第19話 子履の前世と古代中国の歴史(1)
でも子履も、どうせ庶民に頼むなら使用人よりはあたしに頼みたいそうです。まあ、女の子なので気持ちはわかります。それだけ信頼されている証拠でしょうか。だめだめ子履とは距離を置かなければいけません、とあたしは何度も自分に言い聞かせながら、雑巾で床や机を拭きます。
この世界、人の名前や食べ物や服装は中国風ですが、建物自体はヨーロッパのそれです。洋風のおしゃれな机、そして中国にはなさそうなきれいな床や絨毯があります。洗い物は使用人に渡して、自分は雑巾でホコリを取り除いてきれいにします。
「ん?」
ふとあたしの目に、机の上に乗っているノートがとびこみます。そのノートは表紙に「秘」の文字、その周囲を囲むように丸が書かれていました。マル秘というやつです。それを見て、あたしは違和感を持ちました。
まず、文字を丸で囲んで記号のように使う文化そのものがこの世界にはなかったような気がするのです。初めて見たかもしれません。好奇心から、あたしはついついそのノートを手に取ってしまいました。
子履に見られてないよね?と周囲を何度か確認して、ノートをバラバラ開きました。あたしは目を丸くしました。そのノートに書かれているのは、どうやら何かの歴史のようでした。何かの国が滅んだとか、どことどこが戦争したとか。
それよりも目を引くのが、日本語で書かれているという事実です。この世界で使われている漢字だけでなく、ひらがな、カタカナ、数字も含まれていました。日本語です。前世の日本語です。「紀元前」「中国」「日本」などという、この世界では見たこともないような言葉が並んでいます。
この世界に、あたしの他に日本人から転生して、前世の記憶を持つ人がいるというのでしょうか。そしてそれはおそらく。
「そのノートの文字が読めるのですか?」
びくっと振り返ると、開いたドアとともに子履が入ってくるのが見えました。あたしは少し冷や汗をかきましたが、それでも好奇心が勝ちました。
「はい」
「ふふ」
子履はにっこり笑って、ゆっくりとあたしに近づきます。
「やはり、
「はい‥」
「私も日本人から転生してきました」
子履は何気なくあたしが手に持っているノートを取って、机の上に置きます。
あたしと2人きりでいるときはいつもあたしから距離を取ってしまう子履ですが、何故かこのときはすました顔をして平然としていました。
「この部屋を掃除させて正解でした」
机の椅子に座って、あたしと向かい合って、ノートをゆっくり開きます。
あたし、まさか同じ日本にいたという前世を持っている人がこの世界にいるとは思いませんでした。そう思うと、急速に親近感が湧いてきました。子履にはいろいろ聞きたいことがあります。何か質問しようと声を出しかけたところで、先に子履から質問してきました。
「摯は、自分の前世の名前を覚えていますか?」
あれ、そういえばよく覚えていません。前世はもう少なくとも7年より前のことなので、記憶が曖昧なのです。
あたしが答えられないていると、子履はまたにっこり言ってきます。
「覚えてないのですか?」
「はい、よく覚えていません‥」
「私は前世、栃木第一高校の柏原雪子という名前でした。何か思い出しそうですか?」
「はい?」
ここで子履の前世の名前を聞いて、あたしが何を思い出すというのでしょうか。その質問が妙に引っかかりましたが、あたしは黙って首を振りました。
そうだ、自分も聞きたいことがあったのでした‥‥と思ったタイミングで、子履がまた聞いてきます。
「このノートに書かれていることは分かりますか?」
「えーっと‥何か歴史の話が書かれているようでした」
「これは、この世界のこれからの歴史です」
「えっ?これからの歴史?想像なのでしょうか?それとも占いですか?」
「いいえ」
子履はばたんとノートを閉じて、あたしを見上げます。
「この世界は、文化こそ近代ヨーロッパのものが混じっていますが、国体はまさに前世の古代中国そのものなのです」
「えっ?中国風の世界だと思っていましたが‥」
「いいえ、確かに政治や国際情勢はまさに中国そのものですが、このような建物はありませんでした」
「確かに‥」
それからノートをまた開いて、ひとつのページをあたしに見せました。年表のようでした。その年表のひとつひとつを指差して、子履はまた尋ねます。
「摯も高校で世界史を勉強していたのでしょう?中国の歴史はどこから勉強したか覚えていますか?」
「えーっと‥‥えーっと‥‥」
「‥
「はい、覚えてます」
有名ですよね。中国で最初の皇帝という。
「その前に戦国時代がありました」
「あ、覚えてます、日本の戦国時代とは違いますよね、そこが印象に残ってて」
「その前の春秋時代のことは?」
「えーっと‥曖昧ですが確かにそんな時代があったような」
「では、春秋時代が始まる前に実権を握っていた
「はい、確か紀元前1000年ころに
確かに教科書の最初に書いてあったのは殷と周の話だったような気がします。うん、これです。あたしがそう答えると、子履はふーっと深呼吸します。
「‥‥周の前には殷という国がありました。では、殷の前にあった国は覚えていますか?」
「えーっと‥‥聞いたこともないような気がします。殷が最初でしたか?」
「ふふ、確かにそうですよね。殷の前にあった国は、世界的には実在が証明されたとみなされておらず、載ってない教科書も多いかもしれませんね」
そして、そのノートの年表をめくって前のページに戻ります。
「
「‥えっ?夏ですか?今、この九州全体を支配しているあの大きい國のことですか?」
「はい」
子履は淀みもなく答えてから間を置きます。まさかここでこの世界にある國の名前が出てくるなんて。この間がとても静かで長く感じられました。
「
「禹‥‥この世界で聞いたことがあります」
「この世界でも有名ですよね。何せ、夏という素晴らしい王朝を創始した伝説の神様のような存在ですから。
それはこの夏の国の教養というか、半ば常識のようなものでした。
「これは、前世の日本でも有名だった話です」
「えっ」
「そのほかにも、この世界の昔話は、前世の古代中国の歴史と共通点が多いのです。まるで私たちが古代中国の世界にタイムスリップしたかのように」
「まさか‥そんなことを言われても、あたしは前世で中国をそこまで知っていたわけではないので‥」
実際、殷・周より前のことは前世で聞いた記憶はありません。この世界で聞いた知識しかありません。あたしが戸惑うそぶりを見せると、子履はまた言いました。
「昔、中国で10個の太陽のうち9個を打ち落とした弓の名手の話は聞いたことありますか?」
「はい、それは前世でも絵本で見たような気がします」
「その弓の名手は、
「あっ‥」
前世の絵本にも出るような身近な話を例に出されると、さすがに反論のしようがありませんし、急に現実の話のように感じられます。あたしが納得したのを確認したのか、子履はまたにっこりと微笑んで続けます。
「ここからが本題ですよ」
「はい」
「前世の歴史書で少し未来の話をしますね。夏の最後の帝は
子履はノートをめくって、ひとつの見開きをあたしに突き出しました。人物の相関図のようなものが書かれていました。子履の表情は、さっきのほほえみからは一転、ものすごくまじめなものになっていました。
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