百合夏商革命～召使いですがほんの冗談のせいでお姫様と結婚することになりました。えっあたし女だけど？

第４話 子履が早速アプローチしてきました

料理人の朝は早いです。５人のグループをまとめるリーダーであるあたしは、厨房で次々と指示を出していました。

この世界では、朝食と夕食の２つしかなく、昼食はありません。朝食は簡素ですから、あたしは部下に料理のコツを教えたり、材料を用意したりします。大の大人は子供の部下になるのを恥ずかしく思いますから、この子供たちを育てて手下にしてくれと言われているのです。

なぜあたしがまだ７歳なのにこんな偉い人になってしまったかというと、やっぱり前世の記憶です。前世日本であたしは料理を勉強していたらしく、周りから料理についていろいろ聞かれるうちに、あれよあれよと５人組のリーダーになってしまったのです。

料理はそこそこの腕だと思っていましたがそれは前世基準で、今の世界では大人よりも突出して上手いらしいです。あたし１人に負荷が集中しないようまわりの大人も頑張っていましたが、やはり夕食で偉い士大夫（したいふ）に出す難しい料理はあたしが担当しています。

ここまでは莘（しん）の國のやり方でしたが、莘の國の料理人たちが商（しょう）の國の料理人に引き継ぎの手紙を書いてしまったらしく、新しい職場でもわりとスムーズに仕事できています。

と、また厨房に使用人がやって来ました。最近よくここで使用人を見ているような気がします。

「あなたが伊摯（いし）ですか？」

「はい」

「お嬢様が、伊摯の手料理をご所望です」

「なっ‥で、ですが朝食は全部部下にやらせています。夕食は確実にあたしも料理いたします」

「いいえ、毎食必ず作って欲しいとのことです。それから、伊摯がどの料理を作ったか食前に知らせて欲しいとのことです」

呆然とするあたしを置いて、使用人は厨房を出ていってしまいました。

「お嬢様はすっかりセンパイのことがお気に入りっすね」

及隶（きゅうたい）があたしの腕を指でつんつん突きます。うざいです。あたしはため息をつきました。

「といってもみんな、もう料理は半分以上作ってしまいましたよね‥‥これからあたしが参加できる部分はというと。そうだ、卵はある？それからマヨネーズも」

「マヨネーズはセンパイが発明した調味料っすね？持ってきました」

「ありがとう。それと、柑橘（かんきつ）の皮はないかな？あった」

あたしはゆで卵を作るとそれを小さく切り刻み、マヨネーズを混ぜてパンに乗っけます。こうするとおいしいのです。

この家では料理人と配膳する人は分かれているみたいです。配膳の使用人がやってきたので、あたしたちは次々と料理の乗った皿を出します。

「伊摯の作ったものは？」

「このパンに乗っている卵です」

さっきの使用人が尋ねてきたので、あたしは説明しました。

「これは‥料理なんでしょうか？」

「朝食をある程度作り終わったタイミングで言われたので、これしか用意できませんでした。次からはましなものを作ります」

「分かりました」

使用人はそれらの料理を運んで持っていってしまいました。

◆　◆　◆

食事が終わり、食器洗いも済ませた後は休憩です。食材の買い出しは当番制で、最初の当番はもちろん料理に長（た）けているリーダーであるあたし、そして及隶です。

商丘（しょうきゅう）の市場はどれも活気があって、欲しいものは何でも揃うような気がしました。莘のところで働いていた時と違って、わりと楽に買い物できるような気がしました。

帰り道で、あたしは自分のスタンスを打ち上げることにしました。

「ねえ、隶（たい）」

「どうしたっす、センパイ」

「あたし、結婚は断ろうと思ってるの」

「‥センパイは庶民、相手は士大夫の子っすよ。断ったら後が怖いっすよ」

これは単なる冗談でも脅しでもありません。及隶は事実を言っているだけです。子履（しり）の母の子主癸（ししゅき）は商伯といって、商の國を治めている領主です。その子主癸がメンツを潰された形になるので、何をされるか考えられません。

いじめやいびりは法律が整備されている現代日本の発想ですね。この世界だと解雇・追放や禁錮（きんこ）、死刑もありえます。すべては子主癸の差し加減次第なのです。

「うん、だから口には出さず、行動でやんわり断っていこうと思う。お嬢様も成長したら諦めるだろうし」

「夜逃げしたほうが早くないっすか」

「料理人続けられなくなるじゃん。あたしは今の仕事も楽しいんだから、現状維持できるのが一番だよ」

「そうっすね‥」

及隶は食材の入ったかごを乗せた牛を軽く引きながら、声のトーンを落としました。

でも実際、料理人を続けたいというのは本当です。前世の料理を持ち込んでくることもありますが、現世では珍しいがおいしいとよく言われますので、あたしはちょっと調子に乗ってます。前世の料理をもうちょっと思い出して、現世に広めてみる人生も悪くないかなと思っています。

「具体的な作戦は今考えてるとこかな。とにかく今はあたしの考えだけ伝えてみたから」

「センパイの気持ちがよくわからないっす。士大夫と結婚したら豊かな生活が出来るっすよ」

「その豊かさは死と隣り合わせでしょ？」

「そうっすけど‥」

「あたしは死ぬくらいなら、豊かでなくても平和な生活を送りたい」

「それが一番の目的っすか」

あたしの話が終わると及隶はそっぽを向いていました。及隶もあたしに子履と結婚してほしかったのでしょうか。

「尊敬するセンパイとして、輿（こし）に乗ってほしかったっす‥」

なんとあたしを応援してくれていたようです。士大夫と結婚するのが無条件で幸せという価値観を持っているみたいですね。この世界では及隶の考え方が普通で、あたしがちょっと警戒し過ぎな気もしますけど、とかくに権力争いに巻き込まれるのは嫌いなのです。

「まあね、あたしみたいな考え方の人もいるってことで」

「‥‥分かりました。隶（たい）はセンパイのことを応援してるっす。できることがあったら手伝うっす」

「ありがとう、隶」

とかなんとか話しているうちに、丘の上の屋敷まで到着してしまいました。

◆　◆　◆

「まず、お嬢様との接点を減らすところかな」

「でも毎食作ってくれと言われているうちは無理っすよ」

昼食も作り終えて午後に差し掛かったところで、あたしのぼやきに及隶が反応しました。

「それもそうだね‥」

あたしがそうやって肩を落としているところで、厨房の外の廊下の方がちょっと騒がしくなってきました。

見てみると、入り口のドアががちゃりとゆっくり開けられました。子履でした。

「羹（あつもの）（※肉と野菜のスープ）を作ったのは伊摯ですか？」

「は、はい」

「美味でした。ありがとうございます」

子履は頭を下げてから再びあたしを見て、にっこりと笑顔を見せました。あたしは思わず顔をひきつらせましたが、小さく短く頭を下げました。

「‥どういたしまして」

「伊摯は活発な少女だと莘伯からお聞きしましたが、意外とおっとりされていますね」

そりゃ、まだ７歳の庶民で心の準備もできてないのにいきなり婚約とかされて、しかもその相手が目の前にいたらそうなると思います。が、そこは抑えます。

「はは、ありがとうございます‥」

「伊摯にお会いできてよかったです。それでは夕食も楽しみにしております。また参りますね」

そう言って子履は行ってしまいました。え、もしかして毎回来るんですか？こんな、士大夫はまず寄り付かないような庶民の巣窟に？いや朝食の後は来なかったから１日１回くらいかな？

と思って振り向くと、及隶とは別の部下があたしに報告しました。

「リーダー、あのお嬢様は朝食の後、リーダーが外出中の間にも来られてましたよ。リーダーが不在とお伝えするとがっかりしてお帰りになっていました」

うん、終わりましたね。子履は、名目上の婚約相手である姒臾（じき）の目を盗んで毎食来る気です。

「どうするっすか、センパイ？」

「隶‥」

子履はあたしの予想よりもけっこう迫ってきそうな予感がします。これは早々に手を打つ必要がありそうですね。少しでも子履と距離を置くために作戦を考えましょう。

思いつきました。早速今夜から始めてみます。