第11話 士大夫と一緒に寝ました

夜になりました。

あたしはその部屋のドアを丁寧にノックして、恐縮して何度も深々と頭を下げながら入りました。


「失礼します、伊摯いしです」

「あら、伊摯さん、ようこそいらっしゃい」


部屋の主は、今日この屋敷に泊まることになった任仲虺じんちゅうきです。ゆったりした寝間着に身を包んでいます。


「‥あら、伊摯さん、寝間着はないのですか?」

「ございません、この服だけでございます」

「そういえば庶民でしたね、失礼しました。わたくしの寝間着をお貸ししましょう」

「いえ、そんな滅相もございません‥」

「いいのです」


任仲虺は遠慮するあたしを押して、大きなカバンの中から衣服を取り出して渡してきました。


「ほら、そこで着替えてください」

「で、でもっ‥‥」


そこであたしは初めて、任仲虺の顔を見上げました。前世であたしには何人か友達がいましたが、それと同じです。見下してくることも見上げてくることもなく、ただ対等にあたしを見てくれる、そんな笑顔に思えます。


「‥分かりました、少しお時間を頂戴いたします」

「ふふ、よろしくね」


そう言って任仲虺はベッドに座りました。えきなど中国風のものや習慣はありますが、ベッドは西洋のそれです。士大夫向けとあって飾り付けがしてありますし、シーツもあたしがいつも使っているべらべらの布団より遥かにきれいで、高価な布を使っているように見えました。高価とはいっても、前世で旅行に行った時の並のホテルと同じくらいの感じでしょうか。

でもこの世界は前世とは違い、身分制があります。庶民は庶民、士大夫は士大夫です。あたしは果たしてそのような高価なものに身をうずめていいのでしょうか、と戸惑いました。貸していただいた寝間着も、庶民には手の届かない素材を使っているようで、普段は感じないような柔らかさや温もりを感じます。


「着替えが終わりました」

「では、ベッドに来てください」

「は、はい」


任仲虺が1人分のスペースをあけてくれました。それにしてもこのベッド、ずいぶん大きいです。今は任仲虺とあたしの2人だけですが、3人入っても少し隙間ができそうなくらい大きいです。これが1人用というのですから、さすが士大夫です。


「どうして任仲虺さまは、ここまであたしに良くしてくれるのでしょうか?あたしにここまでするのなら、他の庶民にもこれくらいしないと釣り合いがとれないというか‥」


ついぼろっと心の声が漏れてしまいましたが、任仲虺は丁寧に答えます。


「あなたに魔力があるからですよ」

「そんな、まだ魔法も見てもらってないのに‥」

さんは自覚がないようですが、彼女は同年代の中では魔法が上手なほうです。その履さんが上手いと言って、しかも学園にまで入れようとされたではないですか。見なくても伊摯さんの魔法が上手いと分かりますよ」

「そんな‥」

「魔法が使える限り、あなたは他の士大夫とも交流を持つでしょう。そんなあなたと今から仲良くするのは、わたくしにもメリットがあるのです。‥‥‥‥あなたが恐縮するからこう言ってしまいましたが、もちろんわたくしも無味乾燥な関係は望んでいません。わたくしの親友の履さんの屋敷でお会いしたのはきっと何かの縁です。あなたと友達になりたいと思っているのです。ふふ」


任仲虺はにっこり笑いました。それであたしも少しばかり気持ちが楽になったような気がします。


「伊摯さんも肩の力を抜いてくださいね。横になったほうが落ち着きますか?」

「‥はい」


緊張が完全に取れたわけではありませんが、任仲虺に促されてあたしは一緒に布団の中に入ります。

うわ、このベッドやわらかいですね。庶民向けのベッドは硬いし布団も薄いんですが、これは前世のベッドより深く埋まるし快適な感じもします。ええ、本当にこの中に入っていいんでしょうか?少しでも汗やよだれを垂らしたら後から高額な賠償請求が来たりしないんでしょうか?

それを加えても目の前にいる任仲虺の笑顔が柔らかくて、まるであたしの母親のように母性があって、顔を見合わせるだけで肩の力が抜けます。


「わたくし、伊摯さんに聞きたいことがあるのですが‥」


任仲虺がそこまで言ったところで、ドアのノックがしました。


「‥あっ。伊摯さんは隠れてください。はい、どなたですか」


任仲虺がすかさず布団を引っ張ったので、あたしはその中で丸くなって隠れました。目の前は真っ暗ですが、物音と声だけが聞こえてきます。


子履しりでございます」

「どうしましたか?もしかして眠れなくなりましたか?」

「いえ、せっかく仲虺ちゅうきが泊まってきたのですし、一緒に寝ないともったいないような気がしました」

「それは、分かります。ではわたくしも少し準備がありますので、もう少しお待ちくださいますか」

「‥待ちきれないですよ」


そう言って、子履が近づいてくる足音が聞こえました。


「あっ、ちょっと‥」


任仲虺が声をあげますが、まもなく子履がばっと布団をめくります。

あっ。子履と目が合いました。見つかってしまいました。


「あら、伊摯もいらしてたのですね」

「は‥はい‥」


どうしましょう。ここに庶民がいるとばれてしまうと後が怖いです。きれいなベッドを汚い庶民が汚してしまったとかで叱られるのでしょうか。実際、しんの屋敷で1度だけ経験があります。


「私を差し置いて、他の女に浮気ですか?」


あっ‥子履の場合は別のベクトルから怒るのでしたね‥‥子履はにこにこ笑っていますが、目が怖いです。


「あら浮気だなんて、履さんは伊摯さんにご執着になっておいでなのですね」


婚約のことを知らないふりをしている任仲虺はごまかすように言いますが、子履は返事もせずベッドの上に乗ってきました。


「私も一緒に寝かせてくださいね」

「うう‥」


本当は嫌なんですが、婚約してるのに浮気したということになりますから言い訳ができません。どうしましょうと任仲虺に視線を送りますが、任仲虺はふふっと困ったように笑っています。


「では3人で寝ましょうか」


と言って、布団をかけてきました。


あたしは任仲虺と子履に挟まれる形で横になりましたが、子履があたしの腕をそっと握ってきます。もちろん布団に隠れているので、任仲虺からは見えないでしょう。


「お話をしようと思いましたが、これでは難しそうですね」


あたしは「あはは‥」と返す言葉もなく、子履が腕に頬をこすり付けてくるくすぐったい感触を味わうしかありませんでした。


◆ ◆ ◆


翌朝。まだ鶏も鳴かない時刻です。こんなところにいますがあたしはやっぱり庶民なので、庶民の仕事があります。早々に厨房へ行かなければいけません。

寝間着を丁寧に畳んで自分の汚い服に着替えると、まだベッドで寝ている2人に礼をして部屋を出ました。


少し経って、鶏の鳴き声とともに起き上がった子履は、腕を伸ばしていました。顔からは笑みがこぼれています。すると任仲虺も起き上がってきたので、子履はお礼をします。


「ありがとうございます、仲虺ちゅうき。いきなり作戦を言われた時はどうしようかと思いましたが‥‥よかったです」


そう言う子履の目から少しだけ涙がこぼれ落ちていたので任仲虺は少し首を傾げますが、「ふふ‥」と笑いかけて姿勢を正します。


「伊摯さんとさんに同時に婚約の話をされたときはどうしようかと思いましたが、履さんのお手伝いができて嬉しいです」

「はい。これからもこの調子で距離を詰めていって、最後は夜の営みをおこなうコースでお願いします」

「ふふ、分かっていますよ」


2人は冗談のように言い合いました。ベッドから下りる子履に、任仲虺はふと思い出したように尋ねました。


「ところで伊摯さんは履さんと結ばれるのを嫌がっておられるようですが、履さんはそれで問題ないのでしょうか?」

「‥‥問題はございませんよ。私と伊摯は‥‥遠い昔、愛し合っていたのですから。遠慮してばかりいては手に入るものが入らなくなるということを、前世で学びましたから」

「前世‥‥三皇五帝さんこうごていの時代ですよね‥‥?」

「‥あっ、前世は言い間違いです」


子履はそう訂正して、床に足をつけました。

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