第104話 海軍大臣
「アレク君、ナターシャ君。待っていたよ! 席はこちらじゃ」
俺たちが会場の入り口で、イチャイチャしていたら主催者と秘書の方が来てくれた。
「ああ、そうだ。申し遅れました。私は、コロール王国海軍大臣を務めるヘンリ・ポートマンと申します。この度は、来場いただきありがとうございます」
朗らかな笑顔が似合う老紳士。だが、副会長から聞いていた彼の本質はそんな甘いものではない。
没落寸前のポートマン子爵家を一代にして再建し、コロール王国のナンバー3にまで成り上がった怪物的な政治力。子爵家再興のために、貴族の子息はめったに入隊しない海軍に所属し、勇猛果敢に魔王軍と激闘を繰り広げたコロール王国海軍史上最高の名将。
世界最強のコロール王国海軍において、海上艦隊司令長官・作戦部長・海軍大臣の海軍3長官を歴任した名提督である。教科書に名前が載るレベルの偉人だ。
海上艦隊司令長官時代には、ギルド協会の会長と前線でいろいろ無理をやっていた伝説を残す。
すでに、現役を引退し、予備役として軍事参議官という名誉職についていたのだが、今回の魔王軍奇襲攻撃による主力艦隊壊滅という危機的な状況のため、国王に泣きつかれて現役復帰したと聞いている。現在は、副宰相兼海軍大臣なのだが、本人はあえて海軍大臣を名乗ったのは、こだわりのようなものがあるのだろうな。
「お会いできて、光栄です! 閣下! アレクと申します」
俺は、老紳士と握手をする。彼は大きな手で、とても温かかった。軍人というよりも学者のような風貌だった。
「これはご丁寧にありがとう。まったく国王陛下にも困ったものだよ。こんな老人に鞭打って働かせるんだ。キミたちの会長さんが羨ましいよ。ミハイル君といい、アレク君といい、本当に良い後継者が育ってるんだもんな。こんな立派な若者が来てくれて、私のメンツも保てるというものだよ!」
コロール王国の知将はそう言って笑った。御年68歳の老人とは思えないほどの強い眼光。
「今日は、貴族の当主としての役割も果たさなくてはいけないんだ。うちの家は、芸術のパトロンになったせいで、傾くほどだからね。まあ、私は君たちの初々しいラブロマンスを見るのも好きだがね」
好々爺は、ちょっとゲスな笑顔だった。
「見ていらしたんですか」
俺たちは、急に恥ずかしくなる。
「うん、君がナターシャ君を抱きかかえるあたりからね」
「声をかけてくださればよかったのに」
「残念ながら、うちの海軍のモットーはウィットとユーモアなのでね!」
どこか副会長と似ていた。特に、この冷やかし的なところが……
「そんなに赤くならないでくれたまえ。さあ、劇が始まるよ。今日は、みんな大好きなロマンスものだ」
老提督はウィンクして俺たちを会場へと招いた。
※
「それでは、皆さん。今回の演劇の主催者であるコロール王国副宰相ヘンリー・ポートマン子爵と特別ゲストであるギルド協会アレク官房長のご入場です。拍手でお迎えください」
会場は来場者の拍手で包まれた。
「あれが今回の戦争の英雄、アレク官房長ね!」
「まだ、21歳ながら、S級冒険者、ギルド協会官房長、世界ランク1の世界最強戦力。すごいわね!」
「横にいるのが、この前新聞に書かれていた婚約者のナターシャ様ね。あの若さで医学分野の権威なのよね。まさに、お似合いのカップルでうらやましいわ」
完全にこそばゆい。貴族の人たちは噂好きと相場が決まっているからな。こういう恋愛的なゴシップが大好物なんだろうけど。
俺たちは会場に向かって、一礼すると席に座った。ヘンリー大臣は、俺たちの前に座る。
「ここは貴賓席で、私とキミたち以外は誰も座らないから、さっきみたいに思う存分イチャイチャするといいよ。私は前の席に座るから、後ろがどうなっているかもわからないしね」
そう言って、大臣はニヤニヤしながら前を向いた。
俺たちは恥ずかしくなって下を向く。
ついに演劇が始まった。
※
今回の演劇は、男女の悲恋を描いたものらしい。
貴族の男女の三角関係をえがいている。
男は運命の女性と巡り合うが、男にはすでに婚約者がいた。婚約者は、男の気持ちを知りながら、自分の立場に苦しむ。
運命の女性は、婚約者と友人関係であり、図らずも主人公との仲が深まることに罪悪感に苦しまされる。
男は、婚約者と運命の女性どちらを選ぶべきか苦悩し、3人は少しずつお互いにすれ違っていく。ロマンチックな舞台でありながら、優しさによって3人は破滅の道を進んでいくというシナリオだった。
こんな状況になったら、男は本当に弱い。
3人はお互いを傷つけないようにしているはずが、より泥沼の深みに入っていく……
横にいるナターシャを見つめた。ハンカチで目元を押さえていた。役者さんたちの演技もあって、こちらまで心をえぐられるかのような気持ちになる。
ナターシャの手が俺の手に触れた。彼女の体温が、俺の手にも伝わってくる。
「あっ」とナターシャは俺にしかわからない小さな声で慌てて、手を離した。こういう初々しい反応が愛おしい。
演劇のせいかもしれないが、ナターシャの手を離したくはなかった。
彼女の柔らかな手をここで離したら、もう2度と触れられないような気持ちになる。
手をつなぐのにも、勇気がいる関係。
何度も手を握っているはずなのに、やっぱりどうしようもなく怖い。
※
「先輩の気持ちなんて、卒業式の日に告白した時からわかっています。だけど、聞いてしまったら、私の目標は達成しちゃうんですよ。たぶん、幸せでどうしようもなくなってしまう。もう満足してしまって、戦わなくてもいいかなって思ってしまう。それを許してくれる先輩の優しさに甘えるだけの存在になってしまう。そんなんじゃ、私は本当の意味で、先輩の隣にいる資格がなくなってしまうからです」
※
でも、あの宿での夜、ナターシャは勇気をもって俺にこたえてくれた。
だからこそ、俺も動かなくてはいけない。
ナターシャの温かい手を俺は包み込む。少しだけ、ビックリして彼女は俺の方を見た。
そして、少しだけ恥ずかしそうにしながら、俺の手にこたえてくれた。
彼女の指が、俺の指の間に入り込んだ。
俺たちは、優しくお互いに指を絡め合う。
「今日だけですよ」
ナターシャはそう言いながら、俺の肩に頭を預けた。
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