい女の子がいるのですね」


この國に入ってから、そのような子を見かけたのでしょうか。商に対してポジティブな印象を持ってくれたなら、あたしもこの國に仕える身として嬉しいです。


「はい、商は活気のある國ですからね。でもお嬢様はこの國で一番かわいいですよ」

「ん‥‥あ、ああ、そうですね」


なんだか姚不憺の返事は歯切れが悪いように感じます。いつの間にかあたしの横を歩いていた及隶が、あたしの服の袖を軽く引いて、唇を尖らせます。


「センパイのことっすよ」

「えっ、何が?」


あたしがきょとんとした顔をすると、及隶は何やら呆れた様子でため息をついて、あたしたちの後ろの位置に戻りました。何の話だったんでしょう。


それにしても姚不憺の話は面白いです。姚不憺のいるの国は、この世界の伝説の王様・五帝ごていの1人である帝しゅんの子孫が治めている国らしいです。小さい国なのにこんな歴史があるのですね、とあたしは感心しました。しんの国の御主人様や姒臾じきの創始者であるの末裔であるという話を聞いたことがありますが、家系図が何百年も続くことにロマンを感じます。

その他にも、虞の国にはこれまでにも様々なエピソードがあるらしいです。


「むかしむかし、しょうの時代に夏后氏かこうし寒浞かんさくという人間に中原を追い出されたことがあるんですよ。そのときに少康しょうこうが中原を取り戻そうと奮闘なさっておりました。虞の國はそれに協力したんですよ」

「そんな事件があったなんて!」

「学園の歴史の授業でも学ぶと思いますが、大変興味深い話が聞けると思います。そうだ、その杼は『九尾の狐』という伝説の生物を手に入れたという話も伝わっていまして‥」


なぜか飽きません。あたしの心がふわふわ浮いているような気にもさせられます。

それにしても及隶がにまにま笑っているのが気になります。後で叱りつけるのは確定ですね。


◆ ◆ ◆


なんだかんだいううちに、商伯の屋敷まで着きました。あたしが玄関の使用人に姚不憺のことを説明すると、「お嬢様に取り付きますので、少々お待ち下さい」と言って姿を消したのでしばらく待ちます。

少し経って、使用人の案内で姚不憺は階段を上って2階に姿を消します。これで姚不憺が人形のようにかわいい子履に一目惚れしてくれたら万々歳ですけど、そうはうまくいかないかもしれないんですよね。でも姚不憺が一度子履の顔を見て話した後であれば、後からいくらでも工作のしようがあります。さてどのような言葉を吹き込みましょう、などと考えながらあたしはキッチンへ戻ろうとします。


「伊摯さん!」


ここは1階と2階の吹き抜けになっているのですが、2階の廊下の手すりを掴んで姚不憺が声をかけてきます。


「いかがなさいましたか、お忘れ物でございますか?」

「いいえ、伊摯さんもこの部屋へ一緒に来られないのですか?」

「ええっ、あたしは庶民でございますのでそのような場所には‥」

「でも学園の試験に参加されたでしょう?それだけの権利はあるのではないですか?それに僕は、もっとあなたとお話したいんです」

「うっ、それは‥」


権利がないと言ったら嘘になります。何せ子履に下の名前で呼べと言われた身ですし、正真正銘の婚約者でもあります。自発的にやったことはないものの、あたしにはいつでも好きなときに子履に会いに行く権利だけはあります。

隣で及隶がくいくいあたしの背中を押してきます。‥‥姚不憺と子履が顔合わせさえすれば、今はそれでいいのです。別にあたしがその場にいてもいいんじゃないでしょうか、と思い直します。あたしは自分の持っている漢服を及隶に手渡します。


「‥わかりました、ご一緒させていただきます。及隶、お茶をお願い」

「分かったっす!」


そうしてあたしは、姚不憺に誘われる形で2階への階段を上りました。

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