第12話 斟鄩へ行きました

子履しり任仲虺じんちゅうき姒臾じきの3人が乗った、ヨーロッパ風の黒をベースとしたおしゃれな馬車が道を進みます。その後ろには、あたしをはじめ使用人たちが徒歩でついていきます。及隶きゅうたいも一緒にいます。

あたしたちは、学園の入学試験のために、の首都である斟鄩しんしんへ向かっています。夏はこの九州きゅうしゅうにあるたくさんの国の上に立っているリーダーのような存在で、とても偉い国なのです。

ちなみに商丘しょうきゅうの屋敷のほうには、新しく雇った料理人2人が、あたしの書き置きしたメモを見ながら懸命に料理の指揮をしてくれています。来年春までにあたしの前世の料理を一通り教えなければいけないので、この旅から帰った後は忙しくなりそうです。


現世で足腰が鍛えられているとはいえ、やはり馬車を見ながら歩くのは結構しんどいです。子履から一緒に乗らないかと誘われましたが、姒臾があたしをめっちゃ睨んでくるのと、あたしも子履とあまり距離を縮めたくないので丁重にお断りしました。しょんぼりしている子履を任仲虺が慰めているのが印象的でした。

代わりにあたしは及隶と時折話しながら歩きました。かわいい後輩と一緒にいるのが一番です。うん。


たいも料理人になる気でいたのに、来年から雑用っすか‥‥」

「巻き込むみたいな感じになっちゃってごめん」

「何でもいいっすけど‥」


及隶は来年の春から、斟鄩しんしん学園で子履とあたしの身の回りの世話をすることになっています。そりゃ、これまで積み重ねたものが無意味になると分かればやる気も落ちるものです。


なんて思っているうちに、馬車がいきなり止まりました。周囲には町も民家もありません。トイレでしょうか?と思っていると、馬車から任仲虺が下りてきました。


伊摯いしさんはいらっしゃいますか?」


うええ、呼び出しですか‥‥やっぱり子履関係ですよね。使用人たちの目の前ですと断れないんですよね。あたしはやれやれと思いながら、手を挙げました。


「はい、あたしです。どうかしましたか」

「すみません、今、馬車の中でトラブルが起きておりまして、わたくしだけでは手に負えず、緩衝材が必要なのです」


ああ‥姒臾と子履は馬が合わないのでしたね。とはいえ、あたしが入ると余計状況が悪化したりしないでしょうか。


「あたしも姒臾様に嫌われているような気がします、余計悪化しないでしょうか?」

「そこはわたくしが取り繕いますので、本当に、本当にお願いします‥!」

「‥‥分かりました」


もうここまで言われると仕方ないですね。あたしは任仲虺に手を引かれて馬車に入りました。

2人が並んで座れるソファーのような柔らかい椅子が向かい合って置かれていましたが、それがゆったりしすぎているために詰めれば3人座れるような感じでした。

姒臾が子履の隣りに座って、険しい顔をしています。子履はうつむいて震えています。なるほど、ここであたしの出番なんですね‥と納得はしましたが、子履と姒臾の関係は子主癸ししゅきの耳にも入っているでしょうし、こうなることは出発前に察知できなかったのでしょうか。

案の定、姒臾があたしを見て抗議しています。


「何だお前は、何で庶民を入れるんだ!」

「あまりに姒臾さんとさんが熱く愛し合っておいでですから、わたくしは1人耐えられず友人を招き入れた次第です」


任仲虺は涼しい顔をしながら子履の腕を引っ張ると、姒臾の向かいの椅子に任仲虺、子履、あたしの順番で座らせました。馬車はまた動き始めました。一方の姒臾は憤慨気味です。


「そいつは俺の婚約者なんだ、俺だけのものなんだ!返せ!」


くいっと子履の腕を引っ張ってきます。ここでふと、長く黒い髪の毛に隠れた子履の横顔が見えましたが、目の下にある頬骨のあたりが赤く腫れているように見えましたので、あたしは思わず子履の腕を引っ張り返して姒臾から離しました。


「なぜ邪魔するんだお前、殺すぞ!自分の身分をわきまえてんのか!」

「女に手を出すような男に、お嬢様はお渡しできません」

「は?何だと、こら!」


姒臾が今度はあたしの頬をぶってきます。おもいっきりぶってきます。そりゃ子履の頬が腫れるわけです。ですがあたしも負けていられません。子履に抱きついて、叫びます。


「お嬢様はあたしがお守りします」

「は?何だとお前、馬車を止めろ、表に出ろ、殺してやる!履を守るのは俺だ、攻撃してるのはお前の方だ!」


などとあたしと姒臾が言い合っていると、任仲虺がひらひらと紙を振っているのが見えます。窓の外には、馬車と並走している使用人が持っているであろう長い木の棒も見えます。


「姒臾さんの熱心で素晴らしい愛情にわたくしいたく感動いたしましたので、一日も早く早馬を商丘しょうきゅうまでとばしてしょう伯(※子主癸ししゅき)にお伝えいたしたく手紙を書きました、とばしましょうか?」

「うっ‥」

せつとしても周囲の國に呼びかけて、共感いただいた者たちと一緒にしんまでご挨拶に伺い姒臾さんのことを賛美したいのですが‥‥」

「ふんっ!」


それが相当堪えたらしく、姒臾は鼻を鳴らしてソファーにもたれました。任仲虺、かわいくて丁寧な口調で話してるのに言ってる内容がえげつないです。戦争でも始めるつもりなんじゃないでしょうか。めっちゃ腹黒かもしれません。姒臾は少しすると、そのまま腕を組んでうとうとし始めました。

うん、そろそろあたし下りてもいいんじゃないでしょうか。ていうか任仲虺、あたしを呼び出さなくても最初からそれでいけたんじゃないでしょうかおい。


「それでは、事態の収拾もついたようなのであたしもこれで失礼させていただき‥‥」


しかし子履があたしの腕に抱きついて離しません。あたしは何か言おうとしましたが、下手に抗議して寝ている姒臾を起こしたくありません。ため息をついて子履からわずかに距離を置いて座りますが、やっぱり子履が詰めてきます。

やれやれ、仕方ないですね。あたしは窓の外の風景に集中しました。馬車は滞りなく進んでいきました。


◆ ◆ ◆


商丘から斟鄩までは遠いです。地図を見ていると、300キロメートルくらいはありそうなくらいには遠いです。300キロメートルは、この世界では750というらしいです。

この世界には街灯なんて都合のいいものもなく、夕方になったら宿を探さなければいけません。天候にもよりますが、休憩を挟んで10日かかります。脚腰の鍛えられたあたしたちにとっては無理のない距離です。‥‥といってもあたしは今、馬車に乗っているんですよね。

2日目の朝、歩こうとしましたがやはり任仲虺に言いくるめられて馬車に乗せられました。3日目も4日目も同様です。もちろん子履がくっついてきています。姒臾はすっかり憤慨したようで、あたしをめっちゃ睨んでいます。普通に怖いです。なんとかできないかと任仲虺に頼んでみましたが、あたしがいないと子履が危ないと言われるとやっぱり抗えません。現にあたしは子履の顔のあざを見てしまったのですから。

それでも他の使用人たちはあたしを羨むことはあっても、妬むようなことがなかったのは幸いでしょうか。あたしもてきばき働いていたので、信頼関係はできていると思います。


10日目の夕方に、斟鄩の宿へ到着しました。雨が降った場合も想定して早めに出発したのですが、好天の日が多く予定通り入試の5日前に到着できたようです。明日から4日間はフリーということになります。

料理は宿が作ってくれるのですが、やはり案の定と言うべきか子履があたしの料理を食べたいと言い出しましたので、宿に無理を言ってキッチンの隅に調理道具と自前で用意した食材を揃えて、及隶と一緒に作りました。


さて食事もして寝る時間になったのですが(子履は「商丘以外には銭湯がないんですよね」とぼやいていました)、あたしは及隶を庶民用の宿室に置いて、宿の建物の裏で待っていました。

寒さを我慢しながら少し待つと、あたしを呼び出した姒臾が現れました。


「あたしをお呼び出しになってどのような御用でございますか、若旦那様?」

「伊摯」


姒臾は明らかに苛立っていました。足を何度も地面に踏みつけています。


「お前、子履と付き合ってんのか?」

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