第9話 子履の友人に会いました
あたしが
この前子履と話したときは、その同級生はてっきり男かと思っていましたが、女だったようですね。あたしは子履と来客の分の茶をテーブルの上に置くと、その横に据え付けられたあたしのための階段を下りて一礼し、立ち去ろうとしました。
「待ってください」
子履に止められました。
「いかがなさいましたか?」
「茶をもう1つ持ってきてもらえますか」
「はい。またご来客ですか?」
「あなたの分ですよ、
子履はお人形のようなにっこりした目つきであたしを見ます。子履と弈をしていた女の子は少し不思議そうに口を手で覆って、子履に尋ねました。
「この方が、
「はい」
婚約の話までは伝えてないんですね、とあたしは最初にそう思いました。まあ、表向きは子履は
「その方、伊摯の茶を持ってきてください」
「は、はいっす!」
子履が言いつけると、及隶は部屋から出ていってしまいました。子履が自分の隣の空いている椅子を指差して「座ってください」と言ってきたので、あたしは何度も頭を下げて座りました。本来、庶民と士大夫がこのように対等な位置にいるのはあってはならないことなのですが、向かいに座っている女の子は怪訝そうな顔もせず、笑顔で話し始めました。
「初めまして、伊摯さん。わたくしは姓を
薄く赤みかかった茶色の髪の毛を伸ばしていましたが、後ろ髪は子履より少し短めです。前世の感覚ですと、真面目そうで実はちょっとちゃらいお嬢様といった印象です。お嬢様キャラが子履とかぶってますね。
この世界では髪の毛の毛先を晒してはいけないという迷信のようなものがあるのですがそこまで厳しい運用ではないらしく、任仲虺は長髪の先を結ぶだけ、子履は長髪を途中で丸めて輪っかのようにして大きいリボンで結んでいます。
薛の國も
「ずいぶん東の地でございますね」
「はい。
「伊摯、この方も斟鄩にある魔法学校の同級生ですよ。私の幼馴染でもございます」
と、子履が紹介してくれました。
「まだ合格したわけではございませんけどね」
ん、試験?入学試験というものがあるのでしょうか。そうだ、あたしが学校へ行くのは確定事項だと思っていましたが、この試験でわざと落ちれば子履と同じ学校には行かずにすみそうです。
と、任仲虺が子履に質問してきました。
「ところで斟鄩学園に庶民は入れないと思うのですが、どのようにして連れて行く予定なのでしょうか?」
「私の付き人として入れます。定期試験などには参加できないでしょうけど、別途申請を出せば授業を聞くだけなら可能だと思います」
うん、付き人か。付き人なら試験いらないね。よかったね。よくねえよ。
任仲虺はあたしの顔をひと通り見てから、また
「弈に戻りましょう。ところで付き人をつける予定の士大夫には他にどなたがいらっしゃいましたでしょうか」
「はい、他に
「終古さんですか‥あのなよなよしているお方ですよね」
任仲虺って、意外とちくちくする言葉を使いますね。
そんなこんなで弈の試合を見ていると、及隶があたしの分の茶を持ってきてくれました。あたしは子履の機嫌を伺いつつ、その茶を飲みます。この世界の茶は高級品・贅沢品で、厨房でこっそり飲んでみたことはありましたが、士大夫の目の前で飲むのはとても畏れ多いことです。
2人は弈で遊びながら会話を続けています。あたしは横から弈の盤面を覗き込みましたが、見事なまでに何をやっているのか分かりませんでした。前世で囲碁のルールを勉強していれば、弈も少しは理解できたのでしょうか。
「伊摯も弈に興味ありますか?」
いきなり子履が尋ねてきたのであたしは首を横に振りかけましたが、お客様の目の前ですし自分の言いたいことを言いづらい感じがしました。
「いいえ、でも横から見ている分には楽しいです」
「弈のルールは分かりますか?」
「分かりません」
あたしがそう返事すると子履と任仲虺は少し困った顔をして、お互いの顔を見合わせます。子履がまた尋ねてきます。
「でしたら、
「分かりません」
六博はすごろくにちょっと似たゲームですね。さいごろっぽいのを転がして駒を進めるゲームです。
2人はまた相談を始めます。
「伊摯さんは士大夫の生活をされているわけではないので、どの遊びもルールを知らないのでは?わたくしたちが教えていったほうがいいではないでしょうか」
「そうですね、士大夫とのお付き合いには必要なことですし」
なんか、あたしが士大夫になる方向で話が進んでいそうです。あたしは2人の顔色をうかがいながら、おそるおそる割り込んでみます。
「あたしは使用人ですし庶民相手にそこまでお気を使わなくても‥」
「いいえ、伊摯さんは魔法が上手いと聞き及んでおります。学園で他の士大夫と交流する機会も必ず出来ます」
うわ、魔法の話、任仲虺にもいっていたのですね。と思ったら、子履までもが耳打ちしてきます。
「伊摯はいずれ私と結婚して士大夫になるのですから、今のうちからこういう嗜みも身につけるべきですよ」
うう、あたし結婚も士大夫も嫌なんだけどな‥。拒否権はないのでしょうか。ていうか結婚した後の生活うんぬんならますますこんなのを勉強したくないんですが。
しかし任仲虺も子履もやる気みたいです。2人は早々に弈を切り上げて地合いの計算(※囲碁で勝敗を確定させる作業)を済ませると、子履があたしと席を交換しました。あたしはそのまま、子履や任仲虺に弈を叩き込まれていました。
その途上、子履が思い出したようにあたしに話しかけました。
「そうだ、伊摯」
「はい、どうなさいましたか」
「
「分かりました‥」
とほほ。また料理人の仕事はしばらくできなさそうです。
あたしのがっかりした気持ちが顔に出てしまったらしく、向かいの席の任仲虺が覗き込んできます。
「伊摯さん、どうなさいましたか?不満がおありなのでしょうか?」
「い、いえ、そういうわけではございません‥」
「あっ」
と、子履が何か思いついて手を叩きます。
「そうですね、伊摯はおそらく、付き人が1人だけですと雑用が集中して授業に出席できないと懸念なさっていたのでしょう?」
いえ、そんな懸念絶対してないんですが。むしろ少しでも子履と離れる時間があったほうが大助かりなんですが。
「使用人を1人増やしましょう。仲のいい者がいらっしゃいましたね。及隶といいましたか?その者も連れていきましょう。これで伊摯はずっと私のおそばで授業を受けられます。いかがでしょう?」
「は、はい‥‥」
あたしは真っ白になりながらも、作り笑顔で答えました。
◆ ◆ ◆
「では
廁とはトイレのことです。前世の日本ではかわやと読まれていますね。子履が部屋を出ていってしまうと、あたしと2人きりになった任仲虺が弈の石を打つ手を止め、尋ねてきました。
「伊摯さん」
「はい」
「なぜ斟鄩に行くのが嫌なのですか?」
あたしはびくっと動きました。ばれてしまいましたか、でも子履は婚約相手であるとはいえまだあたしの御主人様です。返事を懸命に考えているうちに、任仲虺が言葉を付け足しました。
「
「はい、と、いいますと‥?」
「嫌な顔をした本当の原因は別にある、そうでしょう?よければ聞かせてくださいませんか?」
任仲虺はにっこり笑いかけてきます。
女性同士で結婚の話をしてることなんてもちろん任仲虺は知らないでしょうし、勝手に伝えるわけにもいきませんし、あたしはたらたら冷や汗をかいていました。するとそれを見透かしたように、任仲虺はまた言ってきました。
「わたくしがわざわざ履さんのいないタイミングで質問した意味がおわかりですか?‥‥伊摯さん、履さんのことがお嫌いなんですね?わたくしでよければお話を聞きますが‥」
あたしはそれを否定しようかとしましたが、考え直して、これはチャンスではないかと思い直しました。あたしも及隶も庶民です。士大夫の協力者がいたら心強いと思いませんか?
気がつくとあたしは、任仲虺に一通り話してしまっていました。
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