第10話 仲間ができました

「なるほど‥結婚して士大夫になるのが嫌なのですね‥同性愛はよく聞く話ですが、結婚まで発展するのはかなり珍しいですね」


任仲虺じんちゅうきはあたしの話を聞きながら、うんうんと頷いていました。御主人様に無断で秘密を話すのははばかられますが、任仲虺は上品で親身になって聞いてくれそうで、結局話してしまったのでした。

その時、ドアがゆっくり開いて子履しりが戻ってきて、あたしの隣の席に収まります。任仲虺が子履に言います。


「そういえば伊摯いしさんは料理がお上手いと伺っておりましたが、わたくしも頂戴してよろしいでしょうか?」

「はい、ぜひ。なんならお泊まりください」

「いえいえ、わたくし宿もとっておりますし、突然押しかけてご厄介するわけには‥」

「こちらもお泊まりいただくつもりで準備しておりましたから、問題ございませんよ」

「まあ、でしたら宿に一報を入れさせていただきます」

「それがよろしいです」


こういう、しんのところでも以前の御主人様がやっているのをよく聞いた一連のやり取りというか儀式のようなものを済ませたあと、任仲虺は部屋を出ていなくなりました。

そうしてあたしと2人きりになります。


うわ、2人きりになるのが一番ダメなんじゃないですか!?あたしが子履から距離を取ろうとすると‥‥なぜか子履のほうが身を引っ込めます。え、何でそっちが?

思わず「ど、どうなさいましたか‥‥?」と尋ねてしまいます。いやこれ警戒ですからね、敵が‥じゃない、子履が想定外の行動をしたから念のため尋ねるだけです。


「あ‥‥いえ、何でもありません」


子履は理由も言わず立ち上がって、さらにあたしから距離を取ります。‥‥え、何で?あたし、くさい?


しばらく微妙な空気が流れます。任仲虺、早く戻ってきてください。子履はあたしに顔を見せないよう、背を向けています。変な空気を最初に割ったのは子履のほうでした。


「‥私を姒臾から守ってくださって、大変嬉しかったです」


よく考えれば子履を結果的に姒臾じきから守ってしまったり、占いでいい結果を出してしまったりと、ここ数日を思い返しても距離が縮まるような要素しか出てきません。ついちょっと前に初めて会ったばかりなのに、しかも身分も全然違うのに、ひと目見ていきなり同性同士で婚約してしまうのは異常です。士大夫にならない庶民は珍しいかもしれませんが、同様に初対面の庶民をいきなり士大夫にしたがる人も珍しいと思います。


「お嬢様は‥一介の使用人にすぎないあたしのことが好きなのですか?」

「好きですよ」


子履はゆっくり振り返って、それからまたぷいっとそっぽを向きます。あ‥これ、恥ずかしがっているパターンです。そんな‥そんな純粋なところを見せてきても、何も出てきませんからね。


足音とドアが開く音がしたので、子履は慌ててソファーに戻ります。相手が任仲虺じんちゅうきであることを確認すると、椅子に座り直して茶の残りを飲みました。いきなり冷静になれるんですね。


「今日はえきをやりすぎましたね。伊摯さんの魔法も拝見したいのですが、もう外も暗くなりましたし明日お時間取れますか?」

「はい、大丈夫です。えっ、外が暗く?ああっ、申し訳ございません、夕食の支度をしてまいります!」


あたしは何度もぺこぺこ礼をして、駆けて部屋を出ていきました。


◆ ◆ ◆


厨房で調理の途中、勝手口のドアがコンコンと叩かれました。それを開けた部下の料理人が驚いてあたしを呼びましたので行って見てみたら任仲虺でした。

他の料理人が恐縮するのもよくないのですが、やっぱり外は寒いので任仲虺を厨房の隅の椅子に座らせました。あたしは料理を作っている途中でしたが、続きは及隶きゅうたいに任せることにしました。及隶もあたしの料理をいくらか覚えたようなので、腕も信用できます。


あたしは熱めのお茶を出して、任仲虺の傍らに立ちます。任仲虺が優しく「座ってください」と言ってくれたので、あたしは「失礼します」と言って座りました。


「伊摯さん、わたくしのことは対等な友人だとお考えいただいて結構ですよ。上下関係の礼儀は不要です。さんもおそらく同じことをお考えでしょう」

「そんな、身に余るお言葉ですが、そういうわけにはまいりません。あたしは庶民です」

「でも伊摯さんは魔法が使えるのですし、おそらく学園でもお付き合いが多くなりますよ。今のうちから対等に接することで、わたくしにもメリットはあります。問題ございません」

「それでも、あの、学園でも使用人という立場ですから、庶民は庶民でございます」


士大夫の生活とは距離を置きたいところです。あたしが何度も首を振って拒否したので任仲虺は諦めたようで、ふふっと小さく笑って茶を飲みます。


「それで、どのようなご用件で参りましたか?なんならこんな汚いところではなく、外へお呼び出しいただいても‥」

「お忙しいところ急に邪魔立てして申し訳ございませんし、呼び出しても移動時間が余計にかかってしまいますからね。でも履さんのいないところであなたとお話できる機会が限られていますので。至急お伝えしたいことがあり、参りました」

「といいますと?」

「本日、履さんはわたくしを利用して、あなたも含めた3人で入浴するつもりでございます」


この世界に実はお風呂なんてありません。いえ、あるにはあるんですが帝や伯が儀式のときに使うものくらいで、一般の士大夫ですら前世のシャワーみたいに湯で体をさっと洗い流すだけです。

しかしこのしょうの國の場合、子履が何年か前に「毎日風呂に入りたい」などと言い出して、屋敷の一室に浴室をしつらえてしまったようなのです。さすがに儀式のための行為を毎日行うのに子主癸ししゅきは苦笑いしていたらしいのですが、そのうち慣れて入浴は半ば家族の習慣のようになってしまっていました。この話が街に広まるや街の人達もすっかり感化されて、商の国のあちこちの家で浴室ができてしまったのだとか。ちなみに銭湯というものもできたのですが、これは子履の発案らしいです。発明家ですね。


あたしもたまに銭湯に入りに行っていますが、さすがに屋敷の風呂に入らせていただくわけにはいきません。それに子履と裸の付き合いになってしまうではないですか。裸‥はだ‥‥。早く疎遠になりたいのに、考えるだけで恐ろしいです。


「どうしますか?無理ならわたくしのほうから断りますが」

「はい、ぜひ、必ず、何がなんでもお願いします」


あたしは精一杯頭を下げました。すると任仲虺はまたふふっと笑って言いました。


「これは取引ですよ。わたくしはあなたのために入浴をやめさせますけど、その見返りはありますか?」

「‥‥といいますと?」

「なんてことはありません。わたくしと一緒に寝てくださいますか?」

「ええっ!?」

「もちろんわたくしに性的な気持ちはございません。これは誓います。せっかく庶民と友人になったのですから、庶民の苦労話を間近でお聞きしたいのです」

「え、ええっ!?」


友人なんて身に余る厚遇、と言いかけましたが任仲虺はにこにこ笑っています。そんな純粋で上品な笑顔を見ていると、あたしは何か言い返す気も失せました。


「‥‥はい、分かりました‥」

「ふふ、交渉成立ですね。それでは料理のお邪魔ですので、これで失礼いたします」


あたしは何度も頭を下げて、勝手口から出ていく任仲虺を見送りました。

士大夫と友人になった上に、一緒に寝る、ですか‥‥これはかなり大変なことになりましたね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る