第6話 子履を避ける作戦2:浮気する
朝のお勤めが終わった後、あたしは
「いくらなんでもこれは恥ずかしいっすよ‥‥」
及隶のために買ったものは、男もののウィッグです。ちゃらい男がやるような茶色の髪の毛を生やしています。及隶は長髪ですが、ウィッグの中にはもとの髪の毛を収容して隠す機能もあるので大丈夫です。
「ちゃらいのが苦手だったらこっちの黒いのも買っとくよ?」
「うん‥‥勝手にして‥‥」
ちゃらい茶色と、真面目なメガネっぽいイメージのある黒色の2つを買いました。
さて屋敷に戻った後は、ウィッグをかぶってもしもししている及隶と一緒に日なたで転がりながら楽しそうに会話します。
「恥ずかしいっすよ、センパイ‥‥」
「しっ、誰かが見てるかもしれないよ、男のふりをして」
それがあたしの作戦です。あたしが別の男と一緒にいるという話が屋敷中に広まれば、
しばらく寝転がっていると、屋敷の方からいくつか視線を感じます。あの窓はおそらく、子主癸の部屋です。うん、見られてる見られてる。この調子であたしには男がいるから婚約の相手にふさわしくないってとこまで考えてくれるかな。婚約解消された後も料理人を続けて、平凡な庶民ライフを送りましょう。などとわくわくしながら考えていたところで、突然怒鳴り声が聞こえてきました。
「
それであたしも及隶も飛び起きました。
叫び声は、屋敷の曲がり角から聞こえてきます。あたしが思わずそこへ向かったところで、近くの茂みに誰かが隠れているのに気づきました。子履です。つい覗き込んでしまうと、子履は顔を手で覆って泣き声を殺している様子でした。
でも茂みが浅くて頭が目立ちます。このままでは見つかってしまいます。
「取って」
あたしは及隶のウィッグを掴んでから、小声でささやきました。及隶が外したウィッグを、あたしはすかさず子履の頭にかぶせます。子履はぴくっと震えますが、あたしと分かって安心したのか、じっとしていました。
でも頭は隠せても士大夫の立派な服までは隠せません。どうしようかと思っていると、あたしのポケットからもう1つの黒いウィッグが外を覗いているのに気づきました。
「こっちにはいないな。そっちにいるのか?履!」
姒臾がこっちへ来ました。黒くさらさらした髪の毛のウィッグを被ったあたしは、背中を及隶に隠してもらいながら、2人ぺったりくっついてぞろぞろ歩きました。
「おいお前か、履!」
「きゃっ!」
姒臾が及隶を乱暴に押しのけて、あたしの胸ぐらを掴みます。あたしの顔を見た瞬間に人違いだと知った姒臾は「ふん!」と鼻を鳴らして、あたしをそこに投げ捨てました。
「はぁ、本当にどこへ行ったんだ、履!」
あたしに謝ってもいいんじゃないの、とは思いましたが、姒臾はあたしに気を取られてそのすぐ横にあった子履のいる茂みを探すのを失念して向こうに行ってしまったので、これはあたしたちの勝ちでいいのでしょうか。
姒臾の姿が見えなくなると、あたしは子履の手首を掴んで静かに走って、厨房の勝手口へ案内しました。
ウィッグを外した後にぼろい椅子の中でも一番きれいなのに座らせて、士大夫用のコップに水を入れて差し出すと、子履はそれを一気に飲んで大きく息をつきます。
「ありがとうございます、
ちょうど休憩していた他の料理人たちは突然のお嬢様の登場に恐縮して、壁に一列に並んでいます。ごめんね。
あたし、子履、及隶の3人はキッチンの隅にあるテーブルに並んで座ります。
「助けていただき、ありがとうございます。
「いえいえ、お気になさらず」
最初に子履がぺこりと頭を下げてきます。あーあ、また子履を助けてしまったよ。でも浮気してるっぽいところは子主癸にぱっちりみてもらえただろうし、大丈夫かな。
「ところでその者に男装をさせて、何をしておられたのですか?」
うん、ぱっちり見られてたよ。子主癸が怒っても子履が説明すれば無効になっちゃうやつだよ。徒労でしたね、とあたしは大きくため息をつきました。
「何でもありません、少し戯れていただけです、ははは‥‥」
「まあ、そうでしたか。‥‥その」
子履が何か言いたくても言えずあたしをちらちら見ているのが分かりました。子履の気持ちが分かってしまいます。聞いてみましょうか、いえ聞いてしまったらまた距離が縮まってしまう‥‥。
でも目の前の子履が困っているのはどうしても放っておけないです。あたしは複雑な気持ちになって小声で尋ねました。
「‥‥あたしたちと遊びたいんですか?」
「‥‥‥‥はい」
それから少しの間を置いて、子履は付け足しました。
「‥‥お互いのことをよく知らなければいけませんので‥‥」
それが先程の遊びの誘いとは打って変わって、いかにも言いたくないことを無理矢理言っているような、搾り出したような口調になっていたので、あたしは思わずその背中を撫でてしまいます。あまりよく覚えていませんが、前世の高校にとても仲のいい子がいて、その子が落ち込んでいた時にあたしはいつもその背中を撫でていたのでした。
「一緒に遊ぶのに理由いらないでしょ?」
「‥‥はい」
子履が笑顔を取り戻したので、あたしは胸をなでおろします。
「それでは、お時間ができたらいつでもこちらへお越しください」
「はい‥‥!」
最後にはにっこり笑って、キッチンから屋敷の中へ戻っていってしまいました。
その姿が消えたところで、あたしは頭を抱えて座り込んで、頭を何度も地面にぶつけました。
やってしまった。やってしまった!!何で失敗するんだあたしのバカ!
周りの料理人は困惑した様子であたしに視線を集めています。お嬢様とお近づきになれたのに何を悲しんでいるのだろうかと不思議に思っているでしょうが、事情を知っている及隶はあたしの横にしゃがんでため息をつきます。
「やってしまったっすね、センパイ‥‥」
「どうしよう、仲良くなっちゃダメなのに‥‥!」
その日は昼食をとばして、夕食の後に子履がキッチンまでやってきました。すでに仕事を終わらせたはずの料理人たちがなぜかせわしなく動く中、キッチンの奥のテーブルで3人で話しました。
「朝はありがとうございます。臾様に母上がお怒りになって、おとなしくしてくださることになりました」
「それはよかったです」
「母上も一部始終を窓からご覧になっていたようで、伊摯は優しいところもあるのですねとおっしゃっていました。ふふ、母上は素直ではございませんので、母上なりのご好意だと受け取っていただければ‥」
「それはよかったです」
「母上にはついでに昨夜のことも問いただされましたので、お話いたしました。母上は笑っておられていました。私のことを守ろうとしてくださり、大変嬉しかったです‥‥」
「それはよかったです」
うん、まったくの逆効果でしたね。外堀埋めてんじゃねーよ。ショベルカーで外堀掘ろうとしたら逆にショベルカー自体を埋められた気持ちだよ。あたしは思考停止気味にうなずいていました。
「それで、その‥‥これは私からのお願いですが‥‥」
「どうしましたか?」
「明日の朝食から‥‥伊摯ご自身の手で私の料理を運んできてほしいのです」
「ん?」
あたしは目をぱちくりさせました。ん?えっ?
毎日子履がキッチンまで来たり、一緒に遊んだりするだけでなくそこまでするんですか。ますます距離が縮まってしまうじゃないですか。
「でもそれは侍女の仕事のはずでは‥」
「大丈夫です、侍女たちにはこれから話をつけます」
うん。
えええええええええええええええええ!!!!!!
子履が去った後、ほっとして宿舎に戻る支度を始めた料理人たちの陰で、及隶に見守られながらあたしはまた地面に頭を叩きつけていました。
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