第5話 子履を避ける作戦1:隠れる

この世界では、お米は「蒸す」ものだそうです。前世では「炊く」でしたから、感覚が違いますね。実際食べてみると全然味が違ってました。あたしは前世で林間学校の時に飯盒はんごうの経験があったので、その時のことを必死に思い出して鍋を引っ張り出して炊いてみたところしん伯やその家族にも喜ばれましたので、ご飯を炊くというのはこの世界でも通用するようです。


さて夕食を作り配膳係への受け渡しが終わると、あたしは真っ先に厚着になって勝手口から厨房を飛び出しました。就寝時刻までずっと外にいて、挨拶に来てくれる子履を無視する作戦です。裏切りと暗殺と権力争いにまみれた士大夫の生活とは距離を置きたいのです。

なら最初から士大夫に仕えるなという話ですが、給料がいいんですよねこれが。莘の後宮での料理の仕事を紹介してくれた士(※ここでは土地を持つ貴族のこと)に対する恩もあります。それに今更士大夫の下僕をやめてどこかへ引っ越して料理店を始めたとしても、あたしの料理は独特で他にはないらしいので、噂を聞きつけた子履が追いかけてくるかもしれません。

子履にはあたし以外の人を好きになってもらう必要があるのです。つまるところ、子履があたしと会えなくて寂しがっているところを姒臾じきあたりに口説いてもらう作戦です。子履と姒臾がくっつけば、あたしはこれまで通り庶民として料理人をやっていけるはずなのです。


でも子履は姒臾との婚約を嫌がって隠れるほどだったので、果たして本当にくっつくのでしょうか?あたしは真っ暗な夜道で考えれば考えるほど不安になってしまいます。


ふと屋敷の2階に明かりがついているのが見えます。あの部屋は確か。あたしは屋敷の壁にぺたりとくっつくと魔法で自分の地面の下にある土を盛り上げ、2階まで伸ばしてそっと窓を覗き込みます。

子履と姒臾が2人でソファーに座っているのが見えました。あたしから見れば後ろ向きです。そっと聞き耳を立ててみます。


「お前、あの料理人のことが好きなんだな」

「はい、何度も何度も料理が食べたくてうすうすしていたのです。少しくらいは会いに行ってもいいではないですか」


あたしの話をしているようですね。子履と姒臾の間では「好き」の意味が違う気もしますが、まあ女同士ですし仕方ないでしょう。窓から覗く分には和やかなムートにも見えましたが、姒臾のほうは不気味な声色でした。


「それは結構だが、お前は俺のものだからな」

「‥‥っ」

「結婚したらお前は絶対俺のそばから離れるなよ。日中も夜も一緒、お前への客もすべて俺が見てやるし、外出にも全て俺がついていく。俺がお前を守るから、お前は安心して俺の後ろについていればいいんだ。お前は余計な人と会うな。前も話しただろ」


姒臾にそれを言われる子履は、腕を伸ばして手を膝の上にくっつけながら震えている様子でした。

ど‥‥‥‥どうやら、このまま放置しても2人は勝手にくっつくようですね‥‥。

あたしはもともと、姒臾に子履を口説いてもらう作戦だったのでこれでいいのです。‥‥口説けてるのかな?これは。大丈夫なのか?


姒臾はあたしの前の御主人様の息子で、イケメンで面倒見のいいお方だと噂になっていましたが、あれはいくらなんでも面倒見が良すぎではないでしょうか。あれが子履が姒臾と結婚したくない理由ではないか、とあたしは思いました。


「‥‥それは‥‥」

「女は弱いんだ。俺が身を挺して徹底的に守ってやる。それが男の義務ってもんだ。それに入浴もお勤めも全部俺が一緒だ、お前も愛する俺と一緒にいられて嬉しいだろ?」

「‥‥‥‥」


子履は明らかにひどくうつむいています。

これはあれですね、前世の高校で気持ち悪いオタクが話していましたが、束縛が強いというやつですね。これはどんどんエスカレートして、外出するな家から絶対出るなと言われるやつです。


「やめてください!」


気がつくとあたしは、窓ガラスを割ってその部屋の中に舞い降りていました。2人とも目を丸くして飛び上がってましたが、姒臾は子履の前に立ってあたしと戦う構えをしています。

それを見てあたしは我に返ってしまいました。主人の部屋での会話を盗み聞きしたと宣言する行為は、追放で済むならまだやさしいほうです。普通は拷問がセットです。

ですが‥姒臾の後ろにいる子履がまだ悲しそうな顔をしていたので、あたしはいまだに沸き起こってくる感情の高ぶりを止められませんでした。


「お嬢様だって、立派な人間です!自分の意思で考えて行動します。あなたの人形ではありません!」

「何だお前は、伊摯いしか?庶民が勝手に入ってきて何をしている!」


姒臾はあたしに平手を向けます。と、あたしの服が急に燃え始めます。姒臾は火の魔法を使うのです。

あたしの服を火がどんどん食べていきます。痛い。火傷してしまいます。あたしは尻餅をついて、暴れながら服を脱ぎます。


「あちっ、いやああ!!」

「何の騒ぎですか!」


ドアが勢いよく開かれ、子主癸ししゅきが出てきます。商の國の女王ですが夜はオフらしく、普通の士大夫の私服といった感じでした。

子主癸は体を燃やしているあたしを見るやいなや、何か呪文を唱えます。すぐに水の玉が現れて、あたしの体を包みます。

水玉が形を崩し床に染み込んで水たまりになるころには、あたしは地面に四つん這いになって荒く息をついていました。


「はぁっ、はぁっ、はぁ、はぁ‥‥」

「さて」


と、子主癸は姒臾を見ます。


「どういうことか説明してくれるかしら?」

「お義母かあさま、あの女が勝手に俺たちの話を盗み聞きしていたのが悪いのです。窓から入ってきました。盗み聞きするやつはスパイに違いないのでしょっぴいてください」

「ふうん」


その姒臾の後ろにいる子履が、姒臾から少し離れたところで怯えている様子でした。それを見た子主癸は腕を組んで口をへの字に曲げてふんと鼻を鳴らすと、今度はあたしに向かって言いました。


「伊摯はまず、明日の料理のことを考えなさい。替えの服は渡しますから」

「お義母さま!!」


姒臾が叫びますが、子主癸はぶっきらぼうにあたしに手招きをします。あたしは服が破れて露出した胸を腕で隠して、火傷の痛みに耐え雑に礼をしてから、子主癸についていって部屋を出ました。


◆ ◆ ◆


あたしは畏れ多くも子主癸の部屋で着替えさせてもらった後、正座しました。


「どうしたの?着替え終わったなら出ていきなさい」

「あたしを罰さないのですか?」


子主癸はそんなあたしを見下して、腕を組みながらいくらか歩きました。歩きながら独り言のようにつぶやきました。


「あの2人の様子はこれまでにも使用人からたびたび報告を受けていますし、何が起きたかは大体わかります。履は自分から話さないタイプですからね。今回は履に免じて許しますが、勘違いしないでください。私が信じるのはあなたではなく占卜せんぼくです」

「‥‥寛大な処置に感謝いたします」


あたしは子主癸の背中に向かって叩頭こうとうしてから、その部屋を出ていきました。


◆ ◆ ◆


この世界では占卜、すなわち占いが神の予言のように信じられているようです。さすがに結婚相手まで占卜で決めるのはどうかと思いますが、それだけ人の心に及ぶ影響が大きいようです。

あたしとの結婚が決まっているにかかわらず姒臾との縁談を形だけでも続けているのは、子主癸があまりにもあまりな占卜の結果に不信を抱き、庶民であるあたしがふさわしい相手なのかまだ信じられずにいるのが根底にあるのかもしれません。

だとしたら、子主癸の前で何か粗相をすれば、あたしの縁談の話はなくなるかもしれません。


及隶きゅうたいに手伝ってもらいながら包帯の代わりの布を腕に巻きましたが、やはり痛みが走ります。

冷たいところに水を染み込ませたタオルを押してもらいながら、及隶にあたしの次の作戦を話しました。


「まずいっすよ、お嬢様はともかく御主人様に粗相するのは危なくないっすか?」

「大丈夫だよ、あたしに考えがあるから。たいの協力も必要かな」

「ううっ、嫌な予感がするけどセンパイのためなら何でもやるっす‥‥」


その夜は火傷の痛みであまり寝付けませんでしたが、夜中になるとさすがにくっすりすやすや寝れていたようです。

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